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私の座右の書「葉隠」

湧上民雄

あがりはまクリニック 湧上 民雄

高校までを沖縄で過ごした私にとって本土で の大学生活は新鮮な驚きの連続でした。これま で関心のなかった事に急に興味が沸いてきまし た。論理学という講義があり、先生の熱のこも った独特の語り口が私の心を引きつけました。 実存主義などという、これまでまったく関心の なかったことに魅了されました。人はどう生き るべきかというたいそうな問題に目覚め、早速 図書館に行き、ニーチェ、サルトルらによる著 作の訳本を読みあさりました。しかし、悲しい ことにまったく哲学的な素養のない私にとって これらの著書は難解でほとんど理解できません でした。結局、図書館通いは1 週間ほどで終わ り、いろいろ借りていた本もすべて返してしま いました。我ながら熱しやすく冷め易い性格だ と痛感しました。その後、臨床実習が忙しくな り、研修医生活に入ると人生について考えるな どということもなくなり、哲学書などとはまっ たく縁のない生活を過ごしておりました。

前置きが長くなりましたが、私が現在、時々 読み返し、決断の時の指針としているのが鍋島 藩の山本常朝が300 年以上も前に記した葉隠の 書です。簡潔にまとめられておりますので一気 に全文を読むことができますが、読み返すとな かなか薀蓄に富んでおり味わい深い書です。 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一 句が有名ですが、戦時中に特攻隊員を鼓舞し、 死を賛美する書として戦後に非難の対象となり ました。確かに戦後の民主的な教育とはかけ離 れた考え方であり、当然非難はあったものと思 います。最初にこの本に触れたのは高校生の時 でした。その時は作者の意図がよく理解でき ず、武士道という言葉と過激な表現が印象に残 っていました。30 代半ばになったころ、何気 なく古本屋で三島由紀夫が解説した「葉隠入 門」を見つけ出しました。三島は葉隠の書を絶 賛しており、座右の書としていると記しており ました。三島の解説を読むと現代社会における 葉隠の意義がおぼろげながら理解できました。

一見すると葉隠の表現は過激ですが、山本常 朝が生きた封建社会の生活を自由な権利が保障 された現代の我々が覗い知ることはできませ ん。葉隠は体系立てられた哲学書ではなく、君 主を中心とした封建社会でどのように武士が生 きるべきかという処世訓を思いつくままに書き 記したものです。葉隠の最も有名な一節「武士 道といふは、死ぬ事と見付けたり」に続く句は 「人間一生誠に僅かの事なり。好いた事をして 暮らすべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事 ばかりして苦を見て暮すは愚かなることなり」 と続きます。山本常朝は死に物狂いと表現する エネルギッシュな武士の行動を賛美すると同時 に、人の一生をはかない夢幻と言っておりま す。仏教的な世界観に通じる面があるように思 われます。この二面性が葉隠の書をより味わい 深いものとしております。葉隠は堅苦しい説教 じみたものではなく、人がどのように生きるべ きかの極意をわかりやすく明快に述べたもので す。たとえば人に忠告する場合も相手のことを 良く理解し、親しくなってから忠告をするなど 用意周到な計画を立ててから行うべきだとして おります。相手を怒らすだけの忠告は単なる憂 さ晴らしにしか過ぎないと述べております。現 代社会に生きる私達にもあてはまるみごとな処 世術です。「武士道とは死ぬことと見付けたり」 と言い切る人物のイメージとはかけ離れた筆者の繊細な一面を物語るものです。

また、決断の仕方についても「葉隠」独特の 表現で私が印象深く思った箇所があります。 「大事な思案は軽くすべし」という一節ですが、 大事なことというのは本来大変少なくせいぜい 2 つ3 つしかないもので、そのようなことは常 日頃考えているので、即座に決断できるものだ という意味です。逆に小事は熟慮すべきである とも述べております。

もともと葉隠は山本常朝が語った事をまと めて文章にしたものですので厳密な文章ではな く随所に矛盾が見受けられると三島も述べてい ます。しかし、私には本書のこのような独断的 明快さと種々の矛盾が逆に人生の真実を言い表 しているように思えるのです。武士道という日 本独特な考え方は現代社会で生きていく我々に も通じるものが多々あり、自身の決断の一助と なる書であると思っております。