P R O F I L E | |
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昭和46年 |
県立宮古高等学校卒業 |
昭和55年 | 東京医科歯科大学医学部卒業 |
昭和55年 | 東京民医連鬼子母神病院内科研修 |
昭和57年 | 東京健生病院内科 |
昭和61年 | 沖縄県立那覇病院内科(循環器科) |
平成3年 | 池村内科医院開業(宮古島平良市) |
平成14年 | 宮古地区医師会副会長 |
平成20年 | 宮古地区医師会会長 |
キーワードは 「宮古の医療はひとつ」・ 「顔の見える病診連携」 です。
Q1.宮古地区医師会の会長に就任され1 年が 経過いたしましたが、振り返ってみて、こ の1 年は如何でしたか?
一言で言えばとても忙しい1 年でした。いろ いろありましたが宮古地区医師会にとって一番 大きな出来事は、なんといっても砂川伊弘先生 のご逝去でした。1 年1 ヶ月にわたる壮絶な病 気との闘い(ご本人はもちろんご家族にも)に、 敬意と哀悼の意をささげます。時間の経過とと もに、彼の多くのそして大きな業績を改めて実 感しています。彼の推薦調書の性向にこう書き ました。「温厚で誠実な人柄であるが、行動力、 実行力の人でもある。そして強い信念で地域医 療および地域保健に貢献してきた。特に学校保 健に力を入れ、小児肥満、少年スポーツ、食育 に取り組み、その目は常に子供達の未来を見つ めていた。他方、宮古島トライアスロン大会に も長年取り組み、その強いリーダーシップと情 熱で医療救護部の機能的なチーム編成を完成さ せ、トライアスロン医療救護部長として長年地 域に多大な貢献をした。」 あらためて、ご冥福をお祈り
4 月は全日本トライアスロン宮古島大会があ りました。総勢500 余人の医療救護部(医師 100 人、看護師100 人余、消防40 人、その他 担架搬送班、IT 班、マッサージ班)が編成さ れ、フル活動しました(医療救護部長:下地常 之先生、副部長兼編成班長:与那覇博隆先生)。 各医療テントは競技中はもちろん、競技終了後 も入所選手の対応で大忙しです。溺水、海水誤 飲、熱中症、脱水、転倒骨折etc.・・・。トリ アージがなされ、重症は宮古病院へ救急車で即 搬送されます。たびたび入院加療、ICU 管理が 必要となる選手もいます。宮古病院の救急はト ライアスロン重症選手だけでなく宮古島の一般 住民の急患も診なくてはなりません。大変な一 日となります。宮古病院勤務経験者の先生方が 医療救護部応援医師として今年も多数駆けつけ てくれました。宮古病院を離れた後も病診連携 は続いています。感謝です。小泉元首相のスタ ート合図で何となく騒がしいトライアスロンで したが、無事に終わりほっとしています。
6 月は新型インフルエンザの発生を想定した訓練が行われ、宮古福祉保健所、県立宮古病 院、宮古地区医師会の連携のもと、宮古島市、 消防も協力し、沖縄県で初の新型インフルエン ザ想定訓練が成功しました。宮古福祉保健所の 上原真理子所長、平良ちあき医師、鉢嶺さん、 宮古病院の森先生、知念先生を中心にした大き なチームがすばらしい仕事をしました。ここで もトライアスロン医療救護部の形態のイメージ が重なります。今後の取り組みが大事です。
県立病院の独立行政法人化の問題もありまし た。宮古病院の独法化は宮古島にとって大きな 問題であります。沖縄県医療審議会で審議され ていますが、その作業部会である「県立病院あ りかた検討部会」の委員に前宮古病院長の恩河 尚清先生、県医師会でもその問題を議論する 「医療のグランドデザイン委員会」があり、前 会長の中村貢先生が委員、そして宮古病院長安 谷屋正明先生は病院長会議や宮古病院改築関連 会議でその問題に取り組んでいます。その3 人 の先生と歴代の宮古病院長(宮里不二雄、下地 常之、砂川明雄、真喜屋浩)、宮古病院診療部 長本永英治先生、そして宮古地区医師会執行部 が集まり、11 月25 日、会議が行われました。 県の考え方、宮古としてそれにどう対応すべき か、宮古の地域医療をどう守っていくべきか、 新宮古病院をどう創っていくべきか、などなど 議論が交わされました。そして宮古としての共 通認識「医師および医療スタッフの確保と不採 算部門医療、赤字医療が担保されるなら経営形 態は問わない。早期に十分規模の新宮古病院の 改築を。」が共有できたことは画期的だと思っ ています。