常任理事 稲田 隆司
去る7 月24 日(日)午前10 時30 分より、日 本医師会館大講堂において標記シンポジウムが 開催されたので、その概要について報告する。
石井正三日医常任理事の司会により会が開か れ、会次第に沿ってシンポジウムが進行された。
主催挨拶
日本医師会の原中勝征会長(代読:横倉副会 長)より、概ね以下の通り挨拶があった。
医療は、医療を受けられる方と医療に従事す る両者間の信頼があって成り立っている。しか し、より良い結果を求めても結果が伴わないと いう不確実な面を持っていることも否めない。 日々進歩する医学的医療を生涯に亘り学習し、 より良い医療の提供を行うことは我々医療者の 責務である。
平成11 年1 月の横浜市立大学における患者 の取り違え事故、同年2 月の都立広尾病院にお ける注射薬剤の誤投与事件をきっかけに、我が 国では医療従事者に対する刑事措置の流れが急 加速している。しかしながら、医師をはじめ医 療者に対する刑事措置というものは、医療が包 括する不確実性とは馴染まない面がある。医師 をはじめ医療者の医療に対する意欲を著しく減 退させ、医療崩壊を招く要因の一つとなってい る。このような状態は、医療者のみならず国民 全体にとって決して望ましいことではない。
私共は、医療者を代表する団体として、国民 の皆様にこの問題を分かりやすく語りかけ、医 療への信頼を築きあげていきたいと考えている。
このシンポジウムが、安心と信頼を持って医 療を受けることが出来るよう、医療者また法曹 関係の皆様、マスコミの皆様、そして国民の皆 様が、医療に関する刑事措置について考えてい ただくきっかけになることを心から願っている。
ここ数年、医療事故調査制度に関して様々な 議論がなされている。医療事故調査制度は、医 療安全を預かり、そして真の死因を究明するた めに必要不可欠な制度である。日本医師会で は、今期、医療事故調査プロジェクト委員会で ご議論いただき、本日の資料の中にも入れてい るが、一定の方向性を提示することができた。
本日の議論が、医療事故調査制度の実現に向 け大きな推進力となることを信じている。
来賓挨拶
細川律夫厚生労働大臣(代読:羽生田日本 医師会常任理事)より、概ね以下の通り挨拶が あった。
現在、我が国では、国民の皆様が安心・納得 が出来る安全な医療の確保に向け、一層の取り 組みが求められているところである。
このため厚生労働省においては、医療事故情 報収集等事業、医療安全支援センターの制度 化、医療裁判外紛争解決(ADR)機関連絡調 整会議の開催等の施策を推進している。また、 医療死亡事故の原因究明、再発防止を行う仕組 みのあり方に関しては、これまで種々の議論が 行われてきたが、今後も、様々な方からのご意 見を伺いながら検討を進めていきたいと考えて いる。
医療は、提供する側と受ける側の共同作業で ある。相互の信頼関係なくして医療体制の更な る改善はなし得ない。我々はこれからも安心 し、信頼し合う医療を求めて一層の努力をしていく必要がある。厚生労働省としても、医療に おける患者の尊厳を保証し、また医療に携われ る方々が、安心して業務に当たることができる 医療を目指し、今後とも各種施策に取り組んで いきたい。ご理解ご協力を賜りたい。
基調講演
東京大学大学院法学政治学研究科教授の樋 口範雄先生より、「医師法21 条を考える」と題 した講演が行われた。
講演では、医療安全の課題として、『いかに して医療事故の発生を防止するか、減少させる か。事故が生じた場合に、医師その他の医療ス タッフや医療機関がいかに対応するか。』とい う将来のための視点が重要であるが、我が国の 法的対応は、刑事司法の突出、行政処分の拡大 等、過去を向いた制裁型の対処となっており、 また、場当たり的で平等な適用でもなく、医療 安全に資するところが少ないと意見され、医療 安全のための法的対応として他の道はないかと 提起し、法的システムの改革について具体的な 見解が示された。
