精神科医 仲本 晴男
去る10 月9 日に首里高校の還暦祝い24 期同 期会が、グランドキャッスル首里の間であり、 二百余名が参集した。開催日に語呂合わせをし た「十九の秋に青春ふたたび」という洒落たキ ャッチコピーは、初老の恋を連想させ、胸をく すぐるものがあった。
40 代の頃、定年退職者の祝賀会に行くたび に感じたのは、退職する女性は皆一様にピチピ チして元気で美しいが、男性は少数のピチピチ 派と多数の老衰派に二分していることだった。 その印象が強かったため、これまで女性の老化 は男性と違い60 歳ではなく、もっと年取って から分岐するものだと思っていた。
わたし自身が60 歳を迎えるこの還暦で見え たことは、女性の老化もこの年齢で分岐してい るという新たな発見だった。同級生なので十代 から40 数年の変化が同時に一目瞭然でわかる ためかもしれない。思わず近寄って話しかけた くなるほどの麗人、当時のかわいさを保ってい る人、皺は増えても当時と変わらない顔の人、 生活の疲れか風貌の変わった人、年より老けて みえる人など様々だった。男性に至っては、後 期高齢者と見間違うほどの人も散見したが、こ ういうとき私自身の顔と姿については思考停止 し、自分が見えないのは幸いというものだ。と は言え、あと2、30 年続く人生の歩みの中で、 まだまだ老化抵抗競争の逆転劇はありそうな気 がした。
さて、人のことはさておき、私自身の次の6 回目の卯年をさわやかに更新するためには、こ れからをどう生きるか。まずは、持病の心臓が 順調とは言え、いつ詰まって危うくなるかは自 分で決めることはできないので、日々を生き続 けて元気に活動できていることに感謝したい。
40 代後半から腹も胸もそれぞれ2 回ずつ開 け、それ以外もいくつかの手術を体験し、私に とって脳だけは未開の臓器である。こうして手 術を重ねることで身体機能は回復し増強するこ とができたので、“改造人間”と自称している。 また、これまで死の危機を何度かかい潜ったお かげで、死をあまり縁遠いものには感じなくな り、比較的身近に感じるようになったので気持 ちにも余裕がもてる。
これからの生活では、若い頃から続けていた 朝6 時半の出勤は、65 歳の定年退職で一応終 了予定として、朝はのんびりしたいと考えてい る。ただし体力と脳力が続くなら、75 歳まで は通常の8 時間労働を続けながら、時間外労働 はできるだけ減らして好きな遊びに当てたいも のだ。おいしい料理をつまみに古酒を飲みなが ら歓談することは無上の喜びだが、これは今で も、飲み友達は増え続けている。家庭における 若い頃からの夢は、子供たちが成人して楽しく 飲み語ることであったが、実現できているので うれしい。妻は下戸だが4 人の子供はいずれも酒が強く、次女と息子は私より強いくらいであ る。彼らが帰郷するのが何よりの楽しみだ。趣 味の映画や読書、国立劇場で琉球芸能を鑑賞す ることはずっと続けたい。
土日の午前中は用事がなければ卓球を3 時 間、それぞれ別のサークルで練習しているが、 毎年秋に九州七県の持ち回りで開催される医師 卓球大会は、自分の卓球技術を推し量るよい機 会になっている。ヨットは昭和の時代から仲間 と楽しんでいて、休みの日は一日中、中城湾の 無人島でウニやサザエを捕ってのんびり過ごし たものだ。免許は一級、航海術は二流だが、宜 野湾市の沖合でセーリングを続けるだけの体力 と気力は維持したいと願っている。
やはり新たな挑戦は還暦になっても夢として 持っていたいが、好きな写真を基礎的技術と理 論について学びたい。40 代に通信教育を受け たが、忙しさにかまけて中断した経験があるの で、定年退職後に再挑戦したいものだ。さらに 無謀とも思える夢は、タップダンスを習うこと である。若い頃はツイストやゴーゴーが好き で、那覇市松山のスクランブルというディスコ 店には、JBL 大型スピーカーの迫力ある音響に も興味があって、オープンの日に行って踊って 来たし、沖縄市ゴヤのピラミッドには何回も通 ったが、当時から一番かっこいいのはタップダ ンスだと思っていた。
2、30 年後に自らの人生の豊かさについて顧 みる機会があれば、これらの余暇の到達度や充 実度を指標にしたいと思う。
還暦の家族旅行で九州霧島に行きました。