ぐしかわ皮フ科 當山 兼正
僕の人生のメインテーマ(モチーフ)は自分 って何?世界って何?である。
人(歩いて行くひと)は移り行く時間のなか で様々なひと、生き物、事物と出会ってゆく。
思春期の頃「河のほとりに」と「カントリー ガール」しか知らなかった<谷山浩子>のベス ト盤CD アルバム「白と黒」に最近ツタヤで出 会った。聴いてみると、昔からずっと探し求め ていたものに出逢えた気がした。ライアル・ワ トソン、村上春樹、エヴァンゲリオン以来の衝 撃であった。即日、購入して、今では毎日の様 に聴いている。なかでもお気に入りの「学びの 雨」を代表して紹介する。
乾いた大地にしみこむような
恵みの雨 潤す力
何もない荒れ地にも 花は咲くだろう
一粒の種がここにあるかぎり
知らない言葉を覚えるたびに
この世界を 抱きしめて行く
月の満ち欠けの訳を 記号や数の意味を
涙と諍いが織りなす 人の歴史を
色あせた一冊の本
羽ばたき飛ぶ わたしの翼
乾いた生命にしみこむような
学びの雨 わたしは生きる
広い宇宙の中の 塵のひとひらでも
まばたきほどの 短い時間でも
わたしは生きてる わたしの場所で
支えながら 支えられながら
いつか会えるだろうか はるか遠い国の
どこかで生きている まだ見ぬ明日の友達
この詩はニューヨーク同時多発テロの直後、 TV 等で報道されるアフガニスタンの子供達の 姿を見て、感動して作ったものとの事。幼年期 に遡る様なピュアでスキゾフル、広大な世界 観、宇宙観が観て取れる。
その他、学生から社会へ出て行った時の心象 風景を語った「窓」。この歌は、僕が学生時代 に彼女の歌と知らずに聴いていた覚えがあっ て、三十年ぶりに再会した歌でもある。
自己の存在を見つめる自意識を語った「神 様」。ドッペルゲンガーとまではいかなくとも、 自己分裂の萌芽の様相を呈しており、離人的で、 幼少期の僕自身ともかぶってしまう内容だ。
自ら外界から閉ざし、美しく構築された妄想 世界のなかに佇む妄想族の恋愛世界を詩った 「王国」。ゲド戦記のイメージを下敷きに書いた との由。ゲド戦記と言えば、スタジオジブリの 宮崎駿の子息である宮崎吾朗がアニメ化して監 督デビューした作品であるが、テーマソングの 「テルーの唄」の作曲は谷山浩子が手がけた。 作詞は吾朗自らが作っており、彼と父親との関 係が伺われるシンプルで判りやすい詩だと思 う。僕の勝手な解釈だが、「お父さん、厳しい この戦いの世界のなかで、僕は足手まといです か。付いて行って学びたいんです。」という声 が聞こえてきそうである。
彼女のその他の歌詞でも、同音の繰り返し や、意外性のある言葉の組み合わせ、関係性の 判りにくい言葉の使い回しがみられ、分裂圏の 用語である「言葉のサラダ」や「常同行為」と いった言葉が浮かんでくる。
彼女は、僕の友人の大好きだった中島みゆき と同世代でデビューし、その後も同じ様に現在 に至るまで創作活動を続けている。僕のみる 所、中島みゆきよりもはるかに天然度数は高 い。最近、「まもるくん」という歌が、その奇 妙な歌詞で、ブログ上で若者の話題になってい る様だ。
新宿の地下道の壁から出てくるまもるくん
壁から生えてる ななめに生えて笑ってる
途中省略
空から生えてきて
地表をくまなく 埋めている
以下省略
シュールである。声は癒し系の高音なのに、 詩の内容は非常に奇妙でスキゾチック、幻覚タ イプの内容だ。
自らのスキゾ心性を知るものは、谷山浩子に 注目!である。
僕等スキゾのみちを歩むものたちは、不安に 満ちた世界に生きているが由に、もっと世界を 知りたいと願うものたちである。
追記
ところで、ヒト科の他族は何族?だろう?
正常族?などとありえるのだろうか?
僕には今のところ、ボーダー族と躁鬱族しか 思いつかない。どちらもスキゾ族の近縁で親戚 みたいなものである。昔、読んだ本によると、 世の中にはシゾイドと愛情乞食しかいないとあ った。愛情乞食はボーダーに相当すると思われ るので〜ということは〜人類の大多数はスキゾ 族関連?ということか?