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沖縄県福祉保健部保健衛生統括監 高江洲 均 先生

高江洲均先生
P R O F I L E
昭和51年 5月1日
沖縄県職員採用
平成2 年 4月1日 環境保健部宮古病院長
平成11年 4月1日 福祉保健部宮古保健所長
平成18年 4月1日 福祉保健部南部福祉保健所長
平成20年 4月1日 福祉保健部保健衛生統括監

厳しい時代ではあります が、医師会の先生方に地域 連携などご支援をお願いい たします。



Q1.就任されて9 カ月が立ちますが、ご感想 と今後の抱負をお聞かせください。

私が4 月に保健衛生統括監に就任してから9 ヶ月が過ぎました。県庁での勤務は初めてです ので、現在でも戸惑っているのが現状です。最 初の戸惑いは「議会」でした。保健衛生統括監 は「本会議」ではなく、文教厚生委員会から出 席しますが、委員会の流れが全くわからない、 議会特有の言葉もあるようで、未だに戸惑って います。

医療関係においてもいろいろな議論がありま した。今年度の大きな課題は、後期高齢者医療 制度、ドクターヘリ事業、県立病院のあり方で す。いずれも継続中の課題で、解決には数年か かるのかも知れません。福祉関連の課題が多 く、特に「保育園」の課題は厳しく、何年にも わたって続いており、保育園が足りない、認可 外保育所を支援すべきであるとの議論が続いて いたようです。要望は理解はできますが、県財 政が逼迫しており、なかなか対応できなくて苦 しんでいたようです。沖縄出身の国会議員の 方々の活躍もあり、国から特別に予算配分がな され、認可外保育園の認可化に向けての取り組 みが始まることとなり、福祉保健部は、少しホ ッとしています。

Q2.先生は宮古病院長という医療の実践現場 から、保健所へ、そして今度は福祉保健部 の統括監という行政の側から医療を考える 立場になられたのですが、治療・予防・行 政という幅広いこれまでの経験をふまえて、 今、沖縄県の医療についてどの様に感じて おられますか。

また、全国では「医療崩壊」と言われるほ どに、医療現場は混乱と困窮が深刻であり、 沖縄県もその例外ではないと考えますが、医 療行政を統括する者として現状をどの様に受 け止め、改善・改革の方向性をお考えでしょ うか。

医療界での大きな課題は、県立病院のあり 方ではないかと思います。私は県立宮古病院に 長いこと勤務していましたので、その経験も織 り込みながら、その背景を若干説明させて頂き ます。

昔から沖縄の医療の課題は医師確保でした が、1981 年に琉球大学に医学部が設置され、 1990 年頃からはようやく医師確保が少し楽に なってきたのはご存じのとおりです。しかしな がら現在でも離島での医師確保は困難をきわめ ており、これは離島県沖縄の宿命なんだろうと 思います。10 年ほど前まで私も宮古病院で院 長を務めていましたが、小児科・外科・整形外 科・耳鼻科・精神科など毎年のように医師数が 減ったり、時にはゼロになり診療科を休止する などが続き、来年はどの診療科が維持できなく なるかと、心配ばかりしていました。今「医師 がいなくて医療崩壊」と各地で言われています が、考えようによっては、私がつとめていた宮 古病院は医療崩壊状態が続いていたとも言えま す。当然ながら病院経営も悪化します。現在は 医師確保難は少しは緩和されたとはいえ、宮古 病院での脳外科、八重山病院での耳鼻科、北部 病院での産婦人科など、離島・へき地では、現 在でも状況は同じなのだろうと感じています。 そのような悪条件の中でも病院を経営・運営す ることが私の役目です。嘆いていてもしかたが ありませんので、いくつかの改革をすることと なります。最初に手がけたのは「糖尿病診療」 のシステム化でした。将来は糖尿病が増加す る、腎不全・失明が増加するだろうとの予測で 20 年前に糖尿病教育入院・糖尿病外来を立ち 上げました。ターゲットは糖尿病ですが、病院 は専門職種の集まりでバラバラになりがちな組 織体ですので、病院職員の横の連携を図ること もねらっていました。医師・看護師・検査技 師・栄養士・事務職員など沢山の職種がかかわ ることになります。糖尿病はさらに民間医療機 関との役割分担も必要ですので、合併症が少な い患者は診療所の先生へお願いしました。小児 肥満は保健所との連携です。今言われている地 域連携です。10 年後に糖尿病性腎不全、失明 のデータもとることになっていましたが、いろ いろなことがありコンピューターのデータが壊 れてしまい残念ながら成果を出すことはできま せんでした。

糖尿病対策で病院職員のチーム化の経験が作 れましたので、全く同じ手法で、次は「感染症 委員会」です。E ・coli のABPc 感受性が 75 %から50 %に急落、第3 世代セフェムが発 売されたことによる耐性菌の増加が予想された ことが背景にあります。いずれも熱心な医師が 確保できたことでできたのですが、チーム化、 システム化したことで、立ち上げた医師が病院 を離れても事業は継続しています。

