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花の都、東京

島袋隆志

医療法人島袋内科・胃腸科
島袋 隆志

“東京へはもう何度も行きましたね。君の住む 美し都”

昔懐かしい曲の一節である。

4 月11 日と12 日の土日を利用して、日本内 科学会、日本臨床内科医会総会へ出かけた。東 京へは何度も出かけているが、その度に「美し 都」というよりは、「忙しい都」と思いたくな るのは私だけではないでしょう。

駅構内の階段を駆け足で上って行く人や、降 りて行く人。

エスカレータでも、脇をトントンと早足で過ぎて行く人。

動く歩道でも然りである。

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」と 言いたくなるが、気がつけばいつの間にか自分 も早足になってしまっている。

初めて上京したのは、高1(S38 年)の夏休 みであった。東京の大学に進学していた姉を頼 って那覇港を出発し、晴海埠頭に着いて、姉の 間借り先に落ち着いた。翌日、東京見物に出か けたのだが、とある駅で降りて、乗り換えの為 に別のホームへと移動中に電車が入ってきた。 姉は急に駆け出して、私にも「早く、早く」と 声をかけた。

よく事情が飲み込めない私は、「何でそんな に急ぐんだよ」等々とブツブツ言いながらも少 しは早足で追いかけた。階段を上りきってホー ムに立った所で、姉が電車に乗り込む姿が見え たので、私も急いで乗り込もうとした瞬間にド アがバタンと閉まったのである。車内からドア のガラス越しに、大きく口を開けてパクパクと 何かを話しては、懸命に手で指示をしている姉 の姿をポカーンと眺めているうちに電車は出て しまい、一人私はホームに取り残されてしまっ たのである。沖縄のバスなら待ってくれる筈な のに。

然し、曖昧ながらも来た時の情景を思い出し ながら、逆戻りして一人で無事姉の家に辿り着 く事が出来た。若い時の記憶力、集中力、行動 力が成せた事であり、今同じ事をやれと言われ ても、とても出来るものではない。

今回の東京行きでは、娘のアパートを見る事 も一つの目的であったが、今や便利な時代で、 「○○線の××行きに乗り、△△駅で乗り換え ればいい。」と娘からの携帯での指示通りに移 動していたら、目の前に娘が立っていた。初め て上京した時の出来事と思い比べると、隔世の 感がする。

今回、もう一つ面白い体験をした。娘に連れ られ、あちこち移動していた時、勿論私は型通 りにキップを買って乗っていたのだが、娘は改 札口で財布を機械に押し当てて、スーッと通っ て行くではないか。聞けば、「スイカよ」と答 えが返ってきた。手に取ると、クレジットカー ド位の大きさで、「suica」と書かれている。テ レフォンカードのように、自分の希望する金額 分が購入でき、使っているうちに、残金が少な くなればチャージが出来て、また使えるように なる、との事。

早速購入して使用してみたのだが、2 〜 3 回 目までは慎重に改札口の機械部分を見て、確実 に「suica」と印字された面を押し当てていた のでスムーズに通過出来た。慣れてきたので、 トウキョウンチュの様なポーズでカードをサッ と機械に当ててスーッと通り抜けようとした ら、バタンとボードが閉まり、通せん坊をされ てしまった。かっこよくやろうとしたあまり、 当てるべき所にカードを当ててなく、ずれてい た為に起きた事であったが、後ろには多くの人 が待っていて、恥ずかしい思いをした。然し便 利なグッズではある。

本当に東京へ行く度に、東京は何と忙しい 所、よく歩く所、階段の昇り降りが多い所なの かと思う。私には、沖縄の生活のリズム、パタ ーンが染み付いて、それが合っているのかねー。

ちなみに、「suica」には、可愛いペンギンの マークがついており、最近ではバスや地下鉄で も利用でき、更にはコンビニで買い物も出来る ようです。