中頭病院 下地 勉
年男だそうである。1962 年12 月生まれの寅 年(正確には庚寅(かのえとら)を迎えた)。
今まで自分の過ぎし日々のことを振り返るこ とは殆どなかった。この4 回目の干支の機会 に、過去3 回を少し振り返ってみたい。
1974 年、小学6 年生。その2 年前に沖縄は 本土復帰し、通貨がドルから円に変わった。小 学入学以来、算数の教科書は円で計算を習って いた。復帰当初、ドルの紙幣に比べ(絵柄が) 頼りなさそうに見えて妙な違和感があった円 が、教科書に出てくる通貨と同じであること に、次第に安心感を覚えていた。
1986 年、大学6 年生で医学部の最終学年、 部活も引退し、いよいよ国試を控え、いやでも 緊張感が高まっていたことを思い出す。振り返 れば当時はバブル経済の真っ只中で、友人の就 職も、銀行、証券会社、一般企業などが多く、 公務員はその次の選択という風潮であった。い まから考えれば、夢のような就職戦線である。 音楽シーンは、あのマイケルジャクソン、マド ンナが席巻していた。
1998 年、大学を離れ、現在の職場に就職し ていた。家庭を持ち、2 人の子供と過ごすのが 一番の楽しみであった。気力はいざ知らず、体 力は一番充実していた(と思う)。元来スポー ツは見るのも、するのも好きだった。あるきっ かけで始めたゴルフであるが、この頃はのめり こんでいた。車の運転中、ハンドルを握れば、 理想の“グリップ”を求めて左右の手は落ち着 かなくなり、多くの「医学書以外の文献」にも あたって、理論構築に励む日々だった。
さて順調に見えていた“ゴルフ修行の身”に ある日から変調が現れた。スイングのトップの 位置で右肩が妙に引っかかるのである。それは 徐々に存在感を増し、とうとう1 年ほど右肩に 居ついた。そう、肩関節周囲炎(いわゆる四 十、五十肩)である。この時は、何とかスイン グはできるので、ゴルフを止めるというほどの ことはなかった。しかし、この厄介な病はなん と左肩へ移動してしまったのである。左にくる ともうだめである。ゴルフ談義で、スイングは 右腕と左腕のどの腕が中心かという議論がある が、正解は左腕である。肩関節周囲炎について 改めて調べてみた。数多くある解説の中に「四 十歳から五十歳代を中心に起こる肩関節周囲の 炎症で、一種の加齢現象」という記載を見つけ た。まだまだ体力に自信があっただけに、少な からずがっかりである。肩関節周囲炎は、日常 生活には大きな支障はないが、スポーツをする には厄介な状態で、英語の「Frozen Shoulder」 の表現がぴたりとくる。この疾患は外来診療で 時々みることがある。辛い(幸い?)この経験 がものをいい、問診、理学所見、治療法、予後 の説明と、流れるような?診療風景である。診 療の最後に、六十歳代の女性には“五十肩で す”、五十歳代の男性には“四十肩です”と告 げて、患者さんから深く感謝されている。結 局、肩関節周囲炎の罹病期間は、右肩1 年+左 肩2 年の合計3 年間に亘り、その間2 年間はゴ ルフ休止である。しかしこのところ痛みはほぼ 完治し、再開の時期を探っている。
さてゴルフ界の寅(虎)といえば言わずと知 れたタイガーウッズである。彼は昨年、膝の手 術から見事に復活した。こちらは猫のような虎 ではあるが、2010 年、この寅(虎)年に華麗 に復活するのを密かに期している。