東村立診療所 外間 章
医師不在となっていた東村の診療所を診るこ とになった。長年常駐しておられた医介補の先 生が病気になられ、しばらくは県立北部病院の 先生が巡回診療を行っていたのを北部地区医師 会病院が引き継ぐことになった。最初は照屋進 先生、宮田道夫先生と私の3 人で週1 回ずつ1 日おきに診療を始めた。平成14 年6 月のこと である。一応私が責任者ということになった。 1 年経過して感じたことは、3 人で一日おきの 診療では患者さんとの信頼関係もなかなか築け ないという事である。閑古鳥が鳴いた。病院人 事のこともあり、私も高齢者の仲間入り一歩手 前であったので、病院を辞して診療所に常勤す ることにした。職員は看護師さん一人、受付事 務嬢一人と私の3 人である。経営は東村が北部 地区医師会事務局に委託するという契約が交わ されていた。診療所も県の財産であったものを 村が譲りうけた。大分傷んでいたが改修工事が 行われた。しばらく名護市内から通勤すること にした。診療所の隣りに保健指導所があり保健 師さんと栄養士さんが勤務する。その2 階は保 健師さんの宿舎になっていた。医師宿舎は道路 を隔てて診療所の向いにあったが老朽化して取 り壊された。次第に診療も落ち着いて出来るよ うになり、お年寄りとの会話も増えた。
東村の自然を楽しもうと思った。保健師さん も名護から通っているので、隣りの2 階を休憩 用に使わせてもらうことにした。時々宿泊し、 早朝にパイン畑を散策した。朝日が東の太平洋 に出る前の朝焼けがヤンバルの山々の上に輝く 光景は脳裡に焼きついている。ある朝のこと、 パイン畑の農道を散策していると、軽トラと行 きちがった。村の人たちともまだ顔見知りにな っていなかったので、運転士は急停止してこちらを見た。とりあえず挨拶を交わしたが、パイ ン泥棒と思われたに違いない。ドライブも楽し んだ。大国林道も走破した。しばらくは5 時以 降の時間も退屈を感ずることはなかった。ウォ ーキングも励行した。しかし、1 年、2 年経つ と山道をドライブすることがだんだん少なくな った。一方、夜の静寂と付き合っているとつい アルコールが増えてくる。読書に励んでも、た かが知れている。考えてみた。このままではア ルコールが増えるであろう。健康管理に狂いが 生じかねない。そうだ、飲むよりはドライブし て那覇へ帰ったほうがよいのではないかと。夜 間急患に起こされることもない。住民も心得て いて急患は救急車を要請して名護市内まで行っ ている。夜間は役に立たない。というわけで長 距離通勤が日常となった。自宅は首里儀保にあ る。朝7 時に家を出る。高速で許田をおりて道 の駅で小憩、名護市内を通過して北上する。屋 我地を左手に源河を過ぎると東支那海に浮かぶ 古宇利島を見ながら更に北上して塩屋湾に出 る。塩屋大橋の手前で右に折れ、トンネルを2 つ潜ると濃緑の山々が追る。もう一つの橋を渡 って国道331 号線を右に進む。やがて「パイ ン」の大きな看板が目に入る。ここから東村で ある。民家がちらほら見えてきて集落が始ま る。と、太平洋が拡がって本島を横断したこと に気付く。平良の部落である。診療所は部落の ほぼ中央にある。8 時55 分、診療所と保健指 導所の間にピタリと駐車。走行距離96km。
車は3 台目のプリウス。先日、4 年目の点検 に出した。トヨタのサービスマンがメーターを 見て唸った。計器は190,043km になっていた。 2 台目はオペルのバン(中古車)はエンジンル ームから煙を吐いて止まった。走行距離は17 万キロであったと思う。これをすでに上回って いる。初代はアメ車のグランダム(勿論中古 車)であったが、慶佐次(マングローブの群生 で知られる)の橋の上で止まった。ニッチもサ ッチも行かなくなり放り出して歩き出した。と、 向こうから青年数人がやって来て、「橋の上で は困りますよ」と対岸の公園の駐車場まで押し てくれた。「自然塾」の若者たちであった。そ の内の一人が診療所まで送ってくれた。牧港の デイーラーに電話して取りに来てもらったが、 こんな所まで故障車を取りに来たのは初めてだ といった。実は、塩屋まで行かずに源河で右に 曲がり山越えをして有銘に出るルート(県道 14 号線)がある。その山越えをしていた時に エンジンの調子がヘンだと思った。一瞬、この 山の中で止まったらどうしようと不安になっ た。アクセルに強弱をつけながら山を降りて有 銘に出てほっとして慶佐次までたどり着いた所 であった。
プリウス(これは新車ーエコカー減税あり) に変えてからガソリン代が半分になったのは大 いに助かった。リッター24km は走る。更に、 高速道路が無料になった。よしとするも今まで 支払った料金はどうするのと僻んでもしょうの ないことである。パンク数回(コンビニに寄ろ うとして縁石に前輪または後輪をぶつけた)あ るも事故に巻き込まれることなく、今日も無事 帰宅したと安堵するのである。
帰路は時々ルートを変える。東海岸沿いに南 下する。有銘から有津、天仁屋、嘉陽、カヌチ ャ、三原、久志を過ぎ大浦湾を左手にして蛇行 する坂道を登り二見に出て国道329 号線に合流 する。キャンプシュワブを横目に国立高専の渡 り廊下を潜り辺野古の長いバイパス(陸橋)を 渡る。更に潟原で県道71 号線と合流し、宜野 座村へと向かう。宜野座で高速に乗る。帰路は 途中で仮眠を取る。帰宅は7 時半から8 時前後。シャワーを浴び、夕食をとりビール(缶ビール 350ml2 本)を飲みながら9 時のニュースとス ポーツの結果(一応)を見て10 時30 分に就 寝。これが理想的な設定である。なんと健康的 なことか。この通り行かないのが常である(た まには実行する)。夢を見た。ウサギは走る。
慶佐次川のマングローブの群生