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夏山の思い出

久田友治

琉球大学医学部附属病院手術部
久田 友治

大学生時代はワンダーフォーゲル部に所属し ていた。入部の理由は、沖縄にはない山への憧 れと手足の器用さが要らないことだ。器用さは 要らなくても、体力は必要であった。教養部キ ャンパスの後にある小高い公園まで走って上っ た。歩荷(ぼっか)と呼ばれる、他の部員や砂 袋を背中に担いで長い階段の昇り降りを何回も こなした。実は入学時の体力測定で“劣る”と 判定され、初めの体育は特別クラスであった が、これらの訓練で足腰は人並みになったと思 う。練習後に緑の木々に囲まれた公園で飲むビ ールは何とも旨かった。新人歓迎コンパで飲ま された甘ったるい二級酒とは違い、麦の味がし た。もう一度味わいたいが叶わない夢だ。

福岡に住んでいたので、どうしても九州の山 へ行くことが多かった。九州の山は険しい所が なく、女性的である。写真1 は何度も行った九 重山系。リュックの中は2 リットルの飲み水を 入れたポリタンク、寝袋、ガスコンロ、食糧と して米や野菜、塩漬けにした安い豚肉、高野豆 腐・・・。メニューはたかが知れているが、豚 汁、チャーハン、炊き込みご飯など。因みに山 で酒は厳禁である。山の上で質素な食生活をして平地に下りて来ると、学生食堂で食べる素う どんでも旨かった。

写真1

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1 年の時の夏合宿では奥秩父から八ヶ岳を歩 いた(写真2)。北アルプス、南アルプス、北海 道へと行く他のグループの先輩から「この縦走 は長いぞ」と脅かされた。それはウソではな く、十日以上かけたこの行程は実に長かった。 山では午前3 時に起きる。ご飯と味噌汁そして メザシの朝食を終え、テントをたたんで、夜明 け前には出発だ。夏山では雷が鳴る前に次の宿 泊地に着かなければならない。ひたすら上っ て、上って、また下るだけだ。合宿後にドイツ 語の試験をひかえていたので、苦しさを紛らわ そうと、デア、デス、デム、デンと唱えながら 登った。しかし、歩荷で鍛えて人並みになった はずの足腰では充分ではなかった。汗をびっし ょりかくので、喉が乾いて水を飲みたくなる。

写真2

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しかし、先輩から水は飲むなと厳しく何度も云 われた。“水を飲むとへたばる”というのがそ の理由であり、今になって思うと、そんなエビ デンスがあったのかと恨めしくなる。その頃は EBM がなかった。そして、山の水は掛け値な しに旨い、冷たくて何かあまい味がする。喉が 強烈に渇くので「うがいです」とごまかしなが ら、ポリタンクの水を飲んだ。

昨年「中高年のための青春18 切符」との本 に触発され、小海線に乗った。小海線は八ヶ岳 高原線とも呼ばれ、長野県の小諸から山梨県の 小淵沢まで走る。中高年と云えども時間がない ので長野新幹線を利用して途中の佐久平駅から 乗車した。鈍行に揺られながら、二十歳前に登 った神々しい八ヶ岳を遠くからではあるが、眺 めることができ、久しぶりに感動した。