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模合雑感

大山朝弘

中頭病院 大山 朝弘

小学校の頃母親は学校の教職を退いて“無尽 会社”に勤めていた。仕事の内容は知らなかっ たが、日暮れ時(自宅に居るのを見計らって) 集金に歩き回るので特に米軍相手の裏町に行く ときは母親に命ぜられ、付き添い兼用心棒兼見 張り役をした。その意味で無尽と言う言葉は早 くから知っていたが、それから社会人になるま で無尽と縁はなかった。医者になり沖縄に帰省 することになって、初めて模合という言葉を耳 にするようになった。模合とは広辞苑にも載っ ていない沖縄でしか通用しない単語だ。いかに も横のつながりが強い沖縄ならではの風習で、 ユイマール精神である。

調べたところ模合の起源は琉球王国の時代ま で遡ることができる。当時の三司官の蔡温は、 士族の門中間の総互扶助を図るために制度化し た。当時の模合は、貨幣でなく農産物などの食 料品などが模合の対象であった。変り種として は「労働の提供」というのもあった。

明治時代になり、各地に銀行が設立されるよ うになるが、一般庶民には敷居の高い存在であ ったため、庶民向けの金融制度としての地位を 確立した。営業化して無尽会社に成長した。そ の後昭和26 年(1951 年)相互銀行法制定によ り相互銀行に転換・統合された。

沖縄社会に乗り遅れることなく、私は今2 つ の模合に入っている。

1 つは帰省後、高校時代の同期生の模合に加 えてもらい、以後40 年余にわたり親睦が続い ている。皆、若い頃は元気があり、豚1 頭、山 羊1 頭などをあつらえ、焼き豚やヤギ汁を作り 食した楽しい思い出がある。しかし今は体力の 衰えで、他人まかせの居酒屋で過ごすことが多 くなった。もう1 つの模合は、中部地区医師会 北区の模合に属している。もう30 年近く参加 しており、先輩は他界された方もいらっしゃい ますが、この北区の模合は出席率がとても良く 和やかな雰囲気である。ここのメンバーは昭和 一桁の先輩から、昭和30 年代の若いばりばり の先生方まで年代が大きく開いているが、それ にもかかわらず各年代の先生方が思い思いの発 言をなさって、結構話題は途切れません。月1 のムエーですが、出来るだけ参加するよう心が けている。

これだけ社会に根付いた模合ですから、市民 権を得てこれからも沖縄の友愛精神が何時まで も平和の内に続くことを願って、昭和13 年生 寅年の挨拶(随筆)といたします。

平成21 年10 月 記