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丑から寅への政権交代雑感

喜久本朝善

沖縄協同病院 喜久本 朝善

昨年8 月30 日の総選挙で遂に自公政治に終 止符が打たれ、戦後初めての事実上の政権交代 が行われた。新政権はマニフェストの実現に向 けて矢継ぎ早に政策を打ち出しており、世の中 が変わりつつあることを実感している。一方、 干支の世界(正確には十二支)では毎年公平に 政権が代わり、今年は前年の丑から寅への政権 交代となった。

小生は寅年生まれであるが、誕生日が1 月28 日の早生まれである。そのために丑年生まれの 人たちと時代を共に過ごすことになった。この 世代は堺屋太一の小説で有名になった「団塊の 世代」で、とにかく人が多かったと言うのが印 象である。小学校に入学した時は教室が足りな くて、本来4 クラス分の校舎を5 クラスに仕切 って使用し、一番前の席は目のすぐ前が黒板と いう状態であった。この早生まれというのは実 に微妙で、同級生からは遅生まれの間違いだろ うと言われたものだった。決して背の高い DNA ではないうえに、早生まれのせいで背の 低い順番に並ぶ朝礼では、小学校、中学校と2 番目または3 番目が定位置であった。とにかく 何をするにも人が多く、競争を余儀なくされた 世代であった。

小生の母親はサンジンソウ(三世相と書くら しい)が好きで、家族の人生の節目、節目には サンジンソウに行って運勢判断をしてもらって いた。その母親曰く、サンジンソウでは干支は 旧暦で占うので、小生は丑年生まれであるとい うことを子供の時から耳にタコができるほど聞 かされていた。子供心には鈍重なイメージの丑 よりは勇猛果敢な寅の方が好きだったが、丑年 生まれと刷り込まれていた上に、同級生は丑年 なので違和感を覚えつつも丑年生まれだと考え る複雑な心境で高校時代までを過ごした。

県外で学生生活を送っているうちに沖縄が本 土復帰を果たし、世の中が大きく変化してき た。かつては正月は旧暦で祝っていたが何時の 間にか新正月で祝うようになった。この旧暦が 廃れてきたことと毎年お世話になった諸兄姉や 友人、知人に年賀状を書くようになると、いや でも干支を意識せざるを得なくなった。それま で違和感を覚えつつも丑年生まれとしていた自 分だが、この年賀状作成の作業を通じていつか しら自分は寅年生まれであると思うようになっ た。意識のなかで自然に丑から寅へ政権交代が 行われていたのである。そして、尋ねられると 堂々と寅年生まれと答えるようになったのであ る。それを傍で聞いている母親は「あんたは丑 年生まれだよ」とそのたびに不満そうに言うの だが、それは無視することに決めたのだった。 最近、巷では「草食系男子」なる若者がもては やされているようだが、家内からは「あなたは 肉食系おじいさん」と揶揄されている。「おじいさん」にはいささか抵抗があるが、孫もいる 身分では仕方がないかと割り切り、草食の丑よ りはやはり肉食の寅が自分に似合うと納得して いる次第である。

しかし、本稿を書くにあたり調べてみると、 誕生日が元旦から節分までの人は前年の干支と されているとあるではないか!となれば小生は 丑年生まれということになるのだ。母親が一貫 して主張していたことは正しかったのだ。同時 にこれまで母親の言うことを無視してきた事を 申し訳なく思い、これまでの非礼を詫びたいよ うな気持にもなった。

しかしである!そうは言いながらも干支につ いて詳しく知っている人も少なくなり、世間一 般の常識では昭和25 年生まれは等しく寅年生 まれと認識されているようである。それだから こそ、この「新春干支随筆」の原稿依頼も来た のであり、これからもぶれずに頑固に寅年生ま れで通そうと考えている次第である。新政権に も後期高齢者医療制度の廃止や企業団体献金の 禁止、官僚の天下りの根絶など、マニフェスト で訴えたことをぶれることなく実行してもらい たいものである。