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今年の抱負

平良雅裕

まちなと内科クリニック 平良 雅裕

沖縄県医師会会員の皆様あけましておめでと うございます。昭和25 年生まれの寅年という ことで私に寄稿の依頼がありました。普段から 何も考えていないのでいきなり依頼されてもな にも思いうかばず、お断りすることも考えまし たが、せっかくご指名をうけたのでお粗末では ありますが、原稿を書かせてもらいました。月 日の経つのはなんて早いのでしょうか。今年は なんと60 歳になります。うそみたいです。心 は二十歳、肉体は70 代後半。最近とみに体力 の衰えを実感する今日この頃です。何を書いた らよいのか分からないので自分の生い立ちとこ れからの抱負を簡単に述べたいと思います。中 学生の頃までは普通の子供でしたが、高校生に なり、対人恐怖症となり人の目を見て話をする ことができず、ほとんど家族以外の人とは会話 することが出来ず、日本語を忘れてしまうので はないかと思うくらいかなり深刻な状態でし た。しかしどういう訳か勉強だけは嫌いではな く学校の成績だけはよかったようです。(いわ ゆるながら族でラジオがないと勉強できなかっ たです。右脳でラジオから流れる音楽番組を聞 きながら同時に左脳で数学の問題を解くという 器用なことが出来ていました)昔は成績がよけ れば医学部というような流れがあり、私もその 流れにのり、親の言う通りに医学部に合格出来 ました。しかし特に志しがあって医学を目指し たわけではありません。しかし他人と話しも出 来ないのに一人で親元をはなれ本当にやってい けるのかという強い不安があり、入学を辞退し ようかと真剣に悩みましたが、結局鹿児島大学 医学部に入学することになりました。大学生活 は予想した通りかなり苦しかったです。しかし 一緒に入学した同じ沖縄の友達、先輩たちに励 まされなんとか卒業できました。彼らがいなけ ればとても生きていくことは出来なかったと思 っています。学生時代は落ちこぼれで一留し、 卒業試験もほとんど不合格でみんなが医師国家 試験の勉強をしている時に自分は追試をうけて いました。国家試験の準備もほとんど出来ず、 本当は合格できるはずがないほどの学力不足の 状態でしたが、運がよかったと言うしかない。 なんと合格してしまいました。昭和51 年に卒 業しましたが、最初は沖縄にもどり初期研修を 受けるつもりでした。しかしちょうどその年か ら中部病院は研修医の採用に選抜試験を施行す るようになりました。(これまでは無試験で研 修ができていました)しかしもうこれ以上試験 のための勉強は絶対にしたくないし、試験をう けても絶対に通らないと考えていたところ大学 時代の元のクラスメートから誘いがあり、福岡 の病院で研修が始まりましたが、人とまともに 話ができない人間が患者さんを受け持つことが できるわけがない。研修が大変でした。出勤拒 否の状態にもなりました。しかしこの時も指導 医の先生をはじめとして周りの人たちの支えが あり、なんとかきりぬけることができました。 あの当時の仲間、先輩がいなければ今の自分は 有り得ません。いくら感謝しても感謝しきれま せん。50 才をすぎると神経が鈍感になったの でしょうか、人の目があまり若い頃と比べ気に ならなくなってきました。人がどう自分のこと を思うかそんなの関係ねえという心境にやっと なれてきているようです。しかし人生の半分を 人と話が出来ない状態で過ごしたため、その後 遺症は残り、今でも初対面の人にはまともな対 応ができません。昭和58 年に沖縄に戻り協同 病院、赤十字病院 浦添総合病院、嶺井病院で 勤務医として働き、さまざまな経験をさせても らいました。これらの経験は今の自分の血とな り肉となっています。一生勤務医として働くこ とになるものと考えていましたが、いろいろな いきさつ、縁があり、H19 年9 月より開業する ことになりました。最近微力ながら地域の人た ちのために何とか役にたっているのかなという ことを感じられるようになり、それがとても励 みになりやりがいが出てきています。これから も気力、体力の続く限り一生懸命地域の人たち の健康をサポートしていきたいと考えていま す。今年もよろしくお願いいたします。追伸; 今年はメタボから脱却するぞっ!