その中で、日本の大綱案のポイントとして3 点が上げられると説明があり、1 点目として 「医師法21 条から警察への流れを断ち切る」、2 点目として「医療事故について業務上過失致死 罪には重過失を必要とする」、3 点目として「医 療事故が犯罪に当たるか否かについて専門家の チェックを前置する」との考えが示された。ま た、これらについては、重過失の曖昧さや第三 者機関が警察に繋ぐトンネルになりかねない等 の反対理由が上げられているが、第三者機関の 代案として出されているADR や院内調査では、 医療安全が社会的課題であるという認識はな く、当事者間の問題に矮小化しかねないと指摘 した。
最後に、刑事司法への糸口となる医師法21 条は未だ現存しており、いかにして医療事故の 発生を防止するか減少させるか等について、法 がどのような役割を果たすのかを、今後も引き続き検討していく必要があると意見された。
シンポジウム
(1)弁護人の立場から
ミネルバ法律事務所の喜田村洋一弁護士よ り、本事案に係る弁護人の立場として説明があ った。
始めに、刑事裁判の目的は、検察官の主張と 弁護人の主張を比較して、どちらが正しいかを 判断する(事故原因を究明する)ためのもので はなく、判断対象は検察官の起訴(主張)のみ であり、その正否を判断すれば足りることか ら、必ずしも事故原因について判断する必要が ない場合もあると説明があった。
本事案についても、地裁では、死亡原因は不 明のまま、検察官の「1)吸引ポンプの回転数を 上げたことによるリザーバー内部の陰圧低下、 2)フィルターを閉塞させたことによる陰圧低下」 という主張について、フィルターが閉塞しなけ れば陽圧にはならないが、閉塞を予見すること はできなかったとして、被告人の過失を否定し て無罪との判決を下していると説明があった。
死亡原因については、高裁において「脱血カ ニューレの位置不良による上大静脈からの脱血 不良と、送血の継続による頭部鬱血」と解明さ れ、その上で、被告人の人工心肺操作と患者の 死亡には因果関係がないとして無罪との判決が 下されている。
本事案では、医学の素人である検察官が医学 的に非常識な起訴をしており、その根拠には、 東京女子医大の内部報告書があったためである と説明があった。
この内部報告書は、女子医大の内部において 心臓外科の専門医を除外して構成された委員会 において作成されたものであり、非科学的な推 論と結論が記されていたと説明があり、報告書 の意図としては、大学の責任を不問に付し、被 告人だけに責任を押し付けようとしていたとこ ろにあると意見された。
その後、この内部報告書については、2011年1 月6 日に、東京女子医大と報告書作成責任 者が、佐藤医師に対し、「佐藤医師の人工心肺 の操作が患者の死亡原因であるかのような誤っ た記載があったことを認め、そのことを契機と して、同医師が7 年間に及ぶ刑事裁判で刑事被 告人の地位に置かれ、心臓外科医としてのキャ リアを失うなど重大な苦痛を受けるに至ったこ とについて衷心から謝罪する」と表明したと説 明があった。
(2)当事者の立場から
いつき会ハートクリニック院長の佐藤一樹先 生より、本事案に係る当事者の立場として説明 があった。
始めに、本事案が刑事事件となった契機は、 院内事故調査報告書(内部報告書)を患者家 族がメディアに暴露したことであると説明があ った。
この内部報告書は、心臓外科医が意図的に排 除された委員会で作成されたものであり、一般 的に、現場の医師個人と管理者である病院幹部 には利益相反が存在しているため、大学病院側 は、管理責任を隠蔽するために、「科学的では ない」「根拠のない」「誤操作説」を捏造したと 推測されると意見された。
このような内部報告書により被ったような被 害が今後二度と発生しないためには、事故調査 委員の人権意識のある「公正」な視線をもった 調査が必要であり、そのためには、「報告書作 成終了前に、関係する現場医療関係者から意見 を聞く機会をもうけること」、「報告書に対する 当事者の不同意権と拒否権を担保し、不同意理 由を報告書に記載すること」、この2 点が遵守 されない事故報告書は無効とすべきであるとの 見解が述べられた。
(1)耳鼻科医の立場から
元杏林大学耳鼻咽喉科教授の長谷川誠先生 より、本事案に係る耳鼻科医の立場として説明 があった。
