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ギャンブル狂時代

佐久川廣

ハートライフ病院消化器内科
佐久川 廣

学生時代は、お金は無いが時間はたっぷりあ る。自分の学生時代も例に洩れずであった。昭 和50 年から6 年間新潟で過ごしたが、金が無 いのはしょっちゅうであった。月々の生活費は 親からの仕送りと奨学金、それとバイトでの収 入で、国立大学の平均的な学生の生活費であっ たと思う。しかし、何故かいつもお金が不足が ちであった。時間があれば勉強すればいいのだ が、元々好きではないので、ついつい街に出掛 ける。誘惑も多いので、いつのまにか生活費が 底をつくということを繰り返していた。

雪国の冬は炬燵が欠かせない。自然にマージ ャンが盛んになる。マージャンはゼロサムゲー ムである。本締めはいないので、雀荘を利用し なければ、場所代もいらない。効率の良いギャ ンブルである。初心者の頃はどうしても授業料 を払うことになるが、だんだん上達する。その 頃には下宿にカモの下級生が入ってきて、授業 料を取り返す日がやってくる。極めて公平なギ ャンブルである。

ギャンブルが商売として成り立つのは基本的 には客が損するからである。例えば、パチンコ の場合、客が使ったお金の数パーセントは店の 収入となる。客にどれだけ払い戻すか、いわゆ る期待値はギャンブルの種類によって異なる。 ギャンブル研究の第一人者である谷岡一朗氏に よれば、パチンコは期待値が良い方のギャンブ ルで、97 %である。その他、ラスベガスのルー レットは95 %、競馬は75 %、最も期待値が低 いのが宝くじで、46.4 %である。競馬や宝くじ は、「無知な人間に課せられた第二の税金」と 言われているようである。パチンコの期待値が 97 %だと言ったら、高校の友達に「そんなバ カな、あり得ない。」と激しく反論された。よ っぽど沖縄のパチンコ屋の出が悪いのかと思 い、敢えて反論しなかった。

学生の頃仕送り日の1 週間前に財布が空にな ったことがあった。部屋中の小銭をかき集めて も60 円程しかなく、それでパンを1 個買って 何とか1 日だけ過ごしたが、1 週間は長い。し かし、運良く繁華街にあったパチンコ店が新台 入れ替えとの情報が入った。新台入れ替えはパ チンコ店のサービス期間で、客に還元してくれ る。さっそく無一文でパチンコ屋を覗いてみる と友達が出る台をキープしてくれていた。神 様、仏様と拝みたい心境であった。それから、 しばらく連日のようにパチンコ屋で生活費を稼 いでいた。パチンコは先に説明したように期待 値の高いギャンブルである。しかしながら、高 校の友達のように多くの人が損をしている。し たがって、上手くやれば勝ち組に入れる。出る 台の前に座れば誰でも勝てるのであるが、どの 台が出るのかという情報を入手することが一般 の人にはなかなかできないので、負ける人が多 いのである。暇な大学生は情報を入手する手段 が抱負である。

新潟は公営ギャンブルが盛んであった。新潟 市の郊外の豊栄という所に中央競馬を開催する 競馬場があり、春の一時期と夏競馬が開催され ていた。競馬場は陸上競技上の何倍もの広さが あり、ホームストレッチの直線の距離は400m 以上もある。観客のほとんどは勤め人風の男性 か自営業営む人たちで、学生風の観客も時々見 かけた。今では女性客も多いようであるが、当 時は少なかった。観覧席と馬場との間にスペー スが広くとられており、多くのファンがフェン スの近くに陣取り、声援を送っていた。競馬場 に来ると不思議なことに大きな声が自然に出て きた。「よしやったー」とか「それゆけテンポ イント」などの掛け声がそこら中から聞こえて きた。実に楽しい場所だが、ほとんどの場合、 いつのまにか懐がスッカラカンになっていた。 帰りのバス代だけはなんとかキープしている が、つかの間の夢の代償は大きかった。

あまりよく負けるので、必死になって必勝法 を研究したことがあった。一番人気の馬の単勝 馬券を買い続けるのとどのくらいの払い戻しに なるのか、複勝の馬券ではどうかとか、しかし ながら、どれもうまくいかない。だいたい 75 %の期待値のギャンブルに必勝法などある わけがない。

夏の中央競馬が開催された初日に友達から競 馬場に誘われた。あいにく持ち合わせが千円し かなく、誘いを断るしかなかった。お金が無い 時は大人しくしているのが一番であるが、なけ なしの千円を友達に預けて、8 レースの連勝複 式馬券を頼むことにした。もし、それが当たっ た場合、次の9 レースに払い戻し金を全部使っ て、勝負馬券を買ってくれという伝言を付け加 えた。連勝複式馬券の組み合わせは30 通りく らいあるので、1 点買いではなかなか当たらな い。ほとんど期待もせず友達に千円を託したの だが、奇跡的に2 レース連続して当ててしまっ た。8 レースで当たったときに次のレースはど うするのかその友達は私に電話で確かめたかっ たようであるが、あいにく不在で連絡がとれな かったと後で聞かされた。それで元金の千円だ け残して、6 千円くらいを次のレースの1 点買 いにつぎ込んだようであった。今だったら携帯 電話で簡単に連絡をとれるが、当時は幸運にも そんな便利なものはなかった。恐らく電話を受 けていたら次のレースはキャンセルしていただ ろう。連続して当たることはほとんどないとい うことはよく知っていたからである。

卒業しても時々その友達に電話して馬券を買 ってもらっていた。日本ダービーのあった日の 夜に何故かすし屋のカウンターに座っていた。 その日の昼間は仕事があり、ダービーの結果は 知らなかった。カウンター越しにテレビのスポ ーツニュースを見ていたら、競馬の画面が出て きた。もちろんダイジェスト版であるから、レ ースの途中を端折っていきなり最後の直線が映 像で流れてきた。そしたらなんと自分が連勝複 式馬券を買った2 頭の馬が、直線の途中で先頭 に踊り出てきた。脚色も悪くない、思わすビー ルの入ったコップを握り締めた。そして、カウ ンターに他のお客さんがいるのを忘れて、テレ ビの画面に向かって思わず叫んでしまった。 「そのまま〜!!」。