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平良賀計先生瑞宝小綬章受章・
幸地昭二先生日本医師会最高優功賞受賞・
糸数健先生沖縄県功労章受章祝賀会

真栄田篤彦

常任理事 真栄田 篤彦

左より幸地昭二先生と登代夫人、平良賀計先生と正子夫人、糸数健先生と瑠美子夫人

この度の平良賀計先生瑞宝小綬章受章、幸地昭 二先生日本医師会最高優功賞受賞、糸数健先生沖 縄県功労章受章を心よりお祝い申し上げます。

先生方のご受章を称えた祝賀会が、平成21 年11 月25 日ロワジールホテル那覇において行 われ、会場溢れんばかりの多くの方々が出席さ れ喜びを共にされました。

宮城会長

はじめに主催者を代 表して宮城会長より、 本県の保健、医療活動 を通し県民生活の向上 発展に大きく貢献され た先生方の永年のご労 苦に対する労いと感謝 の言葉が述べられると共に、県民が希求する安 心・安全な医療の構築のため、引き続きのご指 導、ご助言を賜りたい旨の挨拶がありました。

続いて、友寄英毅那覇市医師会長より先生方 のご功績が紹介された後、来賓を代表して奥村 啓子県福祉保健部長より、先生方に対しご祝辞 が述べられました。

その後、記念品・花束贈呈が行われ、先生方 よりお礼のご挨拶が述べられ、新垣善一議長の 音頭による乾杯の後、懇親へ移りました。

なお、先生方の業績内容と謝辞を以下のとお り掲載します。

業績紹介

友寄英毅那覇市医師会長
友寄英毅那覇市医師会長

瑞宝小綬章を受けら れた平良賀計先生、日 本医師会最高優功賞の 幸地昭二先生、沖縄県 功労者表彰の糸数健先 生、本日は誠におめで とうございます。

叙勲と日本医師会最高優功賞と沖縄県功労者 表彰、本日は「三賞揃い踏み」です。これは那 覇市医師会開闢以来初めてのことであり、会員 一同、大変誇りに思い喜んでおります。御三人 の先生方に心から敬意と感謝とお祝いを申し上 げます。

それでは御三人のご業績を紹介いたします。

先ず、平良賀計先生ですが、先生は昭和33 年に中央神経科医院を、昭和34 年に天久台精 神科医院を開設され、以来、沖縄県の精神障害 者の治療、精神薄弱児の教育福祉対策に大きく 貢献してこられました。その他家庭裁判所調停 委員、精神衛生鑑定、麻薬撲滅対策など多方面 の精神衛生事業に貢献してこられました。

昭和43 年には天久台病院となり、その後、 介護老人保健施設クリニックおもろまち、障害 福祉サービス事業施設などを開設して大きく発 展してきました。

今年は天久台病院開設50 周年の記念祝賀会 も行われ、又、先生には米寿を迎えられました ので、三重のお祝いの年になりました。

平良賀計先生は趣味多彩な先生です。俳句は 沖縄県現代俳句協会長を務められる程の名手で あり、今年は88 句からなる「米寿記念句集」 を発刊されました。

賀計先生はダンスの名手でもあります。ある パーティーで奥様とダンスを披露された先生の 姿はまるでフレッド・アステアを目の当たりに 見る様でした。

先生の「米寿記念句集」にもありますように 「卒寿を見据えて」ますますお元気で楽しくご 活躍下さい。本日はおめでとうございます。

次に幸地昭二先生のご業績を紹介致します。

先生はこれまで沖縄県医師会理事、副会長、 那覇市医師会副会長、沖縄臨床検査ガンセンタ ー会長、消化器内視鏡会長などを歴任し、広く 医師会事業に貢献されました。

又、祖国復帰前の胃カメラ同好会や沖縄対ガン 協会の設立と運営にも中心的に活躍されました。

昭和40 年に幸地先生が中心になって始めら れた成人病クリニックは医師会と新聞社が共催 して行った組織的な胃集団検診であり、対ガン 思想の啓発普及の上で、画期的な事業でした。

私が最も強調したいことは、昭和38 年頃か ら始まった、消化器診断の研修に我が国トップ クラスの先生方を次々と招聘して実施したこと です。講演、質疑応答の後、会員が持参した胃 X 線フィルムの読影指導が夜11 時、12 時に及 ぶこともよくありました。

講師の先生方は1 週間、2 週間、最も長い人 は1 ヵ月近くも沖縄に滞在して、会員施設での 実技指導を行ったのです。

この様な研修は全国的にも希なことであり、 当時消化器診断の研修に参加した会員は皆、幸 地先生から大きな恩恵を受けたのであります。 この様な研修を実現できたのは幸地先生が人脈 豊富であっただけではなく、人とのつながりを 大切にされたからだろうと思います。

