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年男に因んで

医療法人アガペ会ファミリークリニック
きたなかぐすく 涌波 満

皆様、新年明けましておめでとうございま す。今年もご指導のほどよろしくお願い申し上 げます。

年男ということで、原稿依頼がありました。 1 日は24(12 × 2)時間、1 年は12 ヶ月。「12 年」はやはり一つの節目なのでしょう。12 年 ごとに廻ってくるこの不思議な慣習に因んで、 過去三回の年男だった頃を、当時、どのような ことに取り組み、何を考えていたのか、記憶を 辿りながら、ふり返ってみることにしました。 “温故知新”、次の還暦までの12 年を生きてい くうえで、参考になることがあるのではないか と考えたからです。

1975 年(昭和50 年)、小学6 年、石川県加賀 市在

両親の勧めで、高校受験を見据えた学習塾に 通い出した。週に三回、一回2 時間程度だった が、やたら宿題が多かった。塾からの帰り道、 友人と先生への不満を大きな声で叫びながら、 自転車を走らせていた。週末には、隣町に剣道 を習いに行っていた。私の練習態度が悪いため か、必ず叱られてしまう。いやいやながら、通 い続けたが、これもまた、先生にとんでもない あだなをつけて、友人と楽しんだ記憶がある。 自分で通うと決めた習い事だったが、予想外の 大変さにストレスを感じていたと思う。いずれ も何とかやり遂げることができたが、目標をも って取り組むことの大切さを諸先生方から教わ ってきたのだろう。しかし今ふり返るとストレ スの解消法は適切ではないと思う。先生方には 申し訳ないことをした。

1987 年(昭和62 年)、大学6 年、福井県丸岡町在

卒業試験、国家試験に備えての勉強と併行し て、研修先をどこにするのかで悩んでいた。た またま書店で「家庭医」という雑誌に紹介され ていた論文に目が留まり、“自分が将来やりた いことはこれだ”と心を熱くした。「家庭医」 になるための研修を受けたかったが、そのよう なものは、ほとんどなかった時代だった。民医 連系の病院や総合診療部を掲げる大学の資料を 取り寄せ、見学に行った。最終的に、川崎医科 大学(岡山県倉敷市)で研修し、多くのよき指 導者や同僚と出会うことになったのだが、この ようななかで、人との出会いを通した刺激と経 験の大切さが多くの可能性を広げるということ を大いに学んできた。

1999 年(平成11 年)、家庭医の研修を終え、 沖縄県北中城村に移住

義父の運営する高齢者専門病院に入職した。 家庭医として、地域高齢者医療に貢献したいと 思った。この頃、病院勤務の傍ら診療所の開設 に向けて準備をしていた。スタッフ探し、土地 選び、経営シミュレーション、運営計画書の作 成、地域をフィールドにした研究計画など、何 から何まで始めてのことばかりで、様々な方々 の協力をいただいた。翌年9 月にファミリーク リニックきたなかぐすくを開設することができ たが、目標とするものへの理想と、それを現実 に当てはめていく上でのギャップに悩み、交渉 していくこと、人に指導することの困難さを学 んできた。これらは、今この時点でも、大いな る課題となっている。

2011 年(平成23 年)、開業して11 年

診療所をかかりつけとしてくださる村民のた めにも、自分の目標とする医療の実践に努めて いるが、まだまだ至らない面ばかりである。特 に、生活習慣病をかかえる患者に対しての治療 への動機付け、失業中で将来への不安が強いう つ状態の患者への対応、高齢者の在宅での療養 支援は、交渉と指導の難しさを痛感せざるを得ない。また、家庭医としての診療スタイルへの こだわりと医療経営のきびしさという開業以来 の問題も残っている。

以上、最後には愚痴になってしまいました。 この1 年、いや12 年、どのように生きていくこ とになるのでしょう。医師会の交流会などで、 声をかけてください。このようなお話で、ご一 緒に悩んでいただければうれしい限りです。