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年輪を刻んで

中山勲

医療法人宇富屋玉木病院
院長 中山 勲

寅年の今年は私の6回目の「生れ年」であ る。高校同期生の生年祝いをすることになり、 沖縄本島に住む10 数名の有志で話し合い、昨 年11 月から準備を進めている。有志の大多数 は、30 歳の頃から70 歳を過ぎた現在まで月に 1 回集まって飲んでいる仲間である。私たちの干支(えと)に因んで会の名前は「虎の会」と 称している。

その間、1 人は脳出血で逝去した。もう1 人 は脳梗塞で半身麻痺が残り、この数年は参加し ていない。残念至極である。他の仲間の数名も 手術などのために一時休んだことはあるが、現 在は元気に参加している。

私たち宮古高校九期生の節目節目の行事の企 画運営をしてきたのは、この「虎の会」であ る。宮古にも「虎の会」があり、両「虎の会」 が連携して、これまで大きな行事を行ってき た。平成18 年は「卒業50 周年祝賀会を成功さ せる忘年会」、平成19 年は「卒業50 周年記念 祝賀会」、平成20 年は「古希祝賀会」と3 年連 続行った。本土は無論のこと、アメリカから毎 回参加する者もいる。18 年の忘年会は約80 名 が参加した。19 年の卒業50 周年記念祝賀会に は、住所録に載っている189 名中の118 名が参 加し、スペインからの友人もいた。20 年の古 希祝いにも80 名余の参加があった。

このように毎回多くの同期生が参加するの は、その大半が社会の第一線から引退している こともあるが、同期生に会うと若い頃の懐かし い思い出が次々と心に湧き出てくるからであろ う。そして飲むほどに語るほどに、気持ちが若 返り、力も漲る感じになるのだろう。すなわち 皆それぞれ「懐かしさ」をお土産に持って集ま るのである。

生年祝いという言葉は、大辞林には載ってい ない。『南島俳句歳時記』を開いたら、奄美以 南の南島独自の風習だという。干支の年は、本 来厄年であるが、にぎやかに祝うことで厄払い になるらしい。宿命的に最初から良い年や悪い 年が決まっているというのは直ちに信じがたい が、何か合理的な根拠があるのだろうか。しか し、理由はどうであれ皆と会いたい私たちにと っては、厄払いの祝いということは立派な会う 理由になる。

年月というものについて人間は二種類の考え 方を持っているように思われる。一つは「歳月 人を待たず」というように、人を置き去りにして一直線に進行して、二度と戻らない「時間」 である。二つ目は「冬来たりなば春遠からじ」 というような、循環する「自然」である。「時 間」は厳しく、取り返すことが出来ない。「自 然」には優しさがあり、耐えていれば良い時に 巡り合える。「時間」の年月は、人間にとって 生命と同じで、若返ることはない。「自然」の 年月は樹木の年輪と同じく、繰り返し人生体験 を人間に刻みこむ。無数の年輪を持つ老木が幽 玄の美しさを見せるように、多くの苦難を乗り 越えた人間には犯し難い風格がある。

今度の生年祝いには、昔の少年少女の顔か ら、年輪の刻みこまれた風格と味のある顔に変 化した、多くの同期生に会いたいものである。 そして人生航路の荒波に雄々しく立ち向かって きた、お互いの健闘を讃え合いたいと思う。