昭和44 年に沖縄内視鏡学会長として国立ガ ンセンター及び癌研究会研究所と協力して本県 における悪性新生物実態調査を行ったこと、昭 和47 年に那覇市医師会看護学校の設立と運営 に尽力されたこと、昭和48 年に「那覇地区医 師会夜間急病センターの設立と運営に尽力され たこと、多くの会員が日本内視鏡学会の認定医 を取得するように導いたことも幸地先生の大き な功績であります。

幸地先生にはこれからも健康第一にして、私 たちをご指導下さいますようお願い致します。

続きまして、糸数健先生のご業績を紹介いた します。

糸数先生は、那覇市医師会理事、副会長、会 長を合計21 年間務められました。又、日本産婦人科医会沖縄県支部(旧日母)の理事、副支部 長、支部長を合計37 年間務められました。日本 産婦人科学会沖縄県地方部会理事を昭和45 年 以来務められ、現在39 年に至っております。

那覇市医師会にあっては、糸数先生は常に強 力なオピニオンリーダーであり、先生の判断と 行動は常に正確迅速でした。各種検診事業、学 校保健、予防接種、救急医療、健康教育、臨床 検査センター事業、看護学校運営などあらゆる 医師会事業の向上発展に大きく貢献されました。

昭和41 年から日本産婦人科医会沖縄県支部 (旧日母)と医師会と新聞社が連携して実施して いる子宮ガン集団検診と県民への啓発活動では、 糸数先生は常に中心になって活躍しています。

先生は日本臨床細胞学会沖縄支部の設立に尽 力され、昭和59 年設立後は支部長を務めると 共に、学術研修会や症例検討会を開催して検査 技師の指導育成に尽力されました。これらの研 修を受けた多くの検査技師が資格を得て、細胞 診検査士となって、全県下で活躍しています。

糸数先生は全国比で最悪であった沖縄県の乳 幼児死亡率、新生児死亡率の改善にも尽力され ました。平成8 年にスタートした南部地区周産 期ネットワーク協議会、現在は沖縄県周産期ネ ットワーク協議会となっていますが、糸数先生 はこの協議会の設立のために尽力されました。 本協議会は未熟児を受け入れる県内6 つの国公 立病院の新生児空床情報を毎日那覇市医師会で 集計し、地域の産科診療所からの新生児搬送を スムーズにするシステムであります。このシス テムは沖縄県の新生児死亡率の改善に大きくつ ながっており、日本医師会や厚労省からも高く 評価されています。糸数健先生には、今後とも お元気に私達をご指導下さいますようお願いい たします。

これで、御三人の先生方の業績紹介を終わり ます。本日は誠におめでとうございます。

祝 辞

奥村啓子沖縄県福祉保健部長
奥村啓子沖縄県福祉保健部長

平良先生、幸地先 生、糸数先生この度の 栄えある受章、誠にお めでとうございます。 心よりお祝いを申し上 げます。

平良先生におかれま しては、昭和33 年に中央精神科医院を開設し 院長に就任後、今日に至るまで沖縄県の精神薄 弱児教育福祉対策に取り組まれたほか、精神衛 生事業に尽くされた功績、沖縄県精神病院協会 長として重責を遂行された功績など、精神科医 療の技術向上、本県の精神衛生事業の進展等に 大きく貢献されました。

幸地先生におかれましては、昭和37 年8 月 に内視鏡同好会の設立を提唱、理事に就任後 から今日に至るまで、沖縄県がん協会設立にご 尽力されるとともにがん検診の充実発展に努め られる等、本県のがん対策に大きく貢献されま した。

糸数先生におかれましては、昭和41 年に帰 郷後今日まで日本母性保護医協会沖縄県支部を 誕生させ、子宮がん撲滅事業に取り組まれたほ か、日本臨床細胞学会沖縄県支部を発足される など、専門とする産婦人科以外にも本県の地域 医療活動に大きく貢献されました。

平良先生、幸地先生、糸数先生の保健、医 療、福祉の向上に対する多大な貢献に対し心か ら感謝申し上げます。

さて、多くの離島を抱える本県にとって、離 島医療体制の整備や医師の確保は重要な課題と なっており、その解決に向けて県医師会と連 携・協力し、総合的な保健医療体制の確立に取 り組んでいるところであります。沖縄県医師会 の先生方には、なお一層のご支援、ご協力をよ ろしくお願い申し上げます。

結びに平良先生、幸地先生、糸数先生の今後 ますますのご健勝とご活躍並びに会場の皆様のご 健勝を祈念申し上げお祝いの言葉といたします。

平良賀計先生 謝辞
平良賀計先生

本日は大勢の方々に おいで頂き私共に対す る心からのお祝いをし て頂きありがとうござ いました。私は福祉の ためや何かに尽くした という覚えはございま せんが、折角叙勲をあげるというので、「じゃ あ頂きます」ということで頂いた次第です。

