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仏像の魅力に魅かれて

金城浩邦

医療法人千鶴会名護皮膚科
金城 浩邦

今日まで、私にとって仏像とは所詮人が造っ た造形物であり、それ以上でもそれ以下でも無い と思っていたが、たまたま奈良県の興福寺の阿修 羅像を拝見した時に、純真な少年の面影をとど める凛々しい像に何らかしら分からない秘めた力 を感じ、自分なりに仏像とは何かというと思いか ら、今回投稿しようと思い筆をとりました。

お釈迦さまと仏像の誕生は、紀元前6 〜 5 世 紀ごろ、インドのシャカ族の王子として生まれ たゴータマ・シッダールタ(後の釈尊)は、周 囲の人々が生老病死などで苦しむ姿をみて心を 痛め、妻子を捨て29 歳で出家します。苦行の 後、菩提樹の下で瞑想に入り、35 歳で悟りを 開きゴータマ・ブッダとなります。80 歳で入 滅するまで、人々に人間としての正しい生き方 や、苦しみから逃れるすべを説法しました。

釈尊の遺体は荼毘(火葬)に付され、舎利 (遺骨)はこの上なく尊いものとして壷などに 収めて、国王らに分配されました。この舎利や、さらには遺灰、壷などを安置するためのも のとして仏塔が造られ、礼拝されるようになり ます。この仏塔の基壇や四方に設けられた塔門 に刻まれた仏伝彫刻が仏教美術の起源です。

多種多様な仏像は、それだけ救われたい心が たくさんの仏像をうみ出し、仏像の美は信仰の 対象であり、芸術的見地からのみ鑑賞すべきで はないという考え方もあり、美の基準はさまざ まで、まず造形として優れ、それは仏像が時代 時代の最も理想的なヒューマン・イメージとし て、心と技を尽くして造られていることが多い からだといえると思います。すなわち、信仰心 と時代がもたらす美なのです。しばしば仏像に 手を合わせ、願い事をする人々が多いのです が、それはどうでしょうか。

結論から先にいえば、願い事をするかしない かは個人の自由に属する問題です。実際、寺院 に行けば、そこで祀られている仏や菩薩は、交 通安全から安産・子育て、厄除け、病気回復、 商売繁盛、学業成就と実にさまざまな願い事を 受け付けてくれています。ただ願い事をする際 には、その仏にも願いがあるということも知っ ておきたいものです。

キリスト教でもイスラム教でも、神様は願え ば何でもかなえてくれる都合のよい存在ではあ りません。仏教でも同じことです。けれども仏や菩薩は私たちの願い事をはねつけるようなこ とはしません。願うなら、人々を救いたいと願 う仏の慈悲にまず感謝する気持ちが大切です。

以上の事を気にしながら、全国の寺社をゆっ くりと時間をかけて観て回り、それによって何 らかの覚りが開けば幸いです。