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お墓をつくる事になった

赤嶺和成

和ウィメンズクリニック 赤嶺 和成

小禄を含め南部地区には門中が多い。

門中とは沖縄だけでなく中国・朝鮮半島・ベ トナムなどの一部に見られる父系の血縁団体の 事である。御酒手(ウサカティー)という分担 金を収め決められた行事に参加し、死んだ後は 門中墓という御先祖様の祀られた墓に入るとい う仕組みだ。この一例が総勢5,000人といわれ ている糸満の幸地腹・赤比儀腹一族による幸地 腹・赤比儀腹両門中墓で門中団結の象徴となっ ている(写真1)。門中家系はあくまでも女系や 他系が混ざるのを拒み、女性は結婚や離婚、又 訳あり死亡によっても墓に入れず、それに継ぐ 事も許されないそうだ。しかも継続相続は長男 優先であり、父系のこだわりがあって娘婿はあ りえないようだ。

帰省して初めて親がこれまで門中へウサカテ ィーを納めていた事が判った。子供の頃は清明 際で遊んだ思い出もあったが、東京では門中の事を考えもしなかったので、平日にもかかわら ず皆さんが行事に参加する事にカルチャーショ ックを受けてしまった。

それまで僕は沖縄の暑さと仕事の忙しさにか こつけ、首里拝みと七夕の前の墓掃除に参加す る事で義理をはたしたつもりでいた。

写真1

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ところが平成元年開業の年に門中行事担当番 である(ムイメー)に当たった時、認識の甘さ を思い知る事になった。夫婦2組でその責を担 ったわけだが、平日仕事を休めないためかみさ んに負担を掛けざるを得なかった。困った僕は 元家(ムートゥヤ)に行事内容と日程の再考を お願いしたが殆ど変更は出来なかった。

とはいえ地元で開業したので責任を放棄する 訳にも行かず、必死に1年間全うしこれでムイ メーを終えたつもりでいた。ところが数年後の 当番表に自分の名前を見つけた時正直驚いた。 我が門中の家族構成を考えたら担当はありえな いはずだった。何故このような事が起こるの か。本当に門中の運営管理はしっかりなされて いるのか。そうした門中に対する疑念は深まる 一方だった。そこで止む無く予てから考えてい た事を実行に移す決心をした。そう、お墓を作 り門中を抜けるしかないと。

先ずひたすら門中について調べた。いろいろ 読んでみると少しずつ門中の概要がみえて来た。門中には父の告別式を含め大変世話になっ た。しかし時代を考えると誰もが負担なく参加 出来るようでなければ何れ破綻するだろうなと 思えてきた。それを一朝一夕で変えるのは難し く、僕は門中から独立し墓を作る意思をさらに 固めた。

今年の初起こし(旧1月2日)に父の洗骨 (カチワリ:安置された骨壷から火葬された骨 を出しご先祖の骨と混ぜる事。合理的にされる 事もあり門中によりその時期は異なる)が門中 で決定された。それを絶対に避けたい母と弟の協力も得られる事になり、先ず墓地の選定から 始めた。ネット・新聞広告・本を読んだが、候 補地の少なさと値段の高さに驚きながらも、母 とかみさん、時に弟も一緒に墓地の見学に行っ た。最終的に立地条件の良さと公益法人である 事から糸満の清明の丘に決めた。交渉に入り、 同時に内地の弟達の意思を確認して家族全員の 意見で契約にこぎつける事が出来た。

下準備が整い、いよいよムートゥヤへ報告す る事になりそれを弟と母に託した所、条件が出 た。それは伯母とその従兄弟に了解を得る事だ った。役は僕が受け日を変え各々に説明し事情 を解かって貰えた。有難い事にそれからも従兄 弟は何かと僕らの援護をしてくれた。

次に門中の皆さんに説明し了承を得る段階になった。

3月のある土曜日、門中の主だった皆さんに ムートゥヤに集まって貰った。話し合いは前例 のない事だったのでそれなりの覚悟と緊張で臨 んだ。ところがあっけない程に短い時間で終わ り、お墓のお参りも許して貰えた。その際触発 されたのか我々の事以外にも多くの問題提議が あり、今後の門中のあり方を話し合う為に委員 会を発足させる事も決まった。それは門中を離 れる僕らにとって本望だった。

今回はとてもうまくいった一例に過ぎないと 思う。従来ならその難しさに諦めたはずだっ た。洗骨(カチワリ)を避けたいという母親の 強い気持ちと門中の皆さんが変わって行く未来 を汲み取ってくれたからだろう。

今夏待望のお墓が完成する。納骨式には内地 の弟達も参加する事になると思う。それを一番 楽しみにしているのはやはり母に違いない。