中部徳洲会病院 大灣 喜市
この小文が掲載されるのが、新春号というこ とで、新年のお祝いを申し上げる。
さて、小生1951 年卯年生まれの麻酔科医で ある。新年を迎えて還暦を迎えることになる が、まるで実感がない。
還暦というと、仕事を引退して楽隠居をした 御老人、または赤いちゃんちゃんこをきたおじ いちゃんと言ったイメージが浮かぶが、現職が 私立の病院の麻酔科医ということ、かつ麻酔科 医の数も十分とはいえないこともあり、定年退 職など考えたこともなく、現役最前線で、臨床 麻酔と研修医の指導に従事している。
そもそも、いくつまで働くのかということに なるが、体の動く限りいつまでもと今は思って いる。
小生の専門の麻酔の現場を、仕事を始めた 1977 年当時に遡ってみると、今はディスポが当たり前の気管内チューブも、消毒後再利用、 おまけにカフは自分でチューブに装着するのが 研修を始めたころの状況であった。因みに東京 の国立大学附属病院での研修生活であり、設備 の劣った病院の話ではない。
麻酔モニターはというと、心電図モニターは 手術室全部に標準装備ではなく、状態の悪い患 者、大手術に優先、後は早いもの勝ちという状 況であった。
今は自動で計る血圧も、多くの症例で、聴診 器を耳にしての手動での血圧測定、おまけに麻 酔機に人工呼吸器が標準装備されてはおらず、 片手は呼吸バックをもみ続けたままであること は言うまでもない。自動血圧計が普及するまで の5 〜 6 年の間に、今思うと何千回血圧測定を したことだろう。
気管内挿管のための喉頭鏡は大きな変化はな く昔のままといっていいだろう。ただ、挿管の ための補助器具として、エアウェイスコープと いう液晶のモニターで喉頭を直視し挿管ができ るハンディタイプの器具が開発されたのが画期 的であった。昔は難しい症例を血だらけになり ながら、何とか挿管して事なきを得たようなこ ともあった。
最近では少しでも難しいと、エアウェイスコ ープに切り替え、多くの症例で容易に気道確保 ができ、安全で侵襲の少ない麻酔を実現する一 助となっている。
挿管に関しては、当時40 〜 50 歳代の先輩ら が、老眼鏡と普通のめがねを切り替えながら挿 管していたこと、その中で歳をとったら麻酔は やっていけないと仕方なく専門科を変えた方も いたことが思い出される。
戦後、主婦の仕事は洗濯機など家電製品の普 及で昔と比べて楽になったといわれるが、麻酔 の臨床でも機器・道具の進歩で肉体的にはかな り楽になり、その分患者の管理に専念できるよ うになった。加えて、レミフェンタニルという 新薬の開発に伴いストレスフリーに近い麻酔が 実現されつつあり、麻酔の安全性は当時に比べ ると格段に高まったといえるだろう。
反面、昔は70 歳を超えるような患者の大手 術はまれで、80 歳の心臓血管手術・食道手術や 超高齢者の手術も当たり前になった最近は、何 もないのが当たり前の麻酔を期待される麻酔科 医としては術中管理で緊張を余儀なくされるこ とも多く、精神的ストレスは増加したといえる。
ところでチョプラ博士の著書「老いない奇 跡」によると、年齢には暦年齢、生理学的年 齢、心理的年齢があるという。暦年齢は致し方 ないが、残り2 つの年齢は個人差があり、意識 の持ち方で老化のスピードは変えられ、また人 の年は自分が何歳と思っているかで決まるとも いう。
これからは、100 歳を超えてなお現役で活躍 されている聖路加病院の日野原先生を目標に、 「老いない奇跡」をバイブルとして加齢ととも に衰えるという常識に逆らいながら、可能な限 り現役を続けていきたい。