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臓器移植普及推進月間(10/1 〜 10/31)に寄せて

村上隆啓

沖縄県立中部病院外科 村上 隆啓

【はじめに】

免疫抑制剤をはじめとした薬剤の進歩、およ び手術手技や術後管理方法の改善により、臓器 移植は、末期臓器不全の患者さんに対し、最後 の砦となる治療法として確立されてきました。 沖縄県立中部病院でも、この20 年間に160 例 の腎臓移植が行われ、その経験をもとに、 2009 年5 月には、県内初の生体肝移植術にも 成功しました。移植医療には、臓器を提供して くれる方、すなわちドナーの存在が不可欠であ り、提供方法としては、健康な身内から臓器の 一部を提供していただく生体からの提供と、亡 くなった後に、善意で臓器を提供していただく 心停止、脳死下からの提供の二種類がありま す。現在の日本では、その90 %以上を生体移 植が占めており、脳死下での提供(肝臓)は年 間10 例程度、心停止下での提供(腎臓)は年 間100 例弱にすぎません。生体移植は、家族の 強い絆と想いの上に成り立つすばらしい医療で はありますが、ドナーの健康な体にメスを入れ なければならないという強い葛藤があります。 また、心停止下、脳死下移植は、他人の死の上 に成り立つという大きな葛藤があります。これ らの矛盾と葛藤を内包する移植医療ですが、そ の実情に関しては誤解も多く、また「脳死」や 「臓器提供」という言葉に抵抗があるのも事実 です。そこで、今回は10 月の臓器移植普及推 進月間にちなみ、脳死と臓器提供を理解してい ただく上で、医療従事者および県民一人一人に 考えていただきたいことをお話します。

【脳死が受け入れにくいのはなぜか?】

そもそも脳死は、医学の進歩によって生み出 された状態です。第二次世界大戦を契機とした 医学の飛躍的な進歩、具体的には1950 年代の 人工呼吸器の開発、1960 年代の集中治療技術 の発達で、これまでは助からなかった多くの患 者さんの救命が可能となりました。しかし、こ れと同時に、「助けようと全力を尽くしたが力 が及ばなかった状態」すなわち、不可逆的昏睡 状態が出現してきました。

この状態が、1968 年にハーバード基準にて 脳死として定義され、その後、様々な検証を経 て、現在の脳死判定基準となっています。

生物学的には脳死は確実に死であり、この 40 年間の厳格な検証を経て、現在の脳死判定 基準は非常に精度の高いものとなっています。 それでも日本で、脳死が受け入れられにくい理 由は二つあります。一つ目は、医療への不信感 のためです。「まだ暖かく脈もあるのに本当に 死んでいるのか?」「もしかしたら生き返るの ではないか?」「脳死を受け入れると臓器を取 られてしまうのではないか?」という疑念や誤 解が常につきまとってきます。二つ目は、本 来、死が社会的なものであるためです。生物学 的にはすでに死んでいても(脳死であろうと、 心停止であろうと)残された家族がそれを受け 入れて、はじめて死は成立するのです。

このような状況で、私達医療従事者が取るべ き姿勢は、これまでどおり、まず助けられるも のはなんとしてでも助けるということです。そ の上で、「全力を尽くしたが、助けられなかった 状態:脳死をはじめとした終末期の状態」を毅 然として診断し宣告しなければなりません。生 物学的な死の診断を下せるのは医師のみなので す。さらに、この状態を家族が受け入れるまで、 Co-medical を含めて時間をかけて心から支援 することが必要となります。臓器提供するしないにかかわらず、このような終末期に真摯に対 応することで、社会の信頼を取り戻さなければ なりません。今年の7 月に、「脳死は人の死であ る」と定義された改訂移植法案が成立し、2010 年7 月から実施施行されます。医療従事者は、 自らが生み出した、脳死という状態にも責任を 持たなければならない時が来ているのです。

【臓器提供に感じる抵抗とは?】

日本で臓器提供(ドネーション)が普及しな い理由は、宗教的な問題と言われていますが、 果たして本当にそれだけでしょうか? 本来、 人体という自然状態は、物質としての“から だ”である一方、人間文化の派生する普遍的基 盤となる社会的なものです。しかし、資本主義 下での生命科学は、“からだ”を物質として社 会から切り離し、経済的合理性に基づいて探求 することで発展を遂げてきました。1754 年、 日本で初めての解剖が山脇東洋にて行われまし たが、このときの献体は死刑囚でした。その後 も、医学の発展のための献体は、無縁仏や施養 患者(治療を無料で行うかわりに、その身で医 学に貢献する)でした。1968 年までは、輸血 も売血が中心であったのもご存知のとおりで す。このように、生命科学の発展を支えてきた ドネーションの推進力は、経済的合理性と技術 的進歩であり、そこに善意が“あとづけ”され たのは1970 年代以降になります。このような 歴史背景と、伝統的な死体への敬意、すなわち 死体を傷つけることへの抵抗感が相重なり、臓 器提供を“Gift of Life :善意からなる命の贈 り物”と呼ぶことに、反射的に抵抗感を覚える のではないでしょうか?また、日本においての 贈り物とは、忠誠、誠意のあらわれであり、そ こにはそれに応える義務が付随します。そのた め、繋がりのない者に物をあげることを好ま ず、内向きの文化であることも否めません。

しかし、高度経済成長も一段落し、物質的に も経済的にも満たされた結果、私達は進歩して きたはずです。でもなぜか現代は閉塞感に覆わ れています。このような時代に、もう独り勝ち は許されず、われわれの次の世代に幸せな未来 を届ける使命を考えると、“社会のための善意” がとても大切な鍵となり、現実味を持って感じ られるのではないでしょうか?また、世代も変 化しつつあり、平成21 年の世論調査では、臓 器移植に興味のある人が60 %、また、自分が 脳死になった場合の臓器提供を前向きに考える 人が44 %と少しずつ社会の理解が得られつつ ある感があります。そして、この善意はそもそ もの意思を発露する個々の“生”ありきのもの です。すなわち、自分が交通事故にあったら、 末期癌になったら、痴呆になったら、脳死で助 からないといわれたらなどを含め、自分の人生 の幕の下ろし方について、生きているうちに大 切な人に意思を表示しておくことがとても重要 になると思います。その選択肢の一つとして臓 器提供が位置づけられれば、すばらしい社会に なるのではないでしょうか?(ちなみに、制度 としては現在の心停止下からの腎臓提供や来年 からの脳死下臓器提供は残された家族の同意の みで可能です。)

【想いと命をつなぐために】

移植医療の進歩により、臓器移植で救うこと のできる患者さんは確実に増加している一方、 日本ではその大部分が身内からの生体移植で支 えられています。しかし、私は、臓器提供の本 来の形は、健康な体にメスを入れて臓器を分け てもらうのではなく、亡くなった後に善意でそ の一部を提供していただく形だと考えていま す。この4 0 年間、脳死判定と移植医療は、 様々な批判を受けながらも慎重な検討を経て、 より信頼おけるものになるべく努力してきまし た。それをうけての2010 年からの改正移植法 案の施行であり、社会の想いと患者さんの命を つなぐ大切な機会だと思います。

そんな中、沖縄県でも、先に述べたように、 医療従事者が毅然とした態度で信頼を取り戻 し、県民一人一人が自分の意志をきちんと提示 し、さらにそれらの善意が有効利用されるよう な社会システムができあがれば、臓器移植を介 した成熟した世の中が形成され、次の世代に明 るい未来をつないでゆけるものと信じています。