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プライマリケア医への道のりとゴルフとの出会い

玉城徳光

恩納クリニック 玉城 徳光

今年の年男なので、ということでエッセーの 依頼を受けた。お読み頂く程の内容がなかなか 浮かばない。丁重にお断りするのが無難だとは 思いつつ、医師会の会員としての使命感も多少 はある。自己紹介のつもりで、医師になってか ら現在に至るまでの経歴を記し、また数年前か ら始めたゴルフの魅力について触れることでノ ルマを果たしたいと思います。

私は平成元年に医学部卒業後、2 年間県立中 部病院で研修を受け、その後、本島から遠く離 れた絶海の孤島、北大東の診療所に2 年間勤務 した。北大東では診療以外に釣りをしたり、テ ニス、バドミントンをしたり、泡盛を酌み交わ したりと、島の住民と診療所以外の場面で触れ 合う機会も多かった。本島にいる時は病院以外 の人間と付き合う事はほとんどなく、むしろ人 口500 名位の小さな離島にいる時の方が、いろ いろな職種の人と知り合いになれたのは複雑な 心境であった。「このままずっとこの島で島医 者として暮らすのもいい」、太平洋に沈む夕日 をみながら一瞬ながらそう思った事を今でも覚 えている。プライマリケア医しか自分が医師と して自分らしく生きる道はない。そう強く感じ るようになった。

北大東での任務を終えた後は中頭病院に就職 した。初めの数年間は内科全般を研修し、多忙だったが精神的には楽だった。しかし、大きな 病院に勤務しているため、自ずと専門を絞る必 要性が生じてきた頃から進路について考えるよ うになった。循環器内科専門医の認定を受けて はいたが、自分はやはりジェネラリストが相に あっている。大きな医療施設の専門医として生 きていく事に不安を感じ、そろそろ引き際、8 年間お世話になった中頭病院を去る決心をし た。ちょうどその頃、中頭病院の上司であった 仲田清剛先生のご厚情もあって、タイミングよ く恩納村の診療所を引き継がせていただく事に なった。自分の責任の下、自分で考えた形でプ ライマリケア医療が実践できる!

組織からの解放感と未来への期待感、そして その頃、遅まきながら長女が生まれた事等も重 なり、ワクワクした気持ちがこみ上げてきたの を覚えている。

(地元から絶大な信頼を得ている)中頭病院 から来た医者というだけで、私は歓待を受け た。あれから今年の4 月で10 年が経過する。 心優しい地域住民、優秀なスタッフにも恵ま れ、あの北大東で思い描いたプライマリケア医 療を何とか実践できている事に感謝したい。

さて、恩納村に来てゴルフを覚えたのは今年 81 歳になる地元のS 老人のお陰だ。ジアッタ ゴルフ場の地主の一人でもあるS さんは、「先 生は毎日たくさんの患者を診てストレスがたま るから息抜きが必要だ」となかば強引に私をゴ ルフに誘ってくれた。ウイスキー好きのS さん は私が初めて100 を切った時に約束していた年 代物のナポレオンをプレゼントしてくれた。S さんは今でもコースを90 台で回るし、ゴルフ が終われば、金武町の行きつけのスナック(マ マの年齢は60 代)に私を誘ってくれる。私は アルコールが入るとS さんに親しみを込めて不 良老人と呼んだりするが、最後は健康長寿のお 手本だと持ち上げている。正月が来るたびにS さんが今年も元気にゴルフが続けられますよう に、と祈らずにはいられない。

S さん同様いやそれ以上に元気な80 代プレ ーヤーは医師会の大御所U 先生だ。昨年は大きな怪我、その後内科疾患で長期入院治療を強い られ、失礼ながらゴルフはもう無理なのかと懸 念したが、見事にカムバック。しかもプレーも 完全復活で先日は久々に90 台半ばで回り、い い表情をされていた。人生の達人のU 先生に、 僭越ながら「あっぱれ」と言わせて頂きます。

このようにゴルフを通して、いろいろな方と 私的に接することができるのはうれしい。私は 第5 日曜日にジアッタ・ゴルフ場で定例コンペ を主催している。知り合いのドクターや各製薬 会社のMR さんを中心に、20 名位の参加者がい る。今年の夢、抱負は、と問われれば、このコ ンペに多くのゴルフ好きの先生に集まってもら い、沖縄医師ゴルフチャンピオン大会に発展さ せる事、と、答え私の新年のあいさつに代えさ せて頂きます。興味のある先生はご一報下さい。