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私の楽しみ
命どぅ宝〜命のゆいまーるプロジェクト〜

高良剛ロベルト

沖縄県立中部病院地域救命救急科
高良剛ロベルト

ある日、勤務を終え医局のメールボックスを 覗くと、県医師会からの封書が届いていた。そ こには沖縄県医師会報へ随筆を書くようにと広 報担当理事の當銘先生のお名前で書かれた依頼 文が入っていた。

内容は青春の思い出、一枚の写真、趣味など の他、紀行文、特技、書評など何でも良いとの ことであった。はて、これらのキーワードに当 てはまることで書けることはあるのかと考え込 んでしまった。趣味らしい趣味も持たず、青春 の思い出と言うと汗臭い仲間と野球部で過ごし たグランドの風景や、告白も出来ずに悶々とし たまま終わった片思いの初恋しか思い浮かばな い。とても人様にお披露目できるものではな い。紀行文が書けるほど旅行もしていない、特 技と言えば黙って人の話を聞く程度か。うー ん、困った。ふと机の上を見るといくつかの島 で仲間と一緒に撮った写真が目に映った。これ だ!今の僕を支えている趣味と実益を兼ねたボ ランティア活動、その名も「命どぅ宝〜命のゆ いまーるプロジェクト〜」について書こう。

私は県立中部病院地域救命救急診療科におい て頂いている。私のような平凡な医者が、百戦 錬磨のスーパードクターが並み居る救命センタ ーに置いてもらっている存在意義は何かと日々 考えるのだが、診療科名にある「地域」に私の 存在意義は有るのだろうと勝手に考えている。

ただ漠然と医者になりたいという想いだけで 医学部を目指していたのだが、運良く自治医科 大学にて医療を学ばせていただいた。これは、 今にしてみれば運命だったのかも知れない。地 元R 大学の医学部を受験したとき、面接の教授 に鼻で笑われた苦い思い出とともに、「この大 学には一生入れてもらえない」という想いが植 え付けられたのだが、自治医大を受験したとき はなぜか「この大学に吸い寄せられている」と いう不思議な感覚があった。

沖縄にはどのような離島が有るのかもよく知 らないまま、「医療の谷間に灯をともす」とい う建学の理念に惹かれ受験をした。入学後は毎 年県内の離島診療所での研修をさせていただ き、医療の原点を見つけた気がした。そして、 中部病院での長期合宿のような2 年間の研修を 経て、北大東島で3 年、西表島で2 年勤務させ ていただいた。医者一人、看護師一人、島の人 全ての健康問題に対応しなければならなかっ た。たまには島の青年の金銭問題や恋愛問題、 中学生の受験問題などにも対応した。その中で 幸せな人生とは何か、医者に出来ることは何 か、医療の限界はどこにあるのか、有り余る時 間を使って考えさせられた。私は島で医者とし て、そして、それ以前に一社会人として育てて いただいた。一つはっきりと分かったことは自 分一人で出来ることは少ない、と言うことであ った。人は皆助け合って生きていけるのだと痛 感した。医療もそうだ。

離島勤務を終え、県立中部病院での勤務をさ せていただけることになって、救急医療に関わ るようになった。その頃、県でも病院前救急と 病院の連携強化を目指すメディカルコントロー ル体制の立ち上げの時期であった。キーワード は救急隊と病院側の「顔の見える関係」であっ た。消防関係者と交流を深める中、現在ニライ 消防北谷署署長の金城俊昭さんに中の町の焼鳥 屋に呼び出された。それまで仕事上の会話しか なかった消防の皆さんと、これまでの経歴など 色々と話す内、離島医療についての話題となり、 「テレビのDr コトーを見ていると離島医療は大 変ですね」

という一言で私のシマ医者魂に火がついた。 ドラマと現実は違うこと、柴咲コウはいなかっ たこと(負けず劣らず魅力的な人はいますよ!)、 診療所では手術なんかはしない(できない?い や、しなくて良い医療体制がある)こと、島の人に応急処置を覚えてもらうことに力を入れて いたが、一人ではなかなか上手く指導できなか ったこと、沖縄の離島医療の現状などベラベラ としゃべり続けた(と思う。酔っていたためか よく覚えていないのだが)。そのとき、金城さん から考えてもみなかった反応があったのだ。

「我々がみんなで島に行けば何かできることが あるんじゃないか」

みんなで島に行って指導をすれば効率よく多 くの人が応急手当の知識・技術を習得できるの ではないか、というのである。

「命どぅ宝〜命のゆいまーるプロジェクト 〜」が誕生した瞬間であった。その後、メーリ ングリストでのやりとりを繰り返し、半年後の 2004 年5 月に津堅島での第一回目の講習会を 開催したのであった。住民20 名の受講者に対 し、会の趣旨に賛同した、職場も職種も異なる 救急救命士、救急隊員、消防学校初任科学生、 看護師、医師など34 人が島に乗り込んだので あった。前日に指導者養成の勉強会を開き、翌 日講習会を開いた。救急車がない島の実情にそ った現実的な対応を想定し、診療所、消防との 連携を確認しながら津堅島での緊急時にはどの ように対応するのが良いのか、実際に携帯電話 から119 するとどこにつながるのか確認もし た。その後も試行錯誤を繰り返しながら、これ までに島からの要請に応える形で17 の離島 (津堅島、伊平屋島、阿嘉島、座間味島、粟国 島 南大東島、北大東島、古宇利島、小浜島、 黒島、波照間島、渡嘉敷島、伊江島、西表島、 竹富島、渡名喜島、鳩間島)で、60 回を超え る講習会を実施し2,000 名以上の離島住民に応 急手当講習会を受講していただいた。旅費など 地元役場の援助や地域医療振興協会からの援助 を頂きながら、地元の要望に応えるべく活動を 継続しているところである。小浜島では、おそ らく県内最初の市民による心肺蘇生・除細動に て完全に社会復帰を成し遂げた症例もあった。 対応した方も当会の講習を受講した方であった ため、皆で大喜びし、さらに継続に向け力が入 った。

波照間にて

波照間にて

北大東にて

北大東にて

離島での講習をしながら、島で頑張っている 医師・看護師・保健師が孤独じゃないというメ ッセージを伝え、島々の皆さんと交流し、人や 自然に癒され、そして日々の仕事への活力を頂 いている。

皆さんも一緒に島に行ってみませんか?離島 医療に興味がある、皆と楽しく飲み会に参加で きる、船に乗り遅れない、というのが参加条件 です。ご連絡をお待ちしています!

西表にて

西表にて