始めに、本事案は刑事及び民事裁判の法的決 着を見るまでに、約10 年に亘る長い歳月が経 過し、現在の医療危機を引き起こす引き金とな った重要な事件の一つであると意見された。
本事案は、刑事裁判の第一審及び控訴審にお いて、検察官は業務上過失致死を主張していた が、地裁、高裁のいずれにおいても無罪の判決 を得ており、また民事裁判の第一審及び控訴審 においては、控訴人らは担当医の診療行為にお ける注意義務違反(過失)を主張していたが、 地裁、高裁のいずれにおいても過失なしの判決 を得ていると報告があった。
この事件は、「善意に基づいた医療行為」の 結果に対して刑事責任を問うという、日本社会 の問題点を浮き彫りにしていると意見され、 「医療過誤を度々繰り返す医師やその他の医療 従事者に対しては、再教育や行政処分等のペナ ルティを課すことは必要であるかもしれない が、その際重要なことは、「善意に基づいた医 療行為」であったかどうか、あるいは本当にそ れが医療過誤であるかどうかの正しい判断をす ることが必須である。」との見解が述べられ、 これらの判断は、医師を中心とした医療関係者 が行うべきものであり、医療について基本的な 教育、研修訓練を受けていない法律家の判断に 任せるべきではなく、医師の自立に基づいて行 われるべきものであるとの見解が示された。
またメディアの対応についても言及し、報道 機関による人権侵害は極めて激しく恣意的かつ 熾烈なものであり、裁判所の最終的な判断が示 された後でも、一部の報道機関は新聞紙面や放 送番組の番組構成により、あたかも医師に過失 があったかのような報道に終始していたと説明 があり、ひとたびメディアの報道対象になる と、抜き差しならない状況に引きずり込まれる という事実を認識しておかなければならないと 意見された。
最後に、「医学は不確実なものであり、その 不確実なものの組み合わせが医療である」とい う認識を明確に持つべきであり、また医療過誤 はある確立で必ず発生するという認識を持って、全てはそこからスタートすべきであろうと の見解が述べられた。
(2)弁護人の立場から
奥田総合法律事務所の小林充弁護士より、本 事案に係る弁護人の立場として説明があった。
始めに、本事案における検察官の公訴事実 (要旨)について説明があり、検察官が主張す る注意義務違反、予見義務違反、結果回避義務 違反と、担当医の行った医療行為との因果関係 について解説が行われた。
(1)弁護人の立場から
関内法律事務所所長の平岩敬一弁護士より、 本事案に係る弁護人の立場として説明があった。
始めに、本事案における問題点として、1)県 医療事故調査委員会報告書、2)鑑定(医療・病 理)、3)逮捕・勾留、4)専門家の意見書を無視 した起訴、5)医師の裁量を過失と捉えた公訴事 実、という5 点が上げられると説明があり、そ れぞれの問題点について見解が述べられた。
本事案では、新聞記事が捜査の端緒であった と検察官は主張しており、その新聞記事には、 事故調査委員会報告書で医療ミスがあったとの 調査結果が公表され、県が過失を認めて謝罪し たことが写真入りで報じられていた。しかし、 県医療事故調査委員会報告書については、第1 回公判の起訴状朗読後に行われた弁護人の冒頭 陳述で、「同報告書は、再発防止の観点と過失 を前提とする損害賠償保険の適用を配慮して作 成されたものであり、被告人の刑事責任につな がる過失を認めたものではない。」と述べてお り、検察官は、甲1 号証として真っ先に証拠と すべき報告書について、証拠請求すらしていな いと説明があった。
また、鑑定書については、警察から鑑定依頼 を受けた鑑定医は、『「私は周産期の専門じゃな くて、一般の産婦人科の専門医であるが、その 知識でしか鑑定できないが、よろしいかと尋 ね」「お願いしますと警察に言われた」』と証言 しており、鑑定意見書の信用性についても問題 があったと説明があった。
