琉球大学医学部附属病院皮膚科
細川 篤
緑蔭の涼しいところで、頭を冷やして、最 近、特に気になることを考えてみた。
最近、この数年間、進化したチョコレート、 進化するラーメン、進化する○ ○ 科学 書−−−−−など、進化という用語が頻繁に、 日常的に使われるようになった。ダーウイン生誕 200 年周年記念が関係しているのかもしれない。
「進化」と「進歩」「発展」−−−などと混 同しているのではないかと考えられる。
進化は、ある種( s p e c i e s ) が他の種 (species)に変わることを意味する仮説で、あ る種から他の種への移行を実証する科学的証拠 が一つもなく、進化論は「論」「仮説」であっ て、科学的な裏付けがないことを、明治維新後 の動物学者E.S.モースらによる教育もあったこ となどをあらためて思い出す必要を感じた。私 も生物学科(動物学)卒で、進化論にかぶれて いた。そして卒論では進化論を証明しようとし て別の結果が得られた経験がある。幸い2 つ準 備していたので他の卒論が受理された。
しかし、毎日、繰り返し、何度も「進化した ○○」、「進化する□□」−−−−−と見聞きし ていると、ほんとうに進化があるように思われ てくるから不思議だ。少なくとも、科学者は 「進化」という言葉を慎重に使う必要があるの ではないかと思った。
また、新しい進化論、ネオ・ダーウイニズム などどいう表現なども基本的には同じものなの で惑わされないように気を付けたい。気を付け るといってもピンとこないかもしれない。例え ば、ネオ・ナチズムなども気を付けたい。ヒッ トラーが熱心な進化論者だったこと、多数の肢 体不自由者や精神に障害のある人々を抹殺した こと、レニングラードで敗退した際、彼の「ス ラブ民族はゲルマン民族より優れていた」とい う発言、ホロコーストなどを忘れないようにい たい。
これだけ、進化という言葉が日常生活に浸透 した現在、この理論(仮説)の本質を、特に医 師を含め科学者はシッカリ吟味し、用語の誤用 について世論を修正する立場にあるのではない かと思ったりした。
世界経済、特に日本経済(医療経済も)、テ ロや地震多発傾向と原発を含む環境問題、民族 紛争−−−これまでに、ヒトが経験しなかった ことを体験する状況にあって、今年の夏は、い っそう暑くなりそうです。だから、時には、自 然のなかで自分を取り戻すゆとりをもちたい。