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開業顛末記 〜親子二代〜

真志取浩貴

ましどり整形外科 真志取 浩貴

開業して1 年6 ヶ月になりました。勤務医時 代は週に2 〜 3 回の外来を担当し、入院管理、 手術とバリエーションにとんだ症例と戦ってい ました。開業した当初は、月から土曜日までず ーっと座りっぱなしで外来をこなすので、同じ 姿勢が続くため、お尻が痛くなり、肩こりや頚 部痛に見舞われる始末でした。しかし最近は沖 縄口にもなれ、ようやくおじいちゃん、おばあ ちゃんの会話にもなれてきました。もともと父 が昭和47 年から開業していた診療所を平成19 年に私が管理者となり今も父と一緒に診療をし ています。父の古くからの患者さんは今も来院 してきますが、一番恥ずかしことは、私の幼少 の頃を知っている患者さんの診察です。「今日 はどうしましたか」と質問すると、「あんたは あの息子さんね?あんなに太って、うーまくー だったのに」とか「よく診察室で遊んで大先生 に耳を引っ張られて自宅へ帰されたあの息子さ んね」と逆に質問攻めにあいます。私は都合の 良いことに(?)昔の事をほとんど覚えていま せん。しかし、古くからの患者さんは私の行動 を覚えています。幼稚園のころ募金箱(おそら く自分への募金だと思う)と書いた箱を持って 患者さんの財布を指さしていた事や、向かいに ある商店でお菓子を無理やり買ってもらった事 など。外来中に赤面するほどはずかしい。あの 子が今は跡継ぎになって!といわんばかりの笑 顔で話します。しかし、決して嫌ではありませ ん。むしろ嬉しいのです。何せ約30 年も前か ら何かあれば当院に通院されているのですか ら。勤務医時代はそんな体験は無かったです。 父はあたり前の事のように話していましたが、 自分にとっては不思議でした。当院の事務さん も十数年勤務しているため、患者さんの家庭事 情をよく熟知しています。開業してから特に思 うことは、開業医は患者の病気だけを診察する のではなく、その方の背景も知るべきだと感じ ました。いろんな理由で当院に受診されます。 勿論体に異変があるからではあるのですが、い わゆる病気なのか、または精神的なものなの か。その患者さんの家庭事情まで考えて治療す ることがbest な治療につながることがしばしば 父の治療を側で見て経験しました。勤務医時代 では数分程度の診察ですべてを把握しなければ いけなかったのですが、今では、ゆっくり腰を すえて診察をしています。注射をしながら「お ばあちゃんは最近どうね?」、「おじいちゃんは 退院したあと食事はとれているの?」とその家 族の健康状態を会話の中から把握していきま す。そのことで患者さんとその家族の事がわか ってきます。かかりつけ医とはこの様なことか ら関わりをもつものだな、と思うようになりま した。

親子二代で診療している医院は少なくはな いと思います。父が医師であることは、幼少の 頃から勿論知っていましたが、まさか一緒に働 くことは想像はしていたものの現実になると は。昔は勉強を父から習っていたのですが今は 患者さんへの思いやり、可能な限り手助けを すること、それと忍耐を教わりました。面と向 かって言葉で言われたわけではありません。側 にいながらそう感じるようになりました。大病 院で働こうと小さい医院で働こうと、患者さ んを思う気持ちは同じです。まだまだ父から学ぶことはいっぱい残っていますが、焦らずにゆ っくりとこれからも父と一緒に頑張っていこう と思います。

今は与儀班の評議委員を担当しています。ほ んとに世間知らずの私は、医師会のことなどま ったく知りませんでした。最初の与儀班の会合 で沖縄赤十字病院の副院長である知花朝美先生 に「医師会に入会する意味は何でしょうか」と 今考えるとかなり失礼なことを言った記憶があ ります。実際に評議委員会に参加してみると大 変勉強になります。今の医療、これからの医療 に対して様々な意見が飛び交います。徐々に医 療を取り巻く世の中の事が解ってきました。そ して月に一度の与儀班の二水会の幹事もやって おり、そこでは医療以外のことも話題に上りま す。政治や経済など、もっとも私の苦手な世界 の話が出ますが、聞いているとそーなんだ!と 思うことが多々あります。楽しい勉強会に参加 している感覚で、私個人的にはとても二水会の 存在に感謝しています。与儀班の先生方の二水会参加をお待ちしております。

こんな私ですが、これからも宜しくお願いい たします。

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