嶺井リハビリ病院内科 澤岻 安教
緑陰(青葉の茂った木立ちのかげ)、8 月号 のタイトルに相応しい夏季語彙である。
表題の趣旨を汲みとった素敵なお話を文章に 表現出来るような文才の無さを残念に思いつ つ、原稿の依頼を頂いた4 月初旬時点で気にな っている事柄を気取らずに書き留めることでご 容赦頂けるものと割り切ってキーボードを叩打 する。
まずは先月の興南高校の第82 回選抜高校野 球大会の優勝が誇らしく、大いに力を頂いた。 今年は沖縄県代表が選抜初出場してから50 年 の節目の大会であったが、近年の県勢のレベル 向上は周知のところであり、過去3 年間での春 夏大会通しての2 回優勝と4 強は全国随一であ るとのこと。加えて野球技術だけでなく対外的 な対応や態度にも落ち着きや好感が持てて、自 分の高校生当時とはその時節の長さ以上の隔世 の違いを感ぜずには居られない。
子供達の頑張り具合への感嘆と個人的な関心 事項としてもう一点、3 月は大学入試試験結果 も非常に気になったことである。
学力試験というと全国学力試験が何かと話題 になり、沖縄県の結果は思わしくない(平均評 価で全国最低)との報道も普通にあり高校野球 とは話が別ではと思われる方も多いのでは?し かし、所謂全国学習試験は正式には全国学力・ 学習状況調査と称し、その本質や行政や社会的 取り扱い方もセンター試験(大学試験)とは異 なるものである。
全国学力試験は1960 年代に全国学力テスト として実施されていたが学校や地域の競争を煽 るとの批判等で中止され、2007 年にやはり 様々な批判を受けながら43 年振りに復活され た試験(調査)である。日本全国(今年からは 抽出校へ規模を縮小)の小中校の最高学年(小 6、中3)全員が対象となる試験で、目的は調 査であるので都道府県レベルでの結果(成績) は当たり前に公表されている。
一方、センター試験(大学入試センター試 験)は大学入試の一部となる全国統一の選抜試 験であり、その結果が一般に公表されることは (諸種の問題により?)ない。こちらの始まり は1979 年の共通一次試験(国公立共通一次試 験)で、特徴としてマークシート形式やその名 の如く当初は国公立大学入試に限定していた。 これが1990 年に現在の形式に変更され概ね30 年も継続されている。
私は栄えある同入試の第一回現役受験生とな るも実力不足で当然の如く浪人を強いられた が、結果として琉球大学医学科一期生の肩書き をゲットした。
さてお話を本題に戻すと、センター試験結果 を見ると沖縄県は近年は最下位ではないのであ る。最近の情報管理の理念や競争原理の煽動抑 止配慮等のためか、正式に公表される事はまず ないのだが折に触れて報道がされる事もある。 数年前には都道府県別成績で30 位の後半との 報道も耳にした。今回ある程度の情報裏を確認 すべくネット検索で自分なりに調査をした。サ ーフィンを駆使し粘り強く多数の関連情報を潜 るもやはりヒット件数は少なく、2 件程の有用 結果しか入手出来なかったが、県勢の学力も緩 やかではあるものの確実に向上している様子は 読み取れた。本土大手予備校の資料ではある が、1987 年から1995 年の9 年間は47 位と不 動の最下位を維持も、内容的には800 点満点で 100 点の差が50 点まで縮小している。そして 2008 年の他社資料では全国平均点は下回るも のの44 位へ上昇している。全国学力試験で成 績不良群が進学を断念し、相対的に成績良好群 がセンター試験の母集団に限定された可能性が 考えられ、沖縄県全体の学力向上を反映するも のではないものの大学入試レベルでの成績の向 上は結果通りである。これを査証する報道とし て、本年の県内県立高校からの全国国公立大学 への現役合格者は初めて千名を超えたそうであ る。有力私立高校や浪人生も合わせるとかなり の大学合格数になるのでは?
普天間飛行場移転問題で緑陰ではなく何かと 気分も鬱々とした時期でもあるが、其処彼処に 沖縄の未来の光明はあるのではという気にさせ てくれる若者の活躍に感謝と賛辞を送り拙い稿 を終えたい。