この内容を11 月29 日(土)に石垣 市で開催された第50 回地区医師会連絡協議会 の中で報告させていただきました。発表の時間 を与えていただきました八重山地区医師会なら びに仲間会長にお礼を申し上げます。宮古の問 題は八重山の問題でもあるのです。宮古病院も 八重山病院も離島の唯一の中核病院であり何と しても守っていかなければなりません。宮古病 院の機能が低下すれば、トライアスロンもオリ ックスキャンプも不可能になります。ましてや 観光も衰退していくのは自明です。地域医療を 守るということは単に医療だけでなく宮古島の 政治、行政、経済を守ることにつながると確信 しています。今後も新宮古病院改築と独法化の 問題は議論を重ねていくことになります。すで に新宮古島市長をはじめとした行政、そして県 議や市議、歯科医師会、薬剤師会、看護協会を 巻き込んだ議論が始まっています。
7 月は恒例の「宮古地区医師交流会」があり ました。21 回を迎えています。当時の下地常 之会長の発案でした。宮古病院の先生方と医師 会会員の先生方、福祉保健所、南静園、徳洲会 病院の先生方の交流会でありますが、目的は 「顔の見える病診連携」「宮古の医療はひとつ」 です。
11 月、12 月は公費負担での小中学生へのイ ンフルエンザ予防接種がありました。平成19 年 に中村前会長が実現しました。今回2 回目です。 効果の判定はこれからです。これも宮古病院救 急外来(ER)の負担減が狙いのひとつです。
年が明け1 月は宮古地区医師会新年会もありま した。宮城信雄県医師会長にはご出席いただき感 謝致しております。ありがとうございました。
昨年12 月、市長辞任に伴い年明け1 月に市 長選が行われ新市長が誕生しました。年末年始 があわただしく過ぎていきました。
そのほかにも学術講演会、理事会、編集委員 会、定例会、総会、県医師会関連会議など、い ろいろありましたが、会員の先生方、理事の先 生方の助言、協力があり、何とかやってきたと いう感じです。リーダーシップのなさと能力の 欠如を体力で何とかカバーしてきたというのが 現実だと思っています。
Q2.宮古地区医師会の会員は何人でしょうか、 また組織率・組織の特徴等をお聞かせ下さい。
現在の会員数はA 会員26 人、B 会員13 人の 計39 人です。私が18 年前入会したときの会員 数がA 会員18 人、B 会員8 人でしたので約1.5 倍になった計算です。6 年前までA 会員はすべ て宮古高校出身の先輩後輩でしたが、現在までに本土出身の先生方が5 人開業されています。 平成15 年耳鼻科、稲村先生、平成17 年整形外 科、倉橋先生、平成18 年脳外科、竹井先生、 平成20 年外科、打出先生、皮膚科、原先生。 みんな医師会に入会され、宮古島の地域医療に 貢献されています。医師会活動にも非常に協力 的で、かつ宮古島の文化や行事にも積極的に溶 け込んでおり、宮古島に同化しつつあります。
月に一度定例会があります。理事会報告や県 医師会会議の報告など、宮古病院の先生方、福 祉保健所、南静園、徳洲会の先生方も出席し情 報交換が行われます。定例会後半には定例の 「会員もあい」もあり、アルコールと料理も出 され、情報交換や議論が熱をおびてきます。
Q3.県立宮古病院の建て替えが決定しており ますが、これを契機に、今後県立病院とど の様に連携し、地域住民の保健・医療・福祉 の充実を図っていこうとお考えでしょうか。
これまでも宮古地区医師会と県立宮古病院、 宮古福祉保健所との関係、連携は良好で、地域 の保健、医療、福祉に貢献してきたと自負して います。これまでの歴代会長、歴代院長、歴代 所長が「宮古の医療はひとつ!」という大きな 理念の下に創り上げてきた財産であり今後も守 っていかなくてはなりません。その意味でも宮 古島市唯一の中核病院を、現在の機能を維持あ るいはアップさせるような建て替え(新築移 転、改築)でなければなりません。ハード面で は1 床あたりの面積が少なくとも75 〜 85 m2を 確保(県立中部病院75 m2、南部医療センター 85 m2)し、十分な駐車スペースも確保、また 市の夜間休日診療所を宮古病院内に併設し(こ れは現在宮古島夜間休日診療所あり方検討委員 会で前院長の恩河先生を委員長に議論が進んで おり、県と宮古島市でも調整中です)1 次救急 に対処し、2 次救急や入院への流れをスムーズ にする、また、市の福祉、介護の窓口を病院内 に置く、などなどがあります。ソフト面ではや はり人(医師、ナース、技師etc.)