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古稀のドゥル(泥)
ムターン(遊び)その2

宮城英雅

宮城小児科医院 宮城 英雅

ろくろを回している時は親指と中指の或いは 左右の中指が器の外と内側から微妙な圧力を加 えて成型して行く。これまさに土壁を挟んで互 いの思いを伝えようとする指と指との対話であ る。何故かベルリンの壁を思い浮かべた。土が 厚い間は回転も速くて可いが、薄くなるとゆっ くり回転させて指の動作も遅くしなければなら ない。

蹴ろくろと言うのがあり足で蹴ってろくろを 回すのだが、どだい回転させるだけでも難しい 上に、かがんで肘を太ももに固定して土をいじ り、回転の速度を加減しながら蹴るなど筋肉が 突っ張って痛くて不可能。歳を感じると同時に 往時の作陶家の苦労が偲ばれた。

作品が乾いたら次ぎに削りと言う作業があ る。ろくろを回しながらナイフで削るのだが力 加減を誤ると台無しになる。マカイ(椀)の底 にナイフを当てて回転させながら削って高台を 作る。その為底は厚めに造っておかなければな らないのだ。やり直しが効かないので緊張する 作業だ。柔らかい粘土の時は感じなかったが乾 燥すると表面がざらざらしている。それをやす りをかけて滑らかにする。掃除と言っていた。

これが済むとコップの外側に釉薬を塗る。焼 成すると黒くなるそうだ。灰色の液体を内側と 高台を除いて塗りつぶす。高台に塗ると焼いた 時にくっついてしまう。その釉薬が乾燥したら 模様を描くのだが良い図柄が描けない。狩猟時 代の原始人の描いたような稚拙な絵になった。 線ぼりした跡には削られた粉が浮いてくるが息 で吹き飛ばす。刷毛で掃くとその部分の釉薬が 薄くなり焼けむらが生じる。自分には絵心が無 い事を否応無しに知らされた。H 氏(職業不 明)は鼻歌を謡いながら生地を削って魚を浮き 彫りにしている。見るとスケッチをした紙片が そばに置かれている。作陶に対する心構えが違 うと感心した。

マカイに音符の図柄を描いていると、若い女 の先生に「音楽が好きなのですね。」と声をか けられた。賛辞ではなく、単なる確認の言葉に 聞こえて振られたような寂しさが頭をかすめ た。コップには葦の葉にトンボが止まった図柄 を描いたが線彫りだけなので迫力がない。未経 験者は焼き上がった時の想像が出来ないから悔 しい。

平皿の底の中心部には模様を入れない。弱い 所で割れてしまう事がある。角皿は底になる所 はたたきつぶしてスポンジで滑らかにし縁の部 分は直角に立ち上げる。底と壁の接する所はす き間が出来ないように接着し丁寧に塗り込まな いと焼く時に割れたりする。また30 センチ× 10 センチもの角皿は、土が乾く前には持ち上 げる時に折れる事もあるので慎重さが求められ る。これには松葉模様をちりばめた。ちなみに 平皿はろくろで角皿は手びねりである。

又箸置きも3 個作った。ひとつは子どもが横 向きに寝ていて頬杖をつき足を組んだポーズ、 トントンミー(とびはぜ)は焼き鳥用の串で目 ん玉と口を開ける。三つ目は瓢箪でこれは素焼 きにした。焼成すると焼き物は縮むらしい。

数週間を経ていよいよ焼成した作品ができ上 がった。ずらっと並べられた作品群の中から自 分の物を見つけ出す時のあの心のときめきは忘 れられない。コップや椀の形は誰の作品も皆似ていて形だけでは自分の作品を判別出来ない。 どれもこれも素晴らしく見える。ということは 自分の作品も(皆と伍しているな)と独り納得 するのであった。

図柄を確認して自分の物を取り上げた時の感 動たるや、産声をあげている我が子を見る母親 の気持ちを彷彿させられる瞬間であった。良く 出来たと褒めたい気持ちが駆け巡る。しばらく 眺めたり撫でたりして感傷にふけっていたがや がて理性をとり戻してあら探しを始める。全体 的に見て形は悪くない。しかし図柄が鮮明では ない。線が二重になったりしている。雰囲気も いまいち物足りない。他人の物を見せてもらい その素晴らしさに感動しそのアイデアを確りと 胸に刻み込み次の糧とする。見劣りのする自分 の作品に無理矢理及第点を上げて大事に持ち帰 った。とても愛おしく感じたものだ。

家族は「初めてなのにこれだけの物が出来る の!」と賛辞を惜しまない。その言葉が次への エネルギーになるのであった。

こうしていろいろな体験をさせて貰った頃は コースも終わりに近づいていて、狭い路地では カエルの鳴き声が聞こえる4 月を迎えていた。

この陶芸教室は週1 回7 時から9 時迄で12 回、費用は3 万円なり。女性徒の1 人は座間味 から1 泊の予定で通っているらしい。ヤマトゥ ンチュ(先進国民)が多いと言う事は彼らは異 郷の琉球文化に対する関心が高いのでしょう。 逆にシマンチュ(琉球先住民)にとっては当た り前になっていて鈍感になっている。

航空会社の生徒は単身赴任で寂しい生活を予 想していたが、来て良かったとしみじみと話し ていた。

最終日はピザパーティーで締めくくった。教 室のスタッフが陶芸用の窯でピザを焼いてくれ た。焼き鳥や焼きそばなどいろいろな物が出さ れた。僕は即席で覚えたカクテルを三種類振る 舞った。トムコリンズとジントニックが大好評 で女性が絶えず4、5 人列を作って並んでいた。 お蔭で自分は飲めない食べられないの状況であ ったが、可愛い講師がピザを持って来て「カク テルがとても美味しい」と言ってくれた。嬉し くて胸が熱くなる。飲んだ事の無いご婦人方も 美味しいと言っていたが1 時間後には、ハイテ ンションになっていた。

「まあ、先生もコースに参加してらしたの。 一言声をかけて下されば良かったのに。」と教 室の主催者であるK 女史が恨めしそうに言っ た。実はこの方こそ欠陥品のカラカラーをそれ とは知らずに売ってしまい、それがきっかけで この陶芸教室に通う事になり、お蔭で楽しく少 しほろ苦く、甘酸っぱい、そして意義深い三ヶ 月を体験出来た感謝すべき方である。

しばらく休んでデザインの勉強をしてから再 度作陶に挑戦しようと決めていた。帰る時、2 人の女の先生が薄暗い狭い路地を表通りまで送 ってくれた。その際、その旨決意表明すると可 愛い先生は「きっとですよ」と気のせいか僕の 目の奥をじっと見て言った。(ボカー、し・あ・わ・せ・だ。)

その機会は5 ヶ月後に訪れる事になるがその 時は毛頭予想だにしていなかった。それについ ては稿を改めて禿筆を曝すつもりである。