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禁煙運動の今昔

源河圭一郎

あいわクリニック
源河 圭一郎

私が1960 年代の前半に所属していた京都大 学結核研究所外科療法部の主要テーマの一つが 肺癌の臨床病理であったにも拘らず、研究員の 中に愛煙家がかなり居たことを記憶している。 タバコの有害性についての当時の認識は非常に 浅く、医師でさえこの通りであるから一般国民 のそれは推して知るべしであった。国の内外で タバコの規制を求める動きが広がるのは、1962 年に英国王立内科学会が科学的根拠に基づいた 喫煙の弊害を公表した後からである。

1967 年に私は研究室を去り、琉球政府立那 覇病院外科に就職した。日本復帰が実現した 1972 年を中心とする復帰5 年前と復帰5 年後 の沖縄の各種癌の発生状況を解明するために、 大規模な疫学調査が行われた。この企画は沖縄 医学会、国立がんセンター研究所疫学部、癌研 究会癌研究所病理部の三者による共同研究とし て進められ、国立がんセンターの平山雄疫学 部長(故人)が総括責任者を務め、私は肺癌を 担当した。その結果は地理的・歴史的・政治的 に日本本土から隔絶されていた当時の沖縄の悪 性腫瘍全般が極めて特異な様相を帯びているこ とを示し、興味深い多数の事実が明らかにされ た。これを契機に私はその後、沖縄県の肺癌の 臨床疫学に対する関心を深め、全国の専門家と 協力して調査研究を始める出発点になった。

当時の沖縄の男性の肺癌罹患率は全国一で、 疫学調査終了から間もない1978 年に全国に先 駆け、沖縄県で胃癌と肺癌の死亡順位が逆転 し、肺癌が死亡原因の第1 位になった。平山先 生は世界で初めて間接喫煙によるリスクを証明 したことで知られているが、沖縄の講演会では 「喫煙者は沖縄の毒蛇ハブと同じだから近づか ないように」と附言することを忘れなかった。 その「ハブ」を退治するのにタバコの葉に含ま れる成分が使われていることを知った平山先生 は、わが意を得たりと満足そうであった。

沖縄の肺癌罹患率が高い理由の一つとして、 日本復帰前後は上級学校進学率が低く、そのた めに喫煙習慣に染まる未成年者も多く、喫煙開 始年齢が早いことが挙げられた。その上、莫大 な量の米国製タバコが米軍基地から民間に流入 したり、タール含有量が「本土銘柄タバコ」の 2 倍も多い低価格の「沖縄銘柄タバコ」が大量 に生産・販売されるなど、本土各県とは異なる 事情があった。

肺癌多発県の沖縄で呼吸器外科医として診療 に従事して驚いたことは、今では信じられない が、肺癌手術を受けた患者さんが退院時にお礼 としてタバコを下さることであった。このよう な事実を目の当たりにしていた私は、喫煙問題 を避けて通ることができず、1970 年代の初め から禁煙運動に関心を寄せていた。しかし当時 の運動は組織化されておらず、わずかな有志と ともに細々と進められていた。今と違って禁煙 補助薬も無く、禁煙の成否は本人の意志の強さ に頼るしかなく、精神主義一本やりの徒手空拳 の状況下での禁煙運動であった。

私は校長や養護教諭の依頼を受けて県内各地 の中・高校に出かけ、肺癌の切除標本や気管支 鏡写真のスライドを使って喫煙の弊害を説いて 回った。さらに警察官の喫煙率が高かったせい か、県警本部の依頼を受けて離島を除く県内各地で警察官や機動隊員を前に講演した。その一 方で、那覇市内の公園で禁煙集会が開かれたこ とがあるが、参集者はタバコを吸わない主婦層 が大半を占め、肝心の愛煙家の関心は低かった。

その頃のある日、日本たばこ産業から肺癌と 喫煙との関係について意見を聞きたいとの申出 があり、私はホテルの一室で同社の数名の幹部 社員に会った。着席すると、テーブル上に出席 者一人ひとりに未開封のタバコが一箱ずつ置か れているではないか。これは禁煙運動に対する 挑戦ではないかと暗澹たる思いがしたことを今 でも覚えている。後で聞いた話だが、同社では とくに初対面の客の場合、タバコを勧めること で敵対的な雰囲気を和らげる効用があり、接客 マナーとして定着しているとのこと。挑戦また は嫌がらせと受け取った私の過剰反応というこ とになるが、今なお釈然としない。

1970 年代の日本航空国内線では、飛行時間 が2 時間を超える12 路線でタバコが自由に吸 えた。その中の実に11 路線が沖縄発着便で、 他の1 便は札幌・福岡線であった。肺癌罹患率 全国一の沖縄を発着する路線で喫煙者が優遇さ れるという皮肉な現象は、やがて全路線の全面 禁煙が実現して「タバコ汚染沖縄便」は姿を消 した。

本人の意志の力だけで禁煙できる喫煙者はご く僅かであり、喫煙習慣の本質は「ニコチン依 存症」という慢性疾患であると認定されてい る。2006 年から常習喫煙者は「依存症」患者 として健康保険を使って治療することができる ようになった。2008 年4 月から「特定健診・ 特定保健指導」が導入され、喫煙者に対しては 生活習慣病予防のために禁煙指導も行うことに なった。治療の面では禁煙補助薬としてニコチ ン離脱症状を抑えるためのニコチン・ガムとニ コチン・パッチが使われているが、同年6 月か らニコチンを含まない新しいタイプの内服薬 (バレニクリン)が登場した。今後もさまざま な種類の禁煙補助薬が開発されて、禁煙達成率 の向上が期待されている。私が勤務するクリニ ックでも遅まきながら敷地内全面禁煙に踏み切 ると同時に禁煙外来を開設した。

最近の動きでは、タバコ自動販売機への成人 識別カード(タスポ)の導入や公共施設および タクシーの全面禁煙化、路上喫煙防止条例の制 定など、行政の取り組みも加速している。「一 箱1,000 円」のタバコ増税論は日本たばこ産業 と葉タバコ生産農家などの激しい抵抗に遭って 見送られたが、愛煙家に禁煙を迫る包囲網は狭 まる一方である。