更に、逮捕状による逮捕及び勾留の問題点と して、逮捕については、刑訴法第199 条2 項に おいて「裁判官は、被疑者が罪を犯したことを 疑うに足りる相当な理由があるときは、検察官 又は司法警察員の請求により、逮捕状を発す る。但し、明らかに逮捕の必要がないと認める ときは、この限りではない」と規定されてお り、本件は、明らかに逮捕の必要性がないにも 関わらず、担当医が逮捕された事については非 常に問題があると説明し、勾留についても、刑 訴法第60 条において、「被告人が定まった住居 を有していないとき」、「被告人が罪証を隠ぺい すると疑うに足りる相当な理由があるとき」、 「被告人が逃亡し、又は逃亡すると疑うに足り る相当な理由があるとき」にこれを勾留するこ とができると規定されているが、担当医にその 可能性は考えられないことから、勾留について も問題あると意見された。
最後に、今後、本事案と同様の問題を発生さ せないためには、医師法21 条を改正し、医療 行為についての届出を廃止すること。また、専 門家を中心とする公正・中立な第三者機関によ る原因究明と再発防止のための事故調査委員会 を創設する必要があるとの見解が述べられた。
(2)特別弁護人の立場から
日本医師会総合政策研究機構研究部長の澤 倫太郎先生より、本事案に係る特別弁護人の立 場として説明があった。
始めに、特別弁護人とは、「法律以外の特定 の分野に精通した弁護人が必要な場合に、裁判 所の許可を得て弁護士資格のない者でも弁護人 として選任することが可能である。それを特別 弁護人という」と説明があり、本事案において は、担当医に対し、大野病院関係者及び福島県 立医科大学の同僚らを含む本件事件関係者と は、面接、電話、手紙、その他いかなる手段を とるかを問わず、接見、通信ないし交通するこ とを禁じた厳しい保釈条件が付けられていたことから、特別弁護人であった自分だけが社会と の窓口であったと説明があった。
県立大野病院事件における問題点として、 『捜査関係者の医学的知識の欠如』、『遺族感情 に直面する捜査当局』、『調査報告書の問題点』、 『訴訟の遅延』という4 点を上げ、捜査関係者の 医学的知識の欠如については、「関係者は専門 家への聞き取りが不十分であり、専門家への聞 き込みをしないのは、捜査機関の医学的知識が 不十分であることによる。あるいは、封建制、 閉鎖性のイメージにとらわれているのか」と指 摘し、調査報告書の問題点については、「医学 的に“こうあるべき”というのが調査報告書で は、民事的に“賠償すべき”、行政処分を“課 すべき”、刑事責任を“負うべき”と混同されて いる。また、当事者たる病院が作成することに ついては、慎重でなければならない。病院は、 事件の早期解決に利益を有し、積極的に病院の 非を認める報告書となり、これが刑事手続きに 流用される可能性がある」と指摘した。
(3)当事者の立場から
国立病院機構福島病院産婦人科部長の加藤 克彦先生より、本事案に係る当事者の立場とし て説明があった。
始めに、亡くなられた患者様に対してのお悔 やみが述べられ、その後、全国の先生方や多く の方々にご支援をいただき、心から感謝申し上 げたいとした言葉が述べられた。
その後、本事案に係る逮捕から勾留に至るま での経緯や、勾留中の状況、その間の弁護士等 との話し合いの内容等について説明があった。
説明では、「裁判が終わるまでは一切診療が 出来ない状況であり、裁判中は不安で、いつま で続くのか本当に心配だった。このまま続けば 産婦人科医として臨床の場には戻れないと感じ た。」等の発言があった。
日本医師会総合政策研究機構主任研究員の 水谷渉弁護士より、医療刑事裁判の現状と課題 について説明があった。
医療刑事裁判は、戦後から平成11 年1 月ま での約54 年間において137 件であったことに 対し、平成11 年1 月から平成16 年4 月までの 約5 年間において79 件と、その数は急増して いると報告があった。
