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庚 寅

我喜屋出

がきやクリニック 我喜屋 出

あけましておめでとうございます。

今年は4 回目の年男ということで、執筆の機 会をいただくこととなりました。そこで、干支 の話を少しさせていただきたいと思います。

ものの本によると、洋の東西を問わず輪廻転 生という概念があり古文書には様々な形でその 記録が残されているようです。「日本霊異記」 によると「前世で子供の所有する稲10 束を盗 んだ父親が現世で牛に生まれ変わり、その子供 が執り行った法事の席に現れ、自分の犯した罪 を告白する。子供は、大声を出して泣き、父親 を許すも、父親が転生した牛はその日の夕方死 んだ。」との記述があります。また、岩戸山古 墳に残る石人、石馬は葬られた故人の守護ある いは故人の輪廻転生の姿を現しているとの解釈 もあるようです。ここ沖縄においては伊波普猷 氏の「をなり神の島」で朝鮮人南島漂流記の記 載として祭事の際、人形や鳥獣形を社寺に飾り 付ける風習があったことが指摘されており、こ れも死者や祖先が再生するまで転生する動物や 人間を表していることを物語っているそうで す。イタリアのエトルリア地方の墓の奥壁の男 女の絵図とともに描写されている牡牛の絵ある いは古代ペルシア帝国のペルセポリス宮殿入口 の人面牡牛像などは死後牛に変身するという思 想の流れのようです。

古来、人間の住居は山を背景としその麓には 神霊の降下を迎える場としての陵が築かれまし た。死者の魂は死去した場所で一定の日々を過 ごし、山に帰るという思想です。そして女性原 理である山の神の体内に入り、月満ちて鳥獣と して生れ出ます。猟師は狩猟の後必ず山の神に 猟獣の内臓その他を供え、山の神の許しを請い ます。古代クレタ文明などではポツニア・テー ローンと呼ばれた山の神がいて、ポツニアは女 主人、テーローンは野獣たちを意味します。そ して山の神の周辺にはライオン、鳩、牡牛、牝 牛、野生山羊などが侍ます。

このように輪廻転生、山の神などという概念 から人と鳥獣とは死生観を軸として深くかかわ ってきました。そして鳥獣は東西南北の方位に 配置され、また年月の時間にあてられました。

十干十二支という概念が中国殷の時代に生ま れています。十干とは10 を一つのくくりとした 「旬」の繰り返す始まりの日に名づけたもので す。甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 がそれです。今では月の上旬、下旬といったも のがその名残です。そしてこの十干に木火土金 水の五行と陽陰(兄弟)のえとが対応し和言葉 の十干が生まれたのです。丙(ひのえ)丁(ひ のと)などがそれです。十二支の起源は今の木 星が12 年を周期として天空を回ることから始 まったといわれています。「事始」などでは黄帝 が子・午などの十二辰に見立てて月に名づけた といわれています。子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥がそれです。ただ、鳥 獣の中でなぜそれぞれがあてられたかは不明で す。この十干十二支が合わさって干支が成立し ました。干は幹、支は枝と考えられています。 これにより60 の組み合わせ(10 と12 の最小公 倍数)ができることとなり、これを六十干支と よびます。ちなみに壬申の乱は672 年が壬申 (みずのえさる)、戊辰戦争は1868 年が戊辰 (つちのえたつ)からきており甲子園は甲子(き のえね)の年に完成したことによる命名です。

また、同じ寅年でも私の生まれ年の1962 年 は壬寅(みずのえとら)そして今年は庚寅(かのえとら)となり60 年後に一巡し還暦となる のです。そしてこの庚寅はどういう意味合いが あるかというと庚:万物が粛然として更まるこ と、寅:万物が演然として初めて地上に生ずる ことです。昨年は日本でも政権交代がおこりま したが、今年何か新しい事象が生じるのでしょ うか。六十干支の個々の意味合いは陰陽五行の 中で陰陽道として発展していったようです。ち なみに庚寅生まれの人の基本性格として「陽性 で明朗、世の信用も得られる性質ですが、散漫 で移り気が多いので、失敗することがありま す。短気を捨てさえすれば、人の長となれる旺 盛な運気です。」ともありますが今年還暦を迎 える諸先輩方、果たしていかがでしょうか。

壬寅の私は、12 年後の還暦に向け、少しずつ 未来予想図を描いていきたいと思います。地上 の他の生命と共存する人としての立場をわきま えつつ「生かされている」という意識を持ち続 けながら。