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寅年に因んで

幸地賢治

眼科クリニック幸地 幸地 賢治

これで寅年を迎えるのは5 回目、ちょうど還 暦である。学生の頃、自分がこのような年にな る事があるとは全く想像もしていなかった。そ の頃はただ前方に茫漠たる未来を感じていただ けで、今がなかったかも知れない。今は無数の 今が過去へ過去へと通り過ぎていって瞬時に景 色から消えて行く、何時になるか分からない D-day までにどのような結果をだせるか・・・ と言う現状を認識しつつ、最近起こった出来事 を述べたい。

私はあまりクリエイティブな性格ではない。 むしろじっとしていた方が性に合っている。旅 行もあまり好きではないが、国内旅行に限って は仕方なく出かけていたというのが実情であっ た。女房がそろそろ外国にも行ってみたいとい った事もあったが、「毛唐の国など行きたくも ない。日本も全部見た訳でもないのに。」とほ ざいて平然としていた時期があった。数年前、 避けられない諸事情と偶然の重なりにより、県 医師会理事を拝命した。その結果、九州各県は 言うに及ばず、あちこちに出張を命じられ旅行 する羽目になった。土曜日午後の会議、懇親会 を終えると、翌日早朝の便で沖縄に帰るという スケジュールをこなしていたのであるが、ある 日そのまま帰るのはもったいないと考え、一人 だけ遅い便に変えて近くの景勝地を見て回っ た。それが悪かったのか、以後は出張の度に観 光して回るのがくせになってしまった。最初の 外国は台湾だったが、それも医師会の仕事で出 かけさせて頂いた。その頃から箍が外れ始めた ようだったが、三女がイギリスのStirling 大学 に留学する事に決まった時、頭の中でプッツン と音がした。娘の学んでいる大学がどのような 所か、見に行く事になった。女房の殺し文句に 負けてしまったのだ。それは「あなたは娘がか わいくないの。」で、それでグウの音でなくな ってしまった。女房は「娘の住んでいる所を見 に行く。」、「どういう生活をしているか見に行 く。」と堰を切ったように一人でイギリスに行 くようになった。もちろん異を唱える事は出来 ない。「娘がかわいくないの。」で何度でも殺さ れるからだ。とうとう根負けして夫婦で行く、 初めてのイギリス旅行が決まった。2007 年4 月30 日に出発、その後のゴールデン・ウィー ク含んで7 日間の日程となった。旅行中に困っ た出来事があった。Stirling 大学の近くにウォ ーリスモニュメント(ウィリアム・ウォーリス の記念塔:映画ブレイブ・ハートで紹介された スコットランドの英雄)で売店に入った時、水 のボトルを差し出して「How much」と女の子に声をかけたら「“#%&=〜」と全く英語が 聞き取れない。相手は数字を言っているはずな のに全く分からない。愕然とし、呆然の呈とな った。旦那の危機を見て、女房殿が手の平一杯 の小銭を差し出して、事なきを得た。三女にス コットランド訛りの強い人は中々聞き取れない と慰めて貰った。もう一つは大学の中を散歩中 に初老の大学スタッフらしい人に「日本人か。」 と声をかけられ、「義理とは何だ。」と質問され た。どの程度分かって頂いたか、混乱させたか 分からないが、2 年後にまた来るからそれまで に日本語を勉強するようにお願いした。最後に Stirling の町並みを散歩中の出来事。そこかし ことやたらと小銭が落ちているので、拾おうと すると娘がそれを咎めて「小銭を拾う人たちが いるから止めて。」というのだ。日本とは違う 伝統の国イギリスに感心しきりだった。

関空から出発の日、名護市のN 先生ご夫婦に 出会った。また帰りのヒースロー空港では那覇 市のN 先生ご夫婦と出会った。偶然とはいえ驚 いた。イギリスにはこれまでに2 度行ったが、 エジンバラ市はとても印象的で、素晴らしい町 並みでそこに住む人々は上品で暖かい人柄を感 じさせらた。今度はロンドンを中心に見てきた いと思っている。

「寅年に因んで」という題材であるが、単に イギリス旅行の紹介になったことをお許しいた だきたい。この年になってやっと積年の蒙昧な る偏見がとれ、もう少し遊び心を発揮してもい いかな、許されるかな、という心境になってき た。成長と言ってあげて下さい。女房は堰の切 ったようにと表現したが、去年はスペイン、フ ランスそしてイタリアと堰を切った所が本流の ようになって、修理不能の状態となった。今で は小生も毛唐の友人が出来た。めでたし、めで たし。