北部地区医師会病院外科 照屋 淳
最近、ふと思ったことがある。いつから目標 や希望、夢を持たなくなったのかと。子供の頃 からの記憶をたどると、いつでも何かしら目標 みたいなものがあったように思う。私は小学1 年生の頃、大病を患っていた。完治したもの の、かなりひ弱な子供であった。遠足の翌日は 発熱し、学校を休んだ。運動会にも出られなか った。その当時の目標は小さなことではある が、運動会に参加することであった。(病院通 いの多かった当時からの夢は漠然と医者になる ことであった。)やがて母親のおかげで人並み の体力がついた中学、高校生の頃は、バレーボ ール部、ハンドボール部に所属し、部活に励ん でいた。その頃の夢はレギュラー選手になるこ と。(残念ながらレギュラー選手であったのは 極々短期間であった)やがて大学受験を迎える が、医者になりたいという夢はずっと持ち続け ていた。しかしながら真面目で優秀な高校生で はなかったので、3 年間の浪人を経て何とか琉 球大学医学部に合格することができた。大学時 代はバレーボール部とハンドボール部に所属 し、中学、高校時代に実現できなかったレギュ ラー選手になることが出来、幸運にも九州山口 大会や西医体(医学部生のスポーツ大会)で3 位や優勝することが出来た。楽しい大学生活は あっという間に過ぎ、卒業間際に外科の道を選 んだ。医者になっての約10 年間は、仕事を覚 えること、学会発表、論文作成など日々多忙で 大変な毎日であった。その頃は、いつかは二流 で良いから執刀医として一人前の外科医になり たい、消化器外科専門医を取得したいという目 標をもっていた。また家庭を持ちたいという夢 があった。40 歳直前にして結婚し、それから 消化器外科専門医を取得した。なかなか子宝に 恵まれなかったが、不妊治療の後、45 歳にし て初めて父親となることが出来た。人より遅れ てはいるが抱いていた目標や希望は叶った。今 では3 歳とやがて1 歳になる娘がいる。子をも つ親なら誰でも感じたことがあると思うが、娘 のハイハイや、何かをたくらんでいるような笑 顔、抱っこをせがむ表情などを見ると、鼻の奥 や眼の奥が、むず痒いような、熱いような、気 を抜くと涙が溢れそうな時がある。(幸せを感 じる瞬間?!)家族とは良いものだと思う。し かし一方では、毎日の仕事をこなし、日々家内 に気を使い、子供中心の生活がある。流されて いる自分の日常がある。体重の自己コントロー ルが出来ず、体脂肪率が段々上がっていってい る。最近、仕事に関する知識を高めることやス キル向上に関する努力を怠っている。プライベ ートではゴルフに行く機会が減り、ジョギング など運動することや音楽(ジャズが好きです) を聞くこと、映画館に行くこともなくなった。 落ち着いて読書をすることも少なくなった。少 しでも時間ができると休もうとする自分がい る。この3 年間、目標や夢を抱かなくなった。 何かしら焦りを感じる。人との比較や競争では なく自分自身に対してである。家族のせいにす る訳ではない、もっと器用に強かに生きたいと 願う。目標や希望なくして現状を維持すること や人生を楽しむことは困難と思う。まだ幼い娘 達を時を超えて守り、育てるためにもそう思 う。仕事やプライベートで実現可能な目標や希 望、夢を持ちたい、探そうと思う。それが叶っ たら、また新しい目標、夢を持ち続けたい。