県立大野病院事件判決以降の特徴として、業 務上過失致死罪での起訴件数及び判決件数は明 らかに減少している状況にあると説明があり、 医療行為による業務上過失致死罪の問題点とし て、「応召義務がある一方で、医療は不確実で あること」、「従うべき規範が明確に示されない こと」、「治療困難な患者に対しても医療が必要 であること」、「医学は常に未解明の部分を含ん でいること」、「常に医療水準に適った医療を提 供するのは困難であること」という5 点を上 げ、医療は人間の生命・身体を対象とする以 上、本質的に不確実なものであり、合理的な疑 いを容れない程度にまで立証が求められる刑事 裁判には馴染まない場合が少なくないように思 われるとの見解が述べられた。
日本経済新聞社編集局社会部厚生労働省・ 医療班担当記者(キャップ)の前村聡氏より、 プレスコメントが述べられた。
コメントでは、これまで報告された3 事件につ いてマスコミの立場としての意見が述べられると ともに、医療事故調創設に向けた大綱案(第三 次試案)と民主党案について説明があった。
日本医師会常任理事の高杉敬久先生より、医 療事故調査制度に係る日本医師会の見解につい て説明があった。
その中で、刑事手法ではない第3 者医療事故 調査機関については、日本医療安全機構を基本 に、日本医師会、日本医学会をはじめ医療界の 関係団体が参加する「第三者的機関」を創設 し、かつ各都道府県に1 カ所以上の地方組織 (医療安全調査機構地方事務局)を設置し、当該機関で行った調査結果については、再発防 止・医療の質向上を趣旨として、医療機関・患 者家族・医師会へ通知し、プライバシーに配慮 した上で公表するが、警察・司法への通知は行 わないとする案について説明があった。
また、届出についても、診療行為に関連した 死亡で、院内事故調査で医療事故によるものと 判断された事案は医療安全調査機構の地方組織 に届け出を行い、故意または故意と同視される もの以外は警察に届ける義務は負わないとする 案が示された。
医師法21 条についても、診療行為に関連し た死亡は医師法21 条が対象とする「異常死体」 に含めないとする改正案が示された。
パネルディスカッション
「医療事故と刑事裁判」
医療事故調査に関する検討委員会委員長・元 日本医師会副会長の寺岡暉先生並びに日本医師 会常任理事の石井正三先生の座長により、医療 事故と刑事裁判をテーマにパネルディスカッシ ョンが行われた。
閉会
日本医師会の羽生田俊副会長より閉会の辞が 述べられた。
印象記
常任理事 稲田 隆司
聞き応えのあるシンポジウムであった。医療界を恫喝し萎縮させる医師法21 条の恐ろしさをま ざまざと見せつけられた諸報告を聞きつつ、この問題はもっと切実に国民にアピールしなければ と思った。
紛争処理担当として時に「あの医者を逮捕して下さい」「開業できないようにしてやる」といっ た被害感情の強さに触れる時があるが、そこに冷静な検証なく捜査当局の権力が加わった場合の 恐ろしさは想像に難くない。ましてや、その端緒が患者さん側への配慮、善意に基づいた(保険 金をおろしてあげたいという事)報告であったり、―ここで「善意」と記したが大野病院事件の 場合、福島県当局のそれもあやしい。加藤医師は、そんな事を書いたら僕は逮捕されてしまいま すよと抗議したが、まあまあとあやふやにされたという― 善意とは程遠い大学病院のパワーポリ ティックスであったり、マスコミの扇動であったりといったこれらの無罪判決事例は、明日は我 が身であり、断固とした組織としての防御・対応策の構築の必要性を改めて痛感した。
これ程までに医療人を痛めつけた力の数々に対して怒りを禁じ得ない。
医師法21 条は眠ってはいない。何も変わってはいない。前執行部が後一歩で21 条を休眠せし め枠をはめる所まで尽力したが、その後の展開は遅々としている。ようやく「医療事故調査委員 会」設置の提案があったが、これとて具体化へ向けて数々の検討事項が山積している。どのよう に法を変え、各都道府県に設立していくのか。現行の医事紛争処理委員会とはどういう関係とな っていくのか。工程表はどうか。大変である。
本シンポジウムは非常に内容豊富で、各地区医師会、マスコミ、県関係者へ全資料の送付を行 った。ぜひお読み頂きたいと思います。
印象記
理事 當銘 正彦
