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幼い頃の老虎

友寄成

友寄 成

私は大正15 年5 月22 日の寅年生れ、今年で 85 才の寅年を迎える。幼寅の時は手に負えな いウーマクワラバーであった。近所に同じ歳の 政ちゃん(高原景政君)、タケ坊(浜田多計裕 君)がいて遊び所は屋根の上互に行ったり来た り、又桑の実(ナンデンシー)を口辺りを紫に 染めながら食べていた。或る日2 階の高窓から 小便をした所、丁度真下を歩いていた政ちゃん の頭にかけて政ちゃんのおばあさんにどなり込まれた時もあった。又オナラを瓶につめて「上 等の香水だからかいでごらん」とシムぬアンマ ーにかがせてブチクンにしてみたり、新生堂書 店(毎月少年倶楽部をとっていた)の娘さん (後に兄嫁となるが)に「成ちゃん何年生にな ったね」と声かけられて「ワーガシッチョー ミ、シンシーカイチチミシレ」と答える等ヤナ ワラバーの最たる者であった。近所の映画館も フリーパス。母から入れてくれるなと頼まれた そうだが、それも無視して入り続けた。映画俳 優の名前は殆ど暗ずる事が出来た。その頃出現 したアイスケーキ、その作り方を覚えようと半 時も丹下商店の機械の窓にこびりついていた。 小學生にあがっても木から落ちたり、砂地で砂 をかぶさせられたり、先生から注意を受けない 日は1 日とてなかった。

それが突然人が変わった様におとなしくなっ たのは沖縄県立第二中學校に入學してからであ る。上級生の5 年に西銘順次さんがおられた。 品行方正、真面目一筋、學校の規則は1 度も破 らず卒業迄5 年間あの有名な二中のあんもちの 味も知らぬ程馬鹿正直となっていた。

その後高校、大学での医局生活、公務員、開 業医と続くが思ひ出も途切れ途切れ頭は退化 し、記憶もさだかでもない。正月といふのに夢 もなく、只ばく然と生きている老虎のこの頃で ある。