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還暦男の人生最初の記憶

宮里達也

保健衛生統括監 宮里 達也

新年おめでとうございます。医師会の皆様方 には県民のため、県行政に対して特段のご配慮 をいただいております。年頭に当たりまして、 改めて感謝の思いを表明します。

さて、今回の原稿は“卯年”生まれの会員に 依頼されたとのことであります。私は5 回目の 年男の経験になりますので、還暦と呼ばれる年 になったわけであります。「未だ覚めず池塘春 草の夢」ではありませんが、信じられない気持 ちであります。今回は、60 年の時を振り返っ ての雑感を書くこととします。

私は昭和26 年5 月に、本部町字山川の垣之 内と呼ばれる、砂浜沿いにある小集落で出生し ました。職を求めて両親は先に那覇に移住しま したので、幼いころは祖父母のもとで育てられ ました。そして小学校入学の際に、私も生地を 離れて那覇に移りました。それ以後は那覇で学 び、大学は大阪で過ごしました。

学校は那覇なのだから、本部のことはほとん ど覚えてないのではとよく言われます。しかし どうしたものか、5 歳までの記憶は鮮明で、私 の瞳には今なお美しい絵本のように生き生きと 映り続けているのであります。

現在、海洋博の水族館になっているあたり は、もともとは祖父母の畑で、そこで豚のえさ にする芋を栽培していました。毎日、畑作業の間ずっと畦に座って農作業を見ていたり、ある いは野いちごなどの野草の実を摘んで食べたり していました。

目の前に広がる景色は、実に美しいものでし た。大きな蛸が海から頭を出したように見える 伊江島、その隣が小さなまな板のような平たい 水納島、さらに包丁に見える瀬底島が、どこま でも澄み切ったコバルトブルーの海に浮かんで いて、近代的建造物が無いだけ今よりさらに美 しいものでした。「あの蛸(伊江島)を包丁で切 って食べたいね」などと祖父母に話すと、本当 にやさしい微笑を浮かべて頭をなでてくれまし た。祖父の口癖は「誠しよー。誠そうれーなん くるなてぃいちゅぐとぅ」でありました。この 様な記憶こそが私の人生の原点と考えています。

さて、人生の最初の記憶は何かが話題になる ことがあります。三島由紀夫が産道を通ってい るときの記憶があると書いてあるのを読んだこ とがあります。そういうことがありうるのか分 かりませんが、うそを言っても仕方の無いこと ですから信じるしかありません。私の場合は、 父母などから「そんな小さい時のことが記憶に 残っているのはおかしい」と言われるのです が、一歳過ぎの麻疹に罹患した時のことが人生 最初の記憶として残っています。

祖母が話すには、重症化し何日も高熱が続き 「死ぬかと思っていた」とのことでした。医療 のまったくない当時の沖縄、部屋の床を一部は がし、バナナの葉の上に寝かされて、たしか 『水なれー』と呼ばれていた井戸の水を額に何 度も掛ける行為を、祖父母が一生懸命していた のを今でも鮮明に覚えています。そのような祖 父母による懸命な看護で、命ながらえることが できました。

沖縄県では、小児科の先生方を中心に「麻疹 ゼロ作戦」を展開中であります。立派な取り組 み事例として全国からも高い評価を受けていま す。医学の進歩により、麻疹は予防接種で防げ るようになっています。そのことについてさら に県民理解を深めるため行政も医師会と協力し て取り組んでいかなければと考えています。

今回は、自分の実体験から麻疹について話し ました。地域医療再生計画や周産期医療体制確 保、がん対策、長寿復活のための健康づくり 等、課題は山積しています。医師会や琉球大 学、地域の先生方と密接な連携協力の下に行政 活動をより積極的に進めていきたいと考えてい ます。今後ともご指導よろしくお願いします。