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寅年に思う

仲原靖夫

仲原漢方クリニック 仲原 靖夫

今年、平成22 年は寅年で昭和25 年生の小生 にとっては5 回目の干支、つまり還暦である。 いつか迎えると思っていた還暦がついにやって きたという拍子抜けの思いである。従って新年 を迎える心境は、今年は一年の抱負というよ り、今後の残りの人生をどう生きるかを考えな ければという少し深刻な思いである。

60 歳還暦は一般のサラリーマンであれば定 年退職を迎える年である。人生を四季に例える と還暦は実りの秋の収穫が終わった時期に相当 すると考えられる。退職金と年金はさしずめ一 年の収穫にあたり、これで冬を越さなければな らないわけである。ゆっくり一年を振り返り、 来年に思いを巡らすのが一般的な冬の過ごし 方、特に正月の過ごし方になろうが、人生の冬 には新年が来ないので、今年の還暦の機会に、 大晦日までの時間をどう過ごすか考えなければ ならないということになる。

ところで小生は定年の時を見越したつもり で、平成13 年に、生涯現役を目指してハート ライフ病院を退職し、やびく産婦人科を経て平 成17 年に現在の地に仲原漢方クリニックを開 院した。従って小生には定年はないので気力体 力の続く限り診療を続ければよいと単純に考え てきた。しかし、診療は続けるのであるが、還 暦ともなると『我が人生に残された仕事は何 か、生きている間にしておくべきことは何か』 を整理しなければならないと思うのである。

思えば自分の人生はほとんど医学のことのみ を考えてきた単純な人生であった。広島大学入 学直後に学生運動に揺さぶられてバックボーン の不安定さに危機感を持ち、『禅』に出会って 足元を固めた縁で東洋哲学に目を向けた。その 縁で東洋医学に関心を持ち、西洋医学に東洋医 学を併用する医学を実践しなければ片手落ちに なると考えたのであった。漢方の師小川新先 生は学生である小生に、医学の基本は西洋医学 であるからまず西洋医学をみっちりやって、そ れから漢方を勉強しても遅くないと言われた。 中部病院で卒後研修を終え、八重山病院で救急 を中心とした外科診療を実践して3 年、そろそ ろ漢方を始めようと再び広島の小川先生を訪 ね、診療を見学させていただいて、手探りで漢 方を始めたのが昭和57 年であった。あれから 27 年、小川先生のように漢方で癌を治すとこ ろまではいかないが、困難な症例でもある程度 は漢方的に病態のオリエンテーションがつくほ どにはなった。そのまま続ければもう少しまし な治療もできるだろうと思える現在である。

ところがその後もう一つの出会いがあった。 漢方を勉強するには沖縄本島に出た方が良いと 石垣から那覇に越して間もない昭和63 年頃、 広島大学の同窓会で真幸クリニックの上原真幸 先生に会ったのである。ハートライフ病院に就 職した頃で、それに先立って北京に出かけたと き、いわゆる超能力者といわれる人にあった話 をしたら二次会に誘われた。先生は独自に『気』 の研究・実践をしておられ、話が東洋医学、気 功、超能力にまで及んだ。漢方の背景に東洋哲 学の陰陽五行説がある。五行の木火土金水が青 赤黄白黒の色、春夏土用秋冬と季節、東南中央 西北の方角、39571 の数字と様々な領域に適用 される意味論的根拠、必然性は何か、疑問に思 っていた小生には、上原真幸先生は東洋哲学の 根本を知っておられる魅力的な先生に映った。 二十年余対話を続けてきたのは数霊理論であっ た。すなわち玉として存在する数の構造が時 間・空間、宇宙の森羅万象を形成するという統 一理論である。例えば仏教には三十二相八十好 種という言葉がある。その数の根拠が説明でき るのである。原子番号が増えていく場合の構造 の変化の必然性が説明できるという。先生も昨 年7 月に逝去され、数霊に関する多くの資料が 残された。小生はこれからそれらの資料を整理 し、可能な限り理解し、後世にわかりやすく説明できればと考えている。それが自分の残され た人生の仕事ではないかと考えている。今年こ そその具体的な一歩を踏み出したい。

故郷石垣では八重山郡の我々の合同同期会 『二五トラの会』の友人たちが成年祝いを今年 五月に計画しており、沖縄本島、本土からも含 めて約700 名の参加が見込まれているという。 49 歳の生年祝いで会った友人の何名かがすで に他界したこともあり、人生の秋の終わりにな って同期会もいよいよ重みを増してきた。