11 月11 日に皇居に参りましたとき、私が年 長者に見えたのか、天皇陛下が私に話しかけて 下さいました。「どこから来ましたか?」とおっ しゃるので、「沖縄県から来ました」と答えまし たら、「どこに住んでいるのですか?」とおっし ゃるので「那覇市に住んでます」と答えました。

すると「今度の戦争は大変でしたね」とおっ しゃるので「はい、大変でしたがもう復興し て・・・」と答えようとしましたら、すでに向 こうに行ってしまいました。

本年は私共の病院の創立50 周年でもあり、 私の米寿の祝いでもあり、また今月の20 日に 私の句碑が宮古に出来まして、その除幕式を終 えて帰ってきたばかりであります。また、家内 との結婚60 周年記念でもあります。よく持ち こたえたと思います。私にとっては五重の喜び の本年は最良の年であります。皆様のおかげで こうしてお祝いもして頂き、どうもありがとう ございました。

幸地昭二先生(真栄田常任理事代読)
幸地昭二先生

本日はご多忙にも関 わらず、この壇上にお ります3 名の為に出席 頂きありがとうござい ます。只今、友寄那覇 市医師会長先生よりお 話がありましたように、 これまでの医師としての活動は四つの時代にな ります。

一つ目は、大城外科勤務時代に研究熱心な大 城先生の依頼で、陸軍病院の病理検査室へ病理 標本を運ぶ役目を仰せつかり、そのお陰で臨床 検査センターとのパイプを作ることが出来、5 周 年記念事業の前に会長職を仰せつかり、その後 法人格を取得した那覇地区医師会で、當山会長 先生の下、副会長を務めさせて頂いた時代です。

二つ目に、大城先生の薦めで東大八研に出張 し、その時の経験を生かして、胃カメラ同好会 を大城先生、喜屋武先生方と共に結成いたしま した。その同好会が、森純伸先生の助言等もあ りまして、今日の内視鏡学会へと大きく変化し ていく中で深く関わっていた時代です。三つ目 に、前田先生、崎浜先生の提案で看護学校設立 が那覇市医師会理事会にて正式に決定し、当時 の當山会長、赤嶺事務長が上京して一度は断ら れた補助金を西銘衆議院議員の協力を得て出し て頂けるようになった際に計画書修正のお手伝 いをしたり、看護学校の先生探しに東奔西走し た時代です。

四つ目は、那覇市の救急センターの設立に関 わった時代です。この時は復帰後で看護師不足 の中、コザ病院の救急センターの閉鎖の話が当 時の宮里副知事に持ち込まれ、救急の対応を宮 里副知事を中心に行い、県の支援を取り付け、 閉鎖に至らずに済ませたこと、その後那覇に夜 間救急センターの設立を當山会長に依頼され、 旧県立那覇病院跡に設立まで関与することがで きました。

その後、脳梗塞で倒れましたが、運良く回復 し県庁の診療所長を任されたり、対ガン協会の全国大会に毎年出席したことを評価して頂き、 検診者を2 台贈答して頂いたことを覚えており ます。

最後になりますが、佐藤八郎九州地方内視鏡 学会長のお陰で第2 回認定医会議で沖縄に私を 始め高里先生、佐久本先生ら20 名の認定医を 出すことが出来、その祝賀会を盛大に行えた 事、大変良かったと思っております。

この度は県医師会長、那覇市医師会長を始 め、諸先生方のお陰でこのような日本医師会最 高優功賞を頂くことができましたことを心より 感謝します。誠にありがとうございました。

糸数健先生 謝辞
糸数健先生

本日は平日で診療の お疲れであるにも関わ らず、大勢の方々にご 参加頂きありがとうご ざいます。懐かしいお 顔もあちこちに見られ て嬉しく思います。先 ほどは県医師会長よりご丁寧なご挨拶を頂きあ りがとうございました。友寄那覇市医師会長か らは私の業績をご紹介いただきましたが、友寄 先生は小学校の頃から作文が好きで、ほめ方も 上手だと思いました。ありがとうございまし た。奥村沖縄県福祉保健部長からはご丁寧なご 祝辞を頂戴し本当にありがとうございました。

この度、医師会の推薦で沖縄県功労章を受章 いたしましたが、受章してはじめてその反響の 大きさに驚いており、果たして自分がそれに見 合うような仕事をしたか振り返ってみますと忸 怩たる思いがありますが、物事はポジティブに 考えようと、まだ老けるのは早いからもう少し 頑張れという激励と私と一緒に今までやってき た仲間を代表して受け取ったものと理解するよ うにいたしました。これからも精進・努力して もう少し世の中のために尽くせるように頑張る つもりです。これからもご指導ご鞭撻をよろし くお願いいたします。

本日はありがとうございました。