沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 10月号

「麻酔の日(10/13)」に寄せて

大見謝 克夫

大浜第一病院 麻酔科 大見謝 克夫

3 月3 日は「耳の日」、6 月4 日は「虫歯予防 の日」、10 月10 日は「目の愛護デー」、12 月1 日は「世界エイズデー」など、誰でも聞けば直 ぐに答えられる日は多々ありますが、それでは 「麻酔の日」と聞いて、皆さんは何月何日だと 直ぐに答えられるでしょうか。今現在、全身麻 酔やその他の麻酔に関わっている外科系医師の 先生方でも、なかなか直ぐに答えられないのが 現状だと思います。

「麻酔の日」は上述のようなちょっと語呂合 わせ的な月日とは違い、ある日本人1 個人の偉 業を称え、それを日本人である我々が未来永劫 忘れぬように語り告ごうではないかと粋な計ら いで、日本麻酔科学会が制定した日なのです。 そのある日本人というのは、皆さんも著書や映 画・ドラマ等でご存知と思われます江戸時代の 日本人医師、華岡青洲がその人物であります。 今をさかのぼること206 年前の1804 年(文化 元年)10 月13 日、華岡青洲が、世界で初めて 全身麻酔による乳癌手術を成功させました。彼 は、手術での患者の苦しみを和らげ、その手術 により多くの人の命を救いたいと考え動物実験 を繰り返し、さらに自分自身の身内である実母 の死や妻の失明という多大なる犠牲の上の基に 完成させたのが「通仙散」という全身麻酔薬で した。この薬は曼陀羅華(まんだらげ)の花 (チョウセンアサガオ)と草鳥頭(そううず= トリカブト)を主成分とする6 種類の薬草を調 合させた飲み薬だったのです。全身麻酔として 世界でよく知られているのは、W.T.G.Morton 医師によるハーバード大学において行われた、 エーテル麻酔による全身麻酔薬を使用した公開 実験(下顎の血管種切除術)ですが、それが行 われたのは1846 年10 月16 日のことでした。 そのことを考えると華岡青洲が行った「通仙 散」を使用した全身麻酔による乳癌摘出手術 は、Morton 医師のそれよりもさらに40 年以上 も前に行ったことになります。これは、画期的 なことであり世界的に見ても賞賛されるべく、 我々日本人としても誇れる大偉業を彼は成し得 たものと思います。そこで日本麻酔科学会は、 この大偉業を成し得た日、つまり「10 月13 日」 を彼の使用した経口的全身麻酔薬「通仙散」に 因んで「麻酔の日」と制定したのです。

ところで、日本麻酔科学会の発足は意外と最 近なのです。第2 次世界大戦終了後、アメリカ から近代医学が取り入れられるようになり、麻 酔学という領域が日本でも必要であるとし、外 科学会の中から誕生したのが1954 年設立の日 本麻酔学会であり、その後2001 年に社団法人 化され日本麻酔科学会となりました。当初は手 術室の麻酔を中心とした活動でありましたが、 1970 年代後半からの麻酔科医の数の増加とモ ニターの発達とともに、麻酔科医は手術室から 飛び出して集中治療室や救急医療に、またペイ ンクリニック(疼痛外来)へと、その活動の場 を広げていきました。その結果、麻酔科医の領 域は、周術期管理、集中治療・救急医療と人工 呼吸管理、慢性疼痛、癌性疼痛・緩和ケアから 在宅医療までの広い範囲となりました。以前は 患者と接することが少ないといわれた麻酔科で したが、現在は大きくその様相を変えていま す。また一方では、手術中の麻酔や人工呼吸患 者の管理を安全に行うにために、疾患への対応 や麻酔法だけでなく、人工呼吸器の運用、配管 の異常や漏電対策などといったリスクマネイジ メントも重要な要素であり、これらも麻酔科医 の領域となってきました。

病院には医療を施す立場の医療関係者と、医 療を受ける患者とが存在します。麻酔科医は患 者に麻酔をかける立場からすれば、医療従事者 なのですが、オーストラリアの麻酔学会が定め た麻酔の日のキャンペーンに、“Caring for your life, while you can not. ”という言葉が 掲げられていました。これは「患者が麻酔をか けられて、自分で自分の生命を守ることができ ない状態にある時に、それを守ってあげられる のは唯一麻酔科である」という意味なのです。 このような麻酔科の仕事の内容、あるいは立場 からすると、医療従事者というよりはむしろ医 療を受ける患者の立場に近いものと言えます。

麻酔科医はよく飛行機や列車等のパイロット に例えられます。それは旅行をする時に、快適 な飛行機、乗り心地の良い列車に乗っても、離 陸時や着陸時あるいは飛行中や走行中に突然の トラブルが生じ、それをパイロットが回避でき なかったら、その人にとって楽しい旅行のはず が逆に大変な自体に陥ることになるかもしれま せん。しかし、パイロットがしっかりそのトラ ブルを処理したり、あるいはそれを未然に防ぐ ことが出来れば、きっとその旅行は素晴らしい 思い出の旅となるでしょう。病院においても手 術が上手な術者がいて、素晴らしい手術室が用 意されていたとしても、手術中に患者の状態が 安定していなければその手術はうまくいかない かもしれません。そこで手術中の患者の状態を 安定させ手術を快適に終了させるために麻酔科 医は、パイロットとしてそれをうまく操縦して いるのです。また以前は、手術後の手術創部が 痛いのは当然であるとか、癌の末期は苦しんで も当たり前だなどと放っておかれたりもしてい ました。しかしながら、麻酔科医はこのような 状況を目の当たりにして、放っておくことがで きずに患者の立場で物事を考え、医療の谷間を 埋めるべく、集中治療やペインクリニックを始 めてきたのだと思います。

今、社会が麻酔科医を大きく求め始めていま す。そこには麻酔科医の仕事の内容が医療の安 全と病院の運営、患者の立場に立つという社会 の求めている仕事をしていることに由来してい るからだと考えます。それは医療の原点でもあ り、病院にとってこれら麻酔科の機能は、ガ ス、電気、水道といった日常生活に必要な要素 と同じであり、麻酔科医の仕事内容は病院機能 そのものであると言っても過言ではないと思い ます。

「麻酔の日」は何日と聞かれて、皆さんが直 ぐに「10 月13 日」と答えられるために、我々 麻酔科医は、華岡青洲が日々努力し「通仙散」 という全身麻酔薬を発見し社会に貢献したよう に、地域医療に広く関わりいろいろな形で貢献 できるよう努めていきたいと思います。