浦添総合病院 金城 俊一
「いい研修医をたくさん育てような!」そう 言って宮城征四郎先生は車の窓から拳を高く突 き上げ走り去られた。群星が発足した2005 年 4 月の教育回診終了後の事であった、この時私 は「良い研修医」を育てる意思を持ち続けるこ とが指導医の役割であり、絶えずそのことを思 い、周りに発信していくことにより改めて自ら を指導医として自覚するのだと感じた。「どん なに言葉を尽くして、思いを尽くして話をして も理解されない時もあります」慶田喜秀先生は 寂しそうにおっしゃられた。私が研修医として 医師の道を歩みだした頃、私の拙い説明では病 状に関する理解を得ることが出来ずに興奮され ている御家族に対して、当時の指導医であった 慶田先生は自ら御説明された後に私にこの様に 言葉をかけて慰めてくれた。この時のことを思 い出すときに私はいつも指導医とは研修医を見 守り、また研修医が危機に瀕した際には研修医 を守る存在であるということを知った。「わし が10 教えることがあれば、君達はわしに1 教 えなさい」とは喜舎場朝和先生の言葉だが、こ の言葉を聞いた当時は多数の文献を読みこなし 知るべき知識や新しい知識を後進に惜しみなく 分け与えることだと考え興奮していた。もちろ んその通りだが現在では指導医は常に教育的な 態度をとるべきであり、また教育者は常に謙虚 に新しい知識に耳を傾けるべきだと理解するよ うになった。「私のパールをあげましょう」回 診中の廊下で安里浩亮先生から私達はミニレク チャーを授かった。それは臨床・文献・研究を 含めたまさに真珠のような至言であったが先生 は惜しみなく教示してくれた。この光景を思い 出す度に指導医とは自分の持つ最良の部分を後 輩に熱意を持って分け与える者でなければなら ないということを解った。「君達が何科になる にしても子供を診ないといけない時があるだろ う!」小児科をローテーションした私達に対し て吉里時雄先生は熱心に一般小児科学を指導さ れた。その時に得た知識は現在でも子供を診察 するときの礎となっている、このことは私に、 例え教え子がどのようなレベルや目標を持つ者 であれ区別することなく愛情を持って一定の教 育を行う事の重要性を教えてくれた。「君は抗 生剤を解熱剤として使っているね」齋藤厚先生 は私をそう叱責された。どのように考えに考え た選択であれ医学は科学である、証拠もないま まに推測と消去法と屁理屈で行われた行為に対 して指導医は厳しく叱責しなければならない、 また相手がいかなる年齢であれ間違った事は追 求しなければならない。この言葉から私は学問 としての医学の厳しさと、甘えを許さない指導 医としての厳格な姿勢を学んだ。
私の研修医時代と現在では情報の速度は格段 に異なる。Web に接続できる研修医なら最新 の情報を直ぐに集めることが可能であり場合に よってはその知識は上級医を凌駕することもあ るだろう。また手技に関してもシミュレーショ ン人形や視覚・聴覚教材の進歩は技術の向上に 大きく役立っている。現在の研修医は賢く、ス マートであり、基本的なことは実習されており さらに横のつながりも強固であり時にズルイ。 しかし同時に彼等は繊細であり傷つきやすい存 在でもある。私が現在考える指導医像とは彼等 のより良い可能性を導き出す厳しい親としての 存在である。子供に惜しみなく愛を注ぎ、子供 が自立できるように教育や生活態度の指導を行 い、子供が間違った事を行えば厳しく叱責し、 子供に困った事態がおこれば必要な援助を与 え、予想以上にうまく仕事をこなせれば賞賛 し、どのような子供だろうが差別することなく 扱い、子供に馬鹿にされても子供を笑うことな く、子供が自分を越えていくことを素直に喜 び、いつも医療人として、また社会人としての 矜持をもって子供のお手本として行動する。そ ういう指導医として私は在りたいと思う。