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これからの12 年間に思いをはせる

福本泰三

浦添総合病院 福本 泰三

2011 年は卯年で1963 年生まれの自分の干支 に当たるとのことでこのような機会を与えてい ただきありがとうございます。

自分は愛媛県今治市で1963 年に誕生し今治 で育ち今治西高校を1982 年に卒業しました。その後1988 年に徳島大学医学部を卒業し、母 校の第二外科にて研鑽を積みました。10 年の 間に呼吸器外科を中心に一般外科を学びながら 肺移植の免疫(拒絶反応)の分子生物学的研究 を行いました。臨床肺移植に携わる夢は実現せ ず、新たな外科医としての人生をもとめて 1998 年4 月に沖縄の地に転居し、現在もお世 話になっている浦添総合病院で呼吸器/食道外 科を中心に慢性呼吸不全の診療などを担当させ ていただいております。

この機に還暦を迎えるまでの12 年間の人生 計画を考えて見たいと思います。

1.胸部外科医として

年齢も48 歳を迎えこれから還暦に向かうと すれば、外科医としての心意気は不撓不屈であ るとしても、技量が伸び続けることは期待しが たいところです。自分の外科医としての本分 は、リンパ節転移や周辺臓器浸潤を伴う局所進 行肺癌や食道癌に対する手術の成果をあげ、補 助療法との組み合わせで予後を少しでも改善す ることです。早期癌であれば内視鏡下の縮小手 術でも予後が期待できるようになりました。そ のような分野は別の外科の先達の活躍や新たな 若手の成長に期待させていただきます。局所進 行肺癌や食道癌における胸部外科医の役割を指 導伝承し、自分の後継を配することを、今後還 暦を迎えるまでの目標に掲げます。

2.卒後臨床研修の管理にかかわる立場として

2007 年の4 月より浦添総合病院の研修管理 の仕事を承りました。卒後臨床研修を取り巻く 環境は2004 年の制度確立以来時々刻々と変貌 しており、昨年あたりからはかつて臨床研修で は全国的にもメッカであった沖縄県でも中部病 院を除けば、当院はもちろんのこと人気が少し ずつおち、マッチング制度でマッチする医学生 の数が減少しているように感じられます。今後 は沖縄県全体で協力し各病院の垣根をなくし広 くて自由な受け皿を構築し、よりよき医師を育 成できる体制作りに力を入れる時が来ているの だと思います。できる限り自分も協力させていただきたいと思います。

番外編:

自分はひょっとすると本文である医師として の仕事よりも趣味のゴルフのほうが好きだった りするのかもしれないと思うことがあります。 本業あっての趣味であることは間違いないので すが。

1.ゴルフの実力に関して

ゴルフを始めたのは医学生のころからですが 真剣に取り組むようになったのはここ7 〜 8 年 のことです。琉球ゴルフ倶楽部がホームコース でして、会員の諸先達にはよくコースでお目に かかりお世話になっております。Regular tee からのプレイではこれ迄も数えられる程度です が調子がよいときには80 を切ることがありま した。かねてからの大目標は競技用のBack tee から80 を切ることでした。いろいろ幸運に恵 まれ9 月の月例杯でこのほど目標が達成できま した。さてこれから12 年の間に何回このよう なチャンスがあるかわかりませんが体力的な衰 えを精神面や技術でカバーできるように研鑽し 年に何回かでも競技で80 を切れるようになり たいと思います。そのためには辛抱の足らない 性格を改善し、流れに逆らわず好機を待てる Round ができるように成長したいです。

2.ゴルフスタイルに関して

今後12 年間も健康に留意しゴルフを継続で きることが一番の目標です。それから常々思っ ていることがあります。一緒にラウンドする方 から、心からまた次回も自分と一緒にRoundしたいと思っていただけるようなゴルファーに なることを第二の目標に掲げます。

これから一生沖縄で生きて行くつもりですの でよろしくお願いいたします。

末筆ではございますが、会員御一同様の本年 のご多幸をお祈りいたします。