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「産科医療に復帰して」
〜最適なライフワークバランスを目指して〜

叶三千代

琉球大学医学部附属病院 周産母子センター
叶 三千代

琉球大学は平成21 年度に文部科学省の周産 期医療環境整備事業に「周産期医療専門医育成 プログラム」という名称で応募し、承認されて います。周産期医療専門医を育成することが目 的ですが、その中に女性医師の就業継続と復職 支援も加えられています。女性医師が復帰しや すい様に、これまで大学附属病院では認められ ていなかった週30 時間の医師のパートタイム 勤務が認められる事になりました。私は今回こ の制度を利用して平成21 年9 月に卒業後15 年 ぶりに大学に戻って産科・周産期医療に復帰し ました。復帰までの事情とその後の身の周りの 変化を含めて報告します。

24 歳で大学を卒業後、一年だけ中部病院で インターンをして翌年の平成7 年に琉球大学の 産婦人科に入局し、大学人事で当時の県立那覇 病院、中頭病院、那覇市立病院などで研修を行 っています。その後大学に戻り、産婦人科認定 医を取得しました。その間結婚、長女出産を機 に大学を退職しました。その後は2 歳違いで長 男、次男を出産し、その間一度だけ常勤扱いで 約1 年勤務しましたが、それ以外は開業医の先 生のもとで外来診療のお手伝い程度のパートを 繰り返してきました。

パートで外来のお手伝いをしていると仕事の 時間以外は患者さんや仕事に縛られる事がなく 家に帰れば子供の世話や家事に専念ができま す。しかも普通の主婦のパートに比べたら格段 の待遇ですから、子供との時間や家事の時間が 欲しい主婦にとっては最高の境遇です。それが どうして大学で研修を始める事になったか、 色々な方に質問されます。

私が復帰研修を始めた動機について色々ある のですがいくつかにまとめてみました。

まず一つには、社会的な要求として昨今の医 療崩壊、とくにその中でも顕著な周産期崩壊、 医師不足があげられます。連日のように疲弊し た周産期医療についての報道があり、医師免許 を持ちながら“のほほん”と暮らしている自分 にも、その原因があるのだという自責の念は禁 じえませんでした。週に数回のパート外来は、 患者さんに対しての責任がほとんどなく、スト レスからは解放されます。しかしながら、技術 の進歩がないばかりか、能力の衰えを感じ、医 師として外来に立つこと自体が患者さんに申し 訳なく、自信を持って診療できない自分に気が 付き、鬱々と過ごしていました。

また、一般の主婦のパートに比べれば格段に 良い時給ですが、それでもパートはパートで 先々の保証は何もなく、高額な国民年金や国民 健康保険税を毎年毎年支払う度に、何とかせね ばと思っていました。

そして、一番末っ子も保育園へ通い、授乳も 終了すると、昼間の空いた時間はただ空しい時 間となっていきました。それに加え、子供たち のために仕事を制限しているという意識が、知 らず知らずのうちに子育てに完璧を要求し、気 づけば子供を支配しようとする親になっていま した。小さい間は傍に寄り添ってあげるのが一 番だという考えでそうしてきましたが、今後は 私が働く後姿を見せるのも一つの手かもしれな い、と子育てに関する考えも変化してきていま した。

外来の患者さんとの人間関係に関しても、主 治医として関わっていない関係上、自分の診療 行為に対しての対価は給料だけであり、診療行 為から反省や達成感を得られることはほとんど なく、医師としてはとても寂しいと感じる様に なっていました。

そんな中で、大学の若い先生方が実に生き生 きと仕事をこなし、青木教授を中心に活気のあ る医局の雰囲気に惹かれ、また同じ様に子育て をしながら仕事をこなす同年代の女医に言われ た“自分で患者を診ないと結局勉強にならな い”とのセリフや、医局長の“いくつになって も勉強に遅いことはない”というセリフに後押 しをされ、迷いに迷って、実に何カ月もかかっ て決断しました。

大学での研修は色々な事が新鮮で刺激的で す。若い時と同じ体験でも、出産、育児を経験 し、歳を経た今は、一味ちがった受け取り方が でき、仕事が楽しく毎日充実しています。また 少し距離をおいて子供と接する分、今まで以上 に子供が私に対して優しくなり私もより一層子 供が可愛く、そしてより愛しく感じられる様に なりました。

医療崩壊で勤務医が激務に耐えられなくなり どんどん辞めていくという報道を目にします。 突然の病気で長期休養せざるを得ない先生、あ るいは仕事優先で家庭崩壊を招いた先輩などが おり、男性女性に関わらず自分の健康を維持 し、家庭崩壊を招かない様な働き方を考えるべ きではないでしょうか。

私自身のこれまでを振り返ってみると仕事以 外考えられない20 代と、育児・家庭の基盤を 築いてきた30 代でした。そしてこれからの40 代は自分にとって最適なライフ・ワークバラン スをみつけ、維持することが課題だと思ってい ます。長期間同じスタイルで働くのが無理でも 試行錯誤を繰り返し、子供の成長段階に応じた スタイルで仕事を続けて行きたいと思います。

最後に、私の世代は外来パート勤務をしてい る女医が多いのですが、その中には勉強したい という気持ちがあっても、なかなか一歩を踏み 出せずにいる友人がいます。そんな中私の恵ま れた環境を思うと私を受け入れてくれた琉球大 学の復帰研修制度、および青木教授はじめ医局 の先生方、卒後年数からは指導的立場を期待さ れるはずなのになかなか役に立たない私を直に 指導して下さっている佐久本薫先生に感謝の念 を禁じえません。この場を借りてお礼を述べさ せてもらいます。どうもありがとうございまし た。そして今後もよろしくお願いします。