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寅年に「林住期」を考える

井上博隆

与那原中央病院 井上 博隆

今年は寅年、自分の干支であるのでうれしく ないはずはない。しかし、なんと還暦という肩 書きがついてきた。若いころは還暦と聞くとほ とんどオジンの代名詞と考えていたがそれが自 分に回ってくるとは。

そんな折、偶然書店で五木寛之著「林住期」 という本に目が留まった。「林住期」とは、古代 インドで生まれた概念のひとつで、人生を「学 生期」、「家住期」、「林住期」、「遊行期」の四期 に分け、それぞれ“師について学問を学び”、 “家に住んで家族を養い”、“出家して林に住み”、 “独りになって旅に出る”という生き方を示唆す る思想らしい。そして「林住期」は人生の後半 にあたり著者によると年齢的には50 歳くらいと いうが、一般的には定年退職し第二の人生を歩 む時期になるかと思うのでやはり還暦を過ぎて からになろう。まさに私の年齢である。

さてこの「林住期」は、著者の言葉を借りる と“本来の自己を生かす”、“自分をみつめる”、 “他人や組織のためでなく自分のために残され た時間と日々を過ごす”、という時期であると いう。しかもただ人生の再出発としてではなく 「学生期」、「家住期」のホップ、ステップに続 くジャンプであり、人生の黄金期であると力説 する。

ところが「林住期」を生きるためには今の仕 事を辞める必要があるらしい。あくまで自分の ために生きていく時期なのであり古代インドで いう“出家して林に住む”思想なのである。し かし現在のほとんどの人は、体が動けるまで働 きたいと願うのが普通であり、あまり現実的で はない気もする。しかし著者によるとそれでは いつまでも「林住期」を迎えることはできず、 いずれ働けなくなると「林住期」を見失い、疲れたまま最後の“独りになって旅に出る”とい う「遊行期」を迎えてしまうというのである。 私も眼科医としてまだ気力はあるつもりである が、徐々にストレスを感じるようになりいずれ 手術を辞めざるを得ない時期が来るだろうと考 えている。しかしその不安はあるが、同時に気 力、体力があるうちに仕事を辞め自分の好きな ことをやってみたいと思う自分がいることも確 かである。著者はその意識を「林住期」の準備 と位置づけ奨励しているのである。本文でも著 者の妻が50 歳に医師を辞め趣味の絵画に専念 し、まさに「林住期」を楽しんでいると紹介し ている。いずれにしても50 歳を超えると人生 の曲がり角で還暦を迎えるとさらに坂道を下っ ていくものだと思っていた私にとって希望のも てる考え方であることには違いない。

たまたまこの原稿を書いているときに敬老の 日があり、TV 番組で退職後の過ごし方につい て報道していた。多くの人は何をして良いのか が分からなく、なかには早く死にたいと相談す る人もいるという。まさに「林住期」がなく直 接最後の「遊行期」に入ってしまった人たちで ある。悲しい現実であり著者はそのことに警鐘 を鳴らしているのである。そして一生懸命「家 住期」を生きているまさにこの時期にこそ次の 「林住期」の存在を意識しその時期を迎える準備 をすることが必要なのだと説いているのである。

さて「林住期」を迎えるためには「家住期」 に一生懸命働きそれなりに蓄えが必要だとい う。やはり老後のための備えが必要なのであ る。昨年民主党が政権を握ったが、先の自民党 の年金に対する失態を回復し我々の老後を保障 してくれればこの「林住期」を生きていく希望 ももてるというものである。

還暦を迎え、今後自分の「林住期」がどのよ うな形で現れるのか分からないが、仕事の合間 に少し自分をみつめる余裕を持つことも必要な のだろう。