国立病院機構沖縄病院 石川 清司
「恋島への手紙―古宇利島の思い出を辿っ て」(新星出版、2007 年)に続く著者の足跡で ある。彼は世界保健機構のエイズ戦略に参画し た。15 年間にわたる地球規模での活動の舞台 があった。何が、彼をしてそこまで駆り立てた のかに興味を覚える。
彼の出身地「古宇利島」は、沖縄本島北部、 羽地内海に浮かぶ小島である。空の青、そして 海の青。水平線は越えるべき存在以外の何者で もなかった。島でランプの生活を体験した最後 の世代である。
素朴なランプのほのぼのとした灯りは、檜舞 台のまばゆいほどの照明の中においても、「一 隅を照らす」ことの大切さを記憶に留めてい た。「エイズ」を含めて、病気はややもすると 社会的弱者を襲う。かつての結核がそうであっ たように衛生環境、経済格差は病気の悲惨さを 助長する。文章の合間に、救いを求める人々に 対して手をさしのべる勇気と正義感を垣間見る ことができる。
沖縄の「なんくる」の精神は貴重である。著 者が「翔べ」とけしかける背景には、「なんく る」の本来の意味が隠されていた。先人の教 え、「まくとぅ(誠実に)そうれ(生きていた ら)」・・・「なんくるないさ(道は開ける)」 である。この南国的楽観主義は、果敢に挑戦す る心を育んでいた。願わくは飛ぶ前に、確固と した専門性を背負い、語学を踏み台にして跳ぶ のが着実な道程である。しかし、語学は有効な 手段ではあるが、必ずしも語学が全てではない と彼は説く。
宇宙から地球の美しさを知るのと同様に、国 連機関での活動の中から日本の良さを学ぶ。正 確な航海を続けるには、一歩も二歩も距離を置 いた世界から、自らを見つめ直すことも大切な 視点なのでであろう。若い世代が、世界を駆け 巡る活動をとうして、国の、政治の、そして自 らの航海の目的を明らかにしていくことの大切 さを強調する。
北海道大学で教鞭をとる著者と私の接点は名 護高校時代にある。当時の名護の町には、名護 の七曲がりから屋部村につながる長い砂浜が存 在した。名護城(ナングスク)からの眺望、白 い砂浜、名護湾、夕日の沈む水平線。自然は夢 を膨らませた。この素朴な自然の背景が、彼を して地球規模の活動の場に押し出したものと考 えたい。夢を喰うことを忘れかけた現代の若者 に一読を勧めたい。
古宇利島を小舟で渡った。真っ赤な血で染ま ったイルカ狩りの名護湾を臨んで高校生活があ った。彼はテニス部に属し、私は新聞部であっ た。血気盛んな連中が多く、生徒会の会長選挙 等は燃えに燃えた。そして沖縄を脱出、東京で のカルチャーショック。異文化に多少面食らっ たが、かえってそれらをバネにして日本を脱出 し、渡米。努力、忍耐等の用語を用いることな く、さらりと激戦の地を駆けめぐった足跡が綴 られている。
WHO での活躍の舞台からの帰途は、沖縄の 地ではなかっ た。さらなる 挑戦の旅が続 く。現在の彼 の肩書きは、 北海道大学 大学院医学 研究科(国際 保健学分野) 教授である。 さらなる活躍 を期待すると ともに、若い 世代にこの本 を推薦する。
玉城 英彦著 世界へ翔ぶ
−国連機関をめざすあなたへ−(彩流社)