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ペシャワール会 現地活動報告写真展
”人・水・命“―27年のあゆみ―のご案内

村上優

独立行政法人国立病院機構 琉球病院院長
村上 優(ペシャワール会副会長)

このたび那覇市民ギャラリー(パレットくもじ 6 階)で、平成22 年12 月21 日より12 月26 日 まで、ペシャワール会の中村哲医師が携わってい るパキスタン北西辺境州及びアフガニスタン東部 における医療と水事業(井戸や用水路)と農業 の27 年の歩みを紹介する写真展を開催します。

ペシャワール会は1984 年に中村哲医師がパ キスタン北西辺境州ペシャワールで始めたハン セン病医療を支援する目的で作られました。パ キスタンとアフガニスタンにまたがりパシュツ ン族が多く住むこの地はガンダーラと呼ばれて 我が国でも知られていますが、この時期に彼の 地の人々の歴史や生活は伝わることが少なく、 1986 年にソ連のアフガニスタン侵攻、2002 年 からのアフガニスタン侵攻によって世界の注目 を浴びるようになりました。中村医師はハンセ ン病だけでなく、1986 年難民医療活動、1991 年アフガニスタン東部山岳地域の診療所、 1998 年基地病院の建設を現地の人々のニーズ に沿って継続してきました。

この地域は長年にわたり戦乱と飢え、病い、 大旱魃に襲われてきました。2000 年より旱魃 に対して命の水を供給するために1,000 本の井 戸を掘ったところで、2001 年のアメリカによ るアフガン空爆と今に続くアフガン戦争が始ま りました。中村医師は世界の人々から忘れ去ら れたこの地域の人々との縁を保ち、「一隅を照 らす」活動として、大旱魃で難民化してきた 人々の前線に立ち、2010 年に25 キロにも及ぶ 用水路を建設し生活や農業を支えてきました。 それを通して「世界とは何か」「生きるとは何 か」を私たちに伝えてきました。中村医師の活 動を支える事業を通して人間の良心や生きる可 能性を実感できるがために、我が国でも2 万人 を超える人々の支援をいただいています。

今年の7 月末のパキスタン・アフガニスタンの 突然の大洪水で水路も大きな被害がありました。 それを伝える中村医師の報告は「大洪水被害の 復旧作業はまだまだ続いており、一部はとりあえ ず姑息的な処置にとどめ、一年後の秋に本格改 修をせざるを得ません。時間がないのです。河川 の工事期間は10 月〜 2 月までで、とても25kmの用水路全体を見ながら複数個所をできるもの ではありません。・・中略・・ガンベリ沙漠の農 場では、稲刈りが終わり、次は小麦の準備です。 そのため、水を完全に途切らす訳にゆかず、浚渫 作業が合間をぬって少しずつ行われています。陽 射しはまだ厳しいものの、夜は快適です。」とあ り、「いちめんの黄金いろ。」と何度も記した収穫 の写真とともに送られてきました。

用水路の意味と工程を住民に説明する中村医師

いちめんの黄金いろ。いちめんの黄金いろ。いちめんの黄金 いろ。いちめんの黄金いろ。いちめんの黄金いろ。いちめん の黄金いろ。

中村医師の活動に対して2002 年第1 回沖縄 平和章が授与されました。沖縄戦で、その後の アメリカ統治で、復帰後も圧倒的な基地の存在 で、人々の命と生活、心が無視され続けてきた 沖縄が、中村医師の平和へのメッセージを言霊 として大きく評価したからでしょう。

中村医師とペシャワール会の活動は、中村自 身と、これに共感して現地で働いた多くのワー カー、さらには現地を訪れた支援者により数十 万枚に及ぶ写真として記録されています。記録 はその時々の事実を伝えるだけでなく、歩んだ 道のりを2 7 年の歴史の縦糸でつなげると、人々の生きてきた証を語り、物語が生まれ、共 感を呼び、そして生きる希望や勇気を与えてく れます。多くの人々に観て感じていただきたい と願っています。

建設した学校に故伊藤和也君の両親から時計が贈与 (左より村上、中村)

ポスター

主催:ペシャワール会
共催:沖縄でペシャワール会現地活動報告写真展を成功させる会
期日:平成22 年12 月21 日より12 月26 日
(10 : 00 〜 18 : 30、最終日16 : 00)
場所:那覇市民ギャラリー(パレットくもじ6 階)
参加費:無料