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縄文土器と弥生土器

藤田次郎

琉球大学大学院感染症・呼吸器・
消化器内科学(第一内科)教授
藤田 次郎

物にはめぐり「会う」のだと思う。

教授室には様々な物があるが、稲嶺盛吉さん の琉球ガラスと、故島常賀氏のシーサーと抱瓶 が輝きをはなっている。

稲嶺盛吉さんの琉球ガラスとの出会いは、医 局の秘書さんが、冷茶用のグラスをプレゼント してくれたことであった。そのグラスは今も愛 用しているが、素晴らしい質感と涼しい色合い を持っている。

その後、2005 年8 月、石垣島に旅行した際 に、請福酒造という店を訪ねた。酒造所である ので当然泡盛を購入するつもりで店に入った が、むしろ目にとまったのは、店内の棚に並べてあった稲嶺盛吉さんの作品であった。泡盛は お土産用のもののみ購入し、一目惚れした稲嶺 盛吉さん作の琉球ガラスを店主に頼みこんで売 っていただき、飛行機の中で大事に抱えて帰っ た。その後は、年数をかけて気に入ったものを 購入し、自宅で使用するガラス食器は全て稲嶺 盛吉さん作のものとなった。

さて2007 年9 月に沖縄県企業局が企画した 「第3 回沖縄の水 デジタルフォトコンテスト」 という催しで、中学生部門の特別賞に息子の撮 った写真が選ばれた(図1)。写真は普通のデジ カメで撮影したものなので、稲嶺盛吉さんのガ ラスの素晴らしさが賞に選ばれた最も大きな要 因であると考えている。

図1

図1 自宅にある稲嶺盛吉さん作の琉球ガラス
(藤田祐介撮影、第3 回沖縄の水 デジタル
フォトコンテスト特別賞受賞、2007 年9 月)

次は島常賀氏の作品との「出会い」である。

琉球大学医学部に赴任してしばらくしてか ら、琉球大学のキャンパス内に素晴らしいシー サーが2 体あることに気づいた。この2 体のシ ーサーが故島常賀氏作であることは、事務方か ら聞いた。島常賀氏について調べると、沖縄県 ではシーサー作りにおいては、右に出るものは いないと称される、シーサー作りの名人である ことがわかった。

2007 年7 月に、写真家三好和義氏を沖縄に 招き、琉球大学医学部の風景を写真に収めても らった。中庭や病棟の風景、琉球大学医学部の全体像の写真と共に、島常賀氏作のシーサーの 素晴らしい写真も出来上がった(図2)。もちろ んシーサー本体のパワーもすごいが、それに負 けないだけの素晴らしい芸術的な写真であると 思っている。

図2

図2 琉球大学医学部のキャンパスにあるシーサー
(島常賀作、常賀のサインが見て取れる、三好和義氏撮影)

シーサーは守り神である。私はこの写真を、 自分が学会長であった第61 回日本呼吸器学 会・日本結核病学会九州支部 秋季学術講演 会(2008 年11 月6 〜 7 日)のプログラムの表 紙に使った。学会期間の天気予報は雨であった が、2 日間とも天候に恵まれ、11 月にもかかわ らず気温はどんどん上がり夏日を記録した。学 会そのものも医局員の尽力で成功したが、沖縄 コンベンションセンターに集まっていただいた 県外の方々に沖縄の青い海を見てもらったこと が嬉しかった。

学会が終了した次の日、故島常賀氏の家にお 礼に行こうと思った。漫画「美味しんぼ」28 巻を読んでおり、島常賀氏の自宅が壺屋にある ことは知っていたものの、何の下調べもせずに 壺屋に向かった。当然のことながら島常賀氏の 自宅は見つかるはずもなく、壺屋の細道で迷子 になった。そこで、たまたま道の片側に駐車し た車から降りてきた中年の男性に、「島常賀さ んのお宅はどこでしょうか?」と尋ねたとこ ろ、「なんで島常賀の家を探しているのです か?」と逆に尋ねられた。学会のプログラムを 持っていたので、琉球大学に勤務する医師であ ることを告げ、プログラムを見せたところ、納 得され、「私は島常賀の息子です。これから案内します。」という信じられない展開となった。

故島常賀氏の自宅には、もう誰も住んでおら ず、鍵もかかったままであった。中に入ると自 宅は「美味しんぼ」に出てくる絵とそっくりで あり、「美味しんぼ」の作者も取材に訪れたの だと理解した。自宅内には作りかけのシーサー などがあったものの、晩年のものであるせい か、力は乏しいように感じた。息子さんは何を 思ったか、2 階に上がり、見事なチブルシーサ ーを抱えて階段から降りてきた。このような経 緯で、故島常賀氏作のチブルシーサーが教授室 に鎮座することになった(図3)。島常賀氏の自 宅の2 階に長く保管されていたものである。私 は、このシーサーを「桃太郎」と名付け、可愛 がっている。

図3

図3 島常賀氏作 チブルシーサー
故島常賀氏のご自宅の2 階に、長年置いてあったもの。
不思議な縁で私の部屋に収まることになった。
常賀のサインも見てとれる。「桃太郎」と命名した。

2011 年3 月11 日の東日本大震災の直後、不 思議なことがおこった。たまたまインターネッ トで、島常賀氏作の抱瓶を見つけ、出品者と連 絡を取ったところ、相手は東京に住む上品な女 性で、「沖縄の方で、島常賀さんのものがお好 きな方ならお使いください。無料でどうぞ、送 料もいりません」という信じられない展開にな った。もちろん送料まで無料という訳にはいか ず、震災の義援金も含めて若干の金額を後で振 り込んだものの、見事な抱瓶が教授室の棚に収 まることになった(図4)。私はこの抱瓶を「龍次郎」と名付け、その力強さに感嘆しながら眺 めている。非科学的ではあるが、大地震にもか かわらず、奇跡的に無傷であった「龍次郎」を、 教授室の「桃太郎」が、「故郷の沖縄に戻って おいで」と呼んだのではないかと思っている。

図4

図4 島常賀作 抱瓶
大震災直後、無料で良いという東京の見ず知らずの女性から
私の部屋に届けられたもの。底部には常賀のサインが入っている。
「龍次郎」と名付けた。

さて私が大学時代6 年間過ごした岡山には、 小谷真三さんというガラス職人がいて、倉敷ガ ラスを製作していた。小谷真三さんの作るガラ スは非常にシンプルで透明性の高いもので、稲 嶺盛吉さんの泡ガラスとは対照的である。また 陶器では、人間国宝を輩出する有名な備前焼の 産地がある。備前焼は素焼きの非常にシンプル な陶器である。

香川大学医学部に勤務していた頃に、高松市 の自宅で用いていた器は、ガラスは全てが小谷 真三さん作の倉敷ガラスで、陶器の多くは備前 焼であった。沖縄の生活では、ガラスは全てが 稲嶺盛吉さん作のものを使用しており、陶器の 多くは、小橋川清正さん作(沖縄サミットの際 に使用した食器の製作者)の壺屋焼を用いてい る。岡山で生まれた器と、沖縄で生まれた器を 比較すると、前者はシンプルで模様の少ない弥 生土器であり、後者は紋様が多く立体感のある 縄文土器であると感じる。何千年の時を経て も、民族の持つ芸術性遺伝子は引き継がれてい くものであると考えている。