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沖縄県医師会災害救助医療班について(第12陣報告)

普天間光彦

ハートライフ病院内科 普天間 光彦

第12 陣は私を含む5 名のメンバーでした。 第12 − 1 陣として5 月8 日に私とおもろまちメ ディカルセンターの島袋看護師が、第12 − 2 陣として5 月10 日に琉球大学附属病院の栗山 医師と若松病院の小泉看護師、医師会職員の久 場さんが那覇空港を出発しました。朝に那覇を 出発し、岩手県に到着したのは夕方になってい ました。5 月だというのに少し肌寒い気温でし たが、先陣が経験したような苛酷な寒さはあり ませんでした。花巻空港から大槌町まではタク シーで2 時間ほどの道程で、途中に柳田国男 の「遠野物語」で有名な遠野市を通過した際には 川沿いに桜並木がきれいな花を咲かせていまし たが、見物している人が誰もいないせいなの か、被災地へ向かうという緊張感からか、華や かな風景には映りませんでした。遠野市から大 槌町までは狭い山道を1 時間の行程です。曲が りくねって視界が悪く、対向車とすれ違うのも 神経を使い雪中や夜間は遠慮したい道でした。 山あいの道を抜けると景色が明るくなり川沿い の平野や海岸線が広がっていますが、そこから 風景が一変し、まるで戦争でもあったかのように全てが破壊され、全てが流されていました。 写真や報道で予想していたとはいえ、現実を目 のあたりにすると想像を絶するものがありまし た。当初はなるべく早く日常生活が取り戻せる ように接しようと考えていたのですが、あのガ レキの山を目のあたりにすると、そのような気 持ちにもなれずに茫然とするばかりでした。

我々が現地入りしたのは災害から約2 か月経 過した後で、災害医療ではなく医療支援がその 活動の中心でした。大槌町は県立病院、開業医 と全ての医療機関が被災し医療が崩壊しており、 沖縄県医師会の救護所と自衛隊の医療班、赤十 字の巡回診療が主な医療支援でした。その中で も沖縄県医師会の活動は、24 時間常駐し、医師 2 〜 3 人、看護師2 〜 3 人、事務1 〜 2 人と人員 も充実しており、また、希望者で構成されてい る点でもとても高い評価をいただいておりまし た。5 月に入ると周囲の医療環境も徐々に整い つつあり、4 月下旬から5 月初旬にかけて県立 大槌病院が近くの神社内に仮設診療所を開設 し、2 人の開業医が仮の診療所で診察を開始し ていました。薬局は被災された地元の方が私た ちの診療所内で活動しており、宮崎県からは保 健師の方が3 人のチームで支援に来ていました。 また、心のケアチームやリハビリチームが巡回 で診察に来ていました。私たちの活動は主に来 所された方の診療が中心ですが、緩和医療が専 門である栗山先生は保健師さんと同行して巡回 し、心のケアを担当していただきました。

物資に関しては、各々の班が沖縄から運び込 んでおり、第12 陣ともなると充実しておりま した。また、人員を分けて送る事により申し送 り業務が円滑に行なわれ、とても良いシステムだと思いました。

私は当初、医療班に参加する予定はありませ んでしたが、そろそろ内科も必要な時期だと言 う情報を得、急遽申し込みをしました。

翌日には医師会から返事のファックスがあ り、1 か月後の出発が決まりました。急な出来 事で、他の医師や職員、外来スタッフには大変 迷惑をおかけしました。内科医として参加した 感想としては、多少のもどかしさを感じたのも 事実です。一週間という期間ではほとんどの患 者と1 回しか話をすることが出来ず、急性疾患 であれば問題はないのですが、慢性疾患や不安 を抱えている人へ対応するにはもっと時間が必 要だと感じました。逆に内科医として対応でき た事として、「これはおたふく風邪ではないで すか?」、「この病気はうつりますか?」など感 染症に対してとても敏感になっている住民に対 して、大丈夫うつりませんよと安心させられた 事は良かったと思います。このように災害時と いう特殊な環境下で貴重な経験をさせていただ きました。

以下は現場での出来事です。

私たちが到着したその日の夕方に吉里吉里体 育館(井上ひさしの作品名にもある地名)とい う避難所から小学生〜高校生の8 名ほどが胃腸 炎症状で来院しました。同じ食事は摂っていな いとの病歴より、当初はノロウイルスによる胃 腸炎も疑われ緊張した空気が流れましたが、ス タッフが速やかに行動し、特に混乱することな く対応することができました。ICD の資格を持 っていらっしゃる吉田医師と鈴木看護師、田名 看護師の11 陣のメンバーと12 陣が一緒に診 察・投薬等はもちろん、次亜塩素酸による環境 消毒、感染廃棄物の処理、隔離、専用トイレの 確保まで滞りなく処理し、翌朝には釜石の本部 へ連絡を入れて一段落しました。後日、調査に 入った保健師から食中毒らしいという報告を受 けました。

次はある昼間の外来での出来事です。

腰が痛いと診療所へ来られた方がいました。

その方へ看護師が一言。

「クシヤミ〜するの?」

思わず(あれっ、方言を使ってる)。

でも患者さんも違和感なさそうに

「そうそう」と。

「いつごろからですか?」

と何事もなかったように会話が進んでいきま した。

言葉ってニュアンスで通じるものなんですね。

保健師さんとの申し送り。

保健師さんは前記のように宮崎県から3 人チ ームで支援に来て、避難所内を巡回しながら住 民の健康状態や精神状態をチェックしていまし た。住民から苦言・苦情を言われる事もあるの ですが、みなさんとても優しく献身的な人ばか りでとても感動しました。5 月8 日から宿舎を 遠野市へ移し、避難所での24 時間待機が終了 した際に保健師との情報交換を夕方より変更す る必要があり、みんなで食事を摂りながら「ラ ンチョン・ミーティング」をやってみましょう と提案しましたが、実際に食事を準備してミー ティングを始めてみると誰も手を付けず、あっ たかい食事が冷え切ってから食べる事になる結 果となり、「横文字の会は日本人に合わないね」 との結論で食後の情報交換に落ち着きました。

他県の支援者から良く聞かれたのが、どうし て沖縄の医師会はこんなに早く活動できたの か?こんなに協力してくれる医者やスタッフが多いのか、と驚かれていました。今回の県医師 会の医療支援は迅速性、継続性、内容ともに高 い評価を受けており、その一員としてとても誇 りに感じました。

今回の派遣に際して感じた事は、被災地では 色々な職種が必要とされている事です。医者に 関しても、救急医だけでなく心のケアの重要性 が認識され、派遣先の大槌町では外科医不足が 問題となっており、眼科、耳鼻科、皮膚科のニ ーズも高いものがありました。また、他職種で は、看護師や薬剤師はもちろんですが、保健 師、理学・作業療法士、栄養士なども活躍して いました。今後は、このような他職種とも連携 した支援が出来る体制が必要だと思いました。

最後に、このような機会をいただいた沖縄県 医師会と快く送り出してくれたハートライフ病 院のスタッフに感謝します。