去る7 月24 日、日医総研シンポジウム(以下シンポ)に参加させて頂いた。日曜の丸一日を使っ た密度の濃い、非常に有意義なシンポではあったが、ただひとつ不可思議なのは、以前に参加した 時もそうであったが、会場からの発言は一切禁止という形式で、本来のシンポのあり方とは言い難 い日医独特の会次第であることだが、小生の疑問はさておき聴講しての率直な印象を記したい。
テーマは「更なる医療の信頼に向けて―無罪事件から学ぶ」である。医療事故を「刑事事件」 として取り扱うことで、マスコミをも巻き込んで騒然たる話題を呼んだ3 つの医療事故事案を、 直接の当事者が演題に上がり、それぞれの立場から事件の抱えた問題点を詳らかにした。
今回のシンポの画期的な意義は、これら3 大事件は驚くべきことに、何れも医療者側の不用意・ 不作為な言動が関与して事件化・混迷化していることが明らかにされた事である。
一つ目の東京女子医大事件は、大学当局の医療事故調査報告書が当事者である医師や専門の医 師の意見を全く聞くこともせずに作成され、独断的な推量で人工心肺を担当した佐藤医師の落ち 度による事故との報告をしているが、裁判の検証の中で報告書の内容が間違っていることが科学 的に証明された結果、何とか佐藤医師は無罪を勝ち得たものである。
2 番目の杏林大学割り箸事件は、司法解剖の結果を鑑定した医師が、小児の咽頭に突き刺さって折 れた割り箸(軟口蓋に刺さった割り箸が頭蓋底の頚静脈孔を貫いて小脳に達していた)は、きちんと 診察していれば断端が見えたはずだという先入観からくる意見陳述がなされ、事故の有責性が問われ たとのことである。ところが丁寧な解剖結果の検証により、割り箸の断端は見えないことが客観的に 証明されて無罪は確定したのであるが、この報告を行った杏林大学・長谷川教授の発言は、医事紛 争における不用意な鑑定や参考意見を陳述する医師に対し、厳しい自戒を求める重いものであった。
3 つ目の福島県立大野病院事件に至っては、何をか況やである。事件の発端は、県当局と病院 幹部が患者家族に気を遣い、慰謝料を払う名目として病院側に過失があったという報告書を作成 したとのこと。その新聞報道を見て、これは業務上過失致死に相当するとの判断で警察が加藤医 師を逮捕したのである。患者家族の無念に思いを重ねるのは大事なことではあるが、表面的に取 り繕うことで丸く納めようという県当局と病院幹部の対応は余りにも安直であり、困難な医療に 立ち向かって頑張っている医師への冒涜でもあろう。
以上のように3 大事件の生々しい報告が直接的に関与した医師や弁護士から為されたのであるが、 何れの事件においても医師側の不用意・不作為の言動が大きく影を落としている。本シンポの行われ た翌7 月25 日のm3 ニュースに、『医師逮捕、刑事事件化、防ぐのは「医師の自律」』という見出しで 以下のような記載が載った。「医療事故が刑事事件化することを防ぐには、第一に医師の自律が不可 欠であることが浮き彫りになった。医療事故が刑事事件化するきっかけとなるのは、院内事故調査委 員会の報告書である場合が多く、警察の捜査から起訴、公判に至る過程で検察側を支えるのは医師 の鑑定書であるからだ」と。まさに、今回のシンポを聴講して受けた私の率直な印象と一致する。
そして今回のシンポの更なる重要な意義は、医療事故をこの様に刑事事件化して争っても、全 く不毛であることが実証されたことである。即ち、「医師法21 条」の問題と共に「業務上過失致 死」という刑法上の概念で医療事故を裁いたところで、事故の真の究明には繋がらないばかりか、 多大な労力と時間を消耗するだけで、患者側にも医療者側にも何の利益も齎さないものである。 逆に、風評被害により第一線で活躍する医師が消えたり、事件を契機に萎縮医療を招く結果とな ったりと、医療上の社会的損失は極めて甚大である。
民主党への政権交代によって立ち消えとなった医療安全調査委員会・大綱案の問題も正にその 一点にあったのであり、医療事故に関する調査機関と刑事捜査とが最終的に連動することを容認 する大綱案であったから、全国的な強い反対運動が起こったのである。現在、日本医師会が検討 委員会を組織して「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言」作成しているが、その熟考し た仕上がりに期待したいところである。