の確保につ きますが現状でも厳しいものがあり、はたして 独法化でどうなるかです。宮古地区医師会でも 宮古病院を全面的に支援するというコンセンサ スが得られています。地域住民の教育、啓蒙も 必要となります。自分たちの病院を守るのだと いう意識を持たせる必要があります。そういう 意味もあり、医師会ではメタボ対策(昨年、 OMW の先生たちによる市民公開講座)、CKD 対策(井関先生、和気先生による講演会)、今 年は高血圧対策(琉球大学第3 内科、大屋先 生、瀧下教授による高血圧市民公開講座)とや ってきました。今後もそれにプラスして、肥満 対策、オトーリ対策、禁煙運動など積極的に展 開していきたいと考えています。第2 の「脳出 血0 作戦」と位置付けています。これも新宮古 病院がなければ生きてきません。
Q4.宮古地区医師会から本会や日本医師会に 対するご意見・ご要望などがありましたら お聞かせください。
本来、社会保障(医療、福祉)と教育は国の 根幹であり、市場原理にまかされるべきではあ りません。財源がなくとも医療と教育には十分 にお金をかけなくてはなりません。しかるにわ が国は医療費抑制策を推し進め続け医療崩壊を 加速させています。日本医師会にはわが国の医 療政策をいい方向にリードしていく責任も能力 もないのかと悲しくなります。医療費抑制策こ そが諸悪の根源であり、診療報酬を1.5 倍〜 2 倍に引き上げればほとんど解決することは医療 関係者の多くがわかっていることだと思いま す。沖縄県医師会にも同じことが言えると思い ます。県の財政悪化で県立病院事業の赤字問題 が大きくなっています。累積赤字230 億円、毎 年の一般会計からの繰入金が100 億円、などな ど早急な県立病院の経営健全化が課題となり、 独法化や医師の離島手当てカット、病院職員の 5 %給与カットなどが議論されています。しか し財政悪化の責任を県立病院だけに押し付けて いませんか。どうして県知事をはじめ県庁の全 職員の給与カットが議論されないのでしょう か。それからもうひとつ、独法化の問題がどうして医療審議会、県立病院あり方検討部会で議 論されるのか疑問です。独法化問題は純粋に経 営形態の問題です。要するにお金の問題です。 それをどうして医療審議会で議論するのかまっ たくわかりません。そういうところを県医師会 は指摘し、県を指導していかなければならない 立場だと考えますがいかがでしょうか。
全国で医療崩壊が加速し、急患のたらい回し が日常になってきました。しかし沖縄県内では 一件も起きていないどころか、質の高い救急医 療が行われています。沖縄県庁も沖縄県医師会 もその意味を深く考えるべきです。そこに県立 病院(特に宮古、八重山)の大きな存在意義が あると思います。このことを大きな武器として 国や総務省とやりあうくらいじゃないと沖縄県 の未来はありません。「赤字医療、不採算部門 の医療を誰が担うのか?」この命題を国も県 も、日本医師会も県医師会も議論してほしいと 思います。まさに医療審議会で議論してほしい ですね。
Q5.最後に日頃の健康法、ご趣味、座右の銘 等がございましたらお聞かせください。
私は大学を卒業するとすぐに東京民医連系の 総合病院で研修をしました。2 年間の内科研修 と半年間の外科研修後、循環器科を専門に勉強 しました。その中で「一人はみんなのために、 みんなは一人のために!」という言葉に出会い ました。そしてその後昭和61 年10 月に県立那 覇病院へ内科医(循環器科)として赴任しまし たが、その時の上司である大城康彦先生に「技 をもって病を癒し、心をもって心を癒す」とい う言葉を教えていただきました。この二つの言 葉が今でも私の好きな言葉で、「座右の銘」と いえばそうであり、私の医師としての原点だと 思っています。そして壁にぶつかったり、苦し い時などにはこの言葉を思い出しています。最 近時々学生時代、東京時代を思い出します。ま た県立那覇病院時代も思い出します。たまたま 県医師会の会議や行事などで那覇病院時代のよ く知った顔に出会うととてもうれしくなりま す。宮古島へ帰って開業してもう18 年になり ますが、やはりその時代に育てられた自分がそ こにいます。
趣味はゴルフとジョギングです。ゴルフは毎 週やりたいぐらいに大好きですが、そうもいき ません。月2 〜 3 回というところですか。とに かく飛距離がどんどん落ちていきます。しかし ますますゴルフが好きになっていきます。そし ていつも「Next is best!」です。健康の秘訣な のかどうか不明です。