おもろまちメディカルセンター 城間 和郎
「なぜ泌尿器科医になったの?」と良く聞か れる。私の父は戦後の医療体制の整わなかった 与那原で、いわゆる町医者として内科だけでな く全診療科の診療を行っていた。泉崎病院に移 ってからは内科医として診療していたが、今で 言うところの総合診療医として幅広く患者さん を診ていた。私が小学生の頃、たまたま父と通 りかかった海岸に溺水の人が打ち上げられた。 救急車が到着するまでの間、父が一人で救命処 置を行っていた姿を今でも鮮明に覚えている。 この時の出来事は幼い頃の私の脳裏に焼き付 き、私が医者を目指すきっかけになったのかも 知れない。
医学部5 年生の臨床実習で、今でも鮮明に覚 えている3 人の患者さんがいる。1 人目は眼科 の患者さんで、腎臓移植後のステロイド白内障 の患者さんであった。「移植はうまくいったけ ど目が見えなくなって大変ですね?」と話す と、「透析の苦しさに比べたら比べ物にならな いよ。」と言われた。そして実習終了時には 「将来移植医療に興味を持って下さいね。」と話 された。2 人目は腎臓内科の患者さんで、生体 腎移植後のレシピエントであった。その患者さ んは、恐ろしい程たくさんの質問と宿題までも 出され、実習中は完全にこの患者さんに振り回 された。しかしその時の質問は移植医療に関連 するもので、この時に得た知識は医者になった 後にも役立つ事になった。3 人目は泌尿器科で 受け持った患者さんで、生体腎移植のドナー候 補者であった。術前のワークアップ目的の入院 で、元気なお母さんであった。ドナーは健常人 にメスを入れる事になるため、ワークアップは 全身的に綿密に行われた。全麻のための心肺機 能はもちろん、レシピエントから手術が強要さ れていないか等のカウンセリングも含まれてい た。腎臓機能に関しては、PAH クリアランス、 フィッシュバーグ濃縮試験、PSP 排泄試験、 各種のアイソトープ検査、腎動脈造影など、現 在の移植手術では行われていない細々した検査 もあり、かなりマニアックな内容まで勉強させ られた。実習最後の日には「生体腎に頼らず献 腎移植がもっと盛んになって欲しい。」と訴え られた。その頃は純粋な医学生であった私は、 移植医療に少しでも協力したいとの思いから、 その日のうちに腎臓バンクに向かいドナーカー ドを作成してもらった。
この3 人の患者さん達を担当した事がきっか けとなり、実習を終える頃には移植医療を目指 したいと思う強い気持ちが芽生えていた。
6 年生になると各診療科からの勧誘が激しく なるのだが、私はどこの科からの誘いにも乗ら ず、一途に移植医療の希望を貫いた。将来、父 の後を継ぐ事を考えると当然内科系を選択すべ きであったのだが、腎臓内科よりも泌尿器科の 方が医局の雰囲気が良いと言う単純な理由で、 最終的には泌尿器科を選んでしまった。父には 何の相談もせずに決めてしまったのだが、国家 試験の後に恐る恐る父に泌尿器科に進みたい旨 を相談した。反対されるだろうと予想していた が、実際にはすんなり賛成してくれた。父は、 「移植医療も大切だが、今後は高齢者の排尿管 理が出来る医者が必要になる。」と私に言った。
入局後の初めての手術は、副甲状腺全摘と前 腕部への自家移植手術であった。泌尿器科の手 術は移植や尿路の手術だけと思っていたので、 頚部や腕の手術は予想外だった。しかし幅広く 手術をする先輩達を見て泌尿器科を選んで良か ったと実感した。研修医2 年目は救命救急科と 麻酔科の長期間のローテーションで泌尿器科か ら完全に離れ、移植手術には中々近付けないで いた。やっと泌尿器科に戻れた頃、献腎移植は 日本臓器移植ネットワークの管理となり、長期 待機期間を引き継いだ石川県腎臓バンクの患者 には優先的に献腎が回される事も多かった。1 週間に数例の献腎移植と定期の生体腎移植が重 なる事もあった。下っ端の私は雑用に追われ睡 眠不足の毎日だったが、私の指導医は「全身管 理が出来る泌尿器科医になれ。」と口癖の様に いつも言っていて、移植患者は周術期に全身管 理を学ぶ絶好のチャンスだった。移植にどっぷ りと浸かって疲れが出始めた頃、一般病院の泌 尿器科外来のアルバイトが回ってきた。排尿障 害や高齢者の排尿管理はほとんど経験が無かっ たため、同病院の泌尿器科外来のエキスパート ナースにトレーニングしてもらう羽目になっ た。その後、外来業務に慣れて来ると排尿障害 に興味が出てきて、次第に将来の目標が変わっ てきた。専門医も取れて少し余裕が出来てきた 頃、父から沖縄に帰って来るように言われた。 父は高齢であり、自分自身も父が元気な内に沖 縄に帰りたい気持ちがあったので、22 年振り に沖縄に戻る事となり平成13 年5 月に泉崎病 院で泌尿器科をスタートした。全てがゼロから のスタートであったが、私を慕ってくれる患者 さんや、その口コミで患者数は次第に増えてい った。おもろまちに移転する頃には、泌尿器科 と透析の掛け持ちは完全に一人では追いつかな い状態になっていた。平成20 年には念願の医 師2 名体制となり、これからはさらに高齢者の 排尿管理を中心に泌尿器科診療の質を高めてい きたいと考えている。