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松山と「坂の上の雲」と

島尻佳典

翔南病院内科 島尻 佳典

今年の秋からのNHK スペシャルドラマで、 司馬遼太郎さん原作の「坂の上の雲」が放送さ れる。しかもその主演はこの前アカデミー賞で 話題になった本木雅弘さんが演じるそうで、ま すます放映を楽しみにしている。さて、どうい う切り口で展開されるのか―――。

あまり小説は読まないのだが、「坂の上の雲」 はとても面白かった。読んだ後しばらく他の本 を手に取る気になれないほどであった。読み出 すきっかけは、2 年前に愛媛県松山市で分子糖 尿病学会があり、登場人物たちのふるさとであ る松山を訪れたことにある。

松山は四国で一番大きな市とのことであった が、こぢんまりとして落ち着いている感じがし た。しかし、夜になると商店街や飲み屋街は地 元の人ばかりでなく観光客も加わってか活気に 満ちていた。宿泊先は友人の母親の実家が旅館 を営んでいたため、そこを世話してもらった。 能舞台もある「大和屋」という立派な老舗旅館 で、能は鑑賞できなかったものの、海の幸、山 の幸ともおいしく、温泉も堪能できた。

学会が終わった後、小説の主人公である秋山 兄弟と正岡子規の生家、夏目漱石が通った道後 温泉など、小説にゆかりのある場所を訪ねてま わった。松山城は首里城と違って山城であり、 そこに登ると周囲が見渡せる。「春や昔 十五万石の城下かな」という句(子規)を満喫し、 地方都市でありながらも文化の薫り高い松山を とても気に入った。

物語の主な内容は日露戦争の話である。むず かしい軍艦の話や、冗長なところはすっとばし ながら読了することができる。「宮古島」とい う身近な地域をモチーフにした章があるので、 さらに興味を惹かれて読むことができ、中だる みもなんとか乗り切れる。あの絶海の孤島の住 民たちでさえも近代化―グローバリゼーション ―の波に飲まれて日露戦争に参加して行かざる をえなかったこと、それが第2 次世界大戦への 序章であったこと、明治期と昭和期の軍幹部の 質の対比、などが描かれている。

大半は戦争の話ではあるが、悲壮感や訓話的 な感じはのしかかってこない。司馬さんの筆致 のすばらしさなのであろう。たとえどんな苦労 があったとしても、いくつもの坂を登り、雲を 追いかけて行くような明るく大らかに生きた群 像―幾世代も脈々と続く人間への応援歌―がテ ーマだったと思う。

そう考えると、沖縄の基地も人間の歴史の中 でのひとつの成長過程として俯瞰的に捉えるこ とができるようになった。いつまでもこのまま あり続けるはずはない。経済にしても、下手を すると30 年代のような世界恐慌の再来をひと まず回避できたことは、グローバリゼーション のなかで成長してきた人類の叡智の成果である と見ることもできる。医療に結びつけるなら、 現在の日本の国民皆保険制度の確立、立ち遅れ たとはいえ沖縄県民もその制度の恩恵に浴する ことができるということ、これもまた歴史の一 コマかもしれないが、矜持するものはきちんと 後世に伝えたいと強く思えてくる。

先日、上の兄姉たちより遅れて生まれてきた 1 歳の次男坊の手を引きながら坂道を散策して 日曜日を過ごしたが、ひょこひょこついてくる 子供に見える坂は私が見ているものと同じでは あっても、彼には別のものに見えるのであろう し、またそうであって欲しいと思う。青雲の志 をもってこれから現れる坂を駆け上って欲しい。

いろいろな場所を転々として来た私にとっ て、夢を追って離れざるをえなかった地域や友 のことも思い浮かんだが、これでよかったので はないかと心の底から思えた。今いる場所をし っかりと踏みしめ、たとえ空間は異なっても同 じ興味を共有できる仲間とともに手を携えて歩 いて行こう、そう思える本であった。