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48 歳雑感

涌波淳子

北中城若松病院 涌波 淳子

医局で雑談中に「医師会から年女の原稿依頼 が来てね」と何気なく話した時、ある先生が、 「エッ、先生って・・・」と言いかけた。彼は、 その言葉を飲み込んで、別の言葉を使ったのだ けど、私の耳には、「そんなに年だったの」と 聞こえた気がした。私自身がそうだったよう に、30 代の彼にとって、48 歳というのは、も う、かなりの年配、おばあちゃんに足を踏み入 れるぐらいの年齢に感じるのだろう。(サザエ さんのお母さん、舟さんの年齢は、48 歳の設 定らしい・・)実は、私自身も自分の実感と暦年齢とのギャップに戸惑っている。

しかし、先日、育児休業中の女医さんが、赤 ちゃんを連れて遊びに来た時、今までとは、感 覚が違うことに気づいた。そう、今までは、赤 ちゃん連れの女性に対し、「ちょっとした先輩」 「子育てを経験したお姉さん」のような気持ち で接していたはずが、今回、この赤ちゃんを抱 いた時、自分自身が「おばあちゃん」の立場で 話しているような気がしたのだ。

昨日、今日、明日 いつの間にか1 週間がた ち、月が替わり、あっと言う間に年が改ま り・・気づいたら、48 年。確かに、白髪を染 めたり、老眼鏡も購入したりと身体はしっかり と年相応になっているものの、「40 不惑」を超 えてもまだまだ毎日惑ってばかりで、精神が追 いついていないかと思っていた。しかし、今回 の件で改めて振り返ってみると、いつの間に か、気持ちや物の見方は、少しずつ、「人生の 次のステージ」に移ったような気がする。

先日、ある講演会で、「誕生から20 歳まで は、生物学的に『ヒト』として成長する時期。 20 歳から40 歳は、『社会人』『職業人』として 成長させてもらえる時期。40 歳からは、成長 した事を生かして社会に還元する時期。」とい う話を聞いた。私にできる「還元」とは何だろ うか。人は、「受けたもの」があるから、「還 元」できるのだという。この48 年間の間に、 私が「受けた多くのもの」の中から、今の私が 「還元できる事」は、何?

一つは、神様から授かった二人の息子が、し っかりとした社会人になるまで育てる事。「子を 持って知る親の恩」。一人の人間が自分の足で 立ち生活し、そして、社会に出て行くまでには、 どれほど多くの愛(手も心も)を受けてきたこ とだろう。両親だけではなく、その両親を支え てくれた多くの方々の愛によって、私は、ここ まで成長させてもらった。今度は、私自身の番。 自分の息子たちだけではなく、同じように子育 てしている方々のサポートもしていきたい。

二つ目は、高齢者医療の大切さや喜びを伝え ること。私が高齢者医療に足をいれたのは、35 歳。義母が脳卒中後、重度の意識障害となった 事がきっかけであった。右も左も分からない私 に、神様はすばらしい先輩たちを与えてくださ った。急性期の医療と異なり、高齢者医療に、 華々しさはない。しかし、人生の集大成の時期 に関わる医師としてのやりがいも喜びも苦悩も あることを教えてくれた先輩たち。私自身もま だまだ発展途上であるが、先輩たちの志を繋い でいきたい。

三つ目は、女性医師支援。仕事と家庭の両立 の中で、教授をはじめ、多くの方々に迷惑をか け、助けてもらった。そして、今、管理職とし て、違った視点で見えていることもある。自分 のこの経験と現在の役割を通して、管理者と女 性医師を繋ぐことができればと思う。

30 代の頃、50 代でバリバリ働いている方々 がまぶしく見えた。あの頃の私は、新人研修で 「輝く50 代をめざして」と話していたが、その 50 代に近づいた今、私の目の前には、老いて もなお輝いている70 代の先輩方が現れた。今 日からは、輝く70 代をめざして、一日一日を 大切にしていきたい。