並行しながら経営改善にも取り組みました。 駐車場がとても狭く、毎日のように患者さんや ご家族からのクレームがありました。近隣の土 地買収もうまくいきません。打ち出した方針は 「外来の時間予約」でした。時間予約で駐車場 の回転率を上げる、外来待ち時間を短縮して患 者サービスを向上する。1 年で軌道にのりまし た。混雑している待合いのスペースを拡張しな くて済む、待合室の椅子の数が減り、浮いたお 金を他の機器の購入に回すなどの副次効果も発 生しました。次は在庫管理、機器管理です。最 小限の在庫を目指して、徹底した棚卸し・定数 制をしきます。薬品費が不足がちですので、新 規抗生物質の導入権限を薬事審議会から感染症 委員会へ移しました。感染症委員会では「細菌 の耐性検査データ」に基づいて、60 種類以上 あった抗生物質を30 数種類に減らしていまし たし、新任の医師にも病院での細菌情報を流し ていましたので、新規の抗生物質の導入は吟味 されることになります。他の薬品も種類を減ら していましたので、在庫管理の手間も少なくな っていきました。足りなかった薬品費に余裕が できました。

医療機器は集積化、配達方式に切り替え、購 入数を減らします。レスピレーターだけしかで きなかったので、効果は今ひとつでしたが、現 在はもっと集約化されているのだろうと考えて います。

次は看護師の残業です。当時の宮古病院では 看護師の残業は当たり前のことと考えられてい ました。病院の改革には看護部の力は大きく、 協力を得るためにも、勤務条件改善が急がれました。「残業ゼロ」に取り組んでみました。コ ンピューター導入を考えますが、資金がありま せんので、自分でやるしかないと決断、開発に 取りかかりました。MS-DOS、16 ビット、ハ ードディスクは200 メガの時代で、さらに看護 師の大半がコンピューターを操作したことがあ りません。医師・院長としての仕事は減ること はありません。開発には2 年かかりましたが、 睡眠時間は4 時間を切っていました。40 代だか らできたのかも知れません。並行しならが各種 会議の時間短縮を行いました。病院という職場 は、職員が患者に対応している時間がとれるほ ど、経営が良くなることもあります。会議はで きるだけ少なく、短くを試みました。一つの会 議は3 時間がなんと8 分まで短縮できたのです が、あまりに短すぎるとクレームがあり、30 分 にしました。会議が少なくなると病院内情報伝 達が悪くなるリスクがありますので、病院内新 聞を発行しました。病院内新聞では診療報酬の 変更などの記事なども掲載し、職員に考えても らいました。看護支援システムが全病棟で稼働 した後に、看護部長命で「引き継いで帰りまし ょう」キャンペーンをおこないました。2 年ほ どで一人当たり月2 時間の残業となりました。 残業の少ない職場は年休も増えます。平均14 日の年休取得となります。看護支援システムは すべての県立病院から見学者が訪れ、全県立病 院に導入されることになりました。次が検査機 器の解放です。宮古の人口は55,000 人ですの で、大型の検査機器は宮古病院に集約し、利用 してもらえば効率的と考えていましたので、機 器が手軽に利用できる仕組みが必要です。ハン セン氏病の施設の国立南静園に内科医師がいな くなり、応援で週1 回診療をしていましたの で、検査が必要な患者さんについては、南静園 から直接検査予約が取れる仕組みに変えます。 医師会への解放も視野にありましたが、これは 内部の事情でうまくいきませんでした。

Q3.島嶼県である沖縄では、セーフティーネ ットとしての離島・へき地医療の安定的確 保は宿命的な課題であり、取り分け医師の 確保は難題でありますが、今後の離島・へ き地医療の展開にどの様な展望をお持ちで しょうか。

現在は当然の事ばかりかも知れませんが、改 革の背景にあったのは、医師の異動です。離島 の病院では医師の定着は難しく、2 年から3 年 すると医局員の8 〜 9 割が変わっています。医 師が定着している病院では医師個人の力量に頼 れますが、宮古病院ではこれは不可能です。病 院をシステムとして考える、全職員、医師会等 との連携で運営せざると得なかったことなんだ ろうと思っています。

経営は改善しませんでした。当時の状況で、 経営改善を阻んだ大きな原因が五つあると考え ています。第1 が医師確保難です。一つの診療 科が休止すると数億円の影響がでます。第2 は 医師定数です。宮古病院の医師定数はとても少 なく、医師数と医師以外の職員数のバランスが とても悪い病院で、医師が診療を行って初めて 収入が発生するのですが、この入り口がとても 狭い状態でした。又、当時は全身麻酔での手術 ができるのは島内では宮古病院しかありません でした。医師配置はどうしても外科系が優先さ れます。内科が大きな収入源になることはわか っていましたが、少ない医師定数の中では、内 科への医師配置ができませんでした。医師は目 一杯働いていますので、市町村から検診の精査 依頼なども断わらざると得ません。3 番目は事 務職員の異動でした。転勤してきた職員も一生 懸命なのですが、医療を良く知らないため、ど うしてもスピードが遅くなります。診療報酬の 請求漏れは数%はあるだろうと思っていました ので、事務と医師が一同に会しての「合同レセ プト点検会議」も作りましたが、事務職員の転 勤で知識の積み重ねができず、形骸化していき ました。4 番目は病床が過剰なことです。診療 報酬が短期入院にシフトし、病床利用率が悪化 していましたが、いろいろな外部条件もあり、病床削減はできませんでした。5 番目は「離島 へき地手当」でした。民間と比較すると、もと もと高めな職員給与に、「離島へき地手当」が かぶさってきます。これは県立病院の繰り出し 基準では反映されていません。これらの幾つか の要因は、現在でも同じなんだろうと思います。

訪問看護・訪問診療、人間ドック、医師会と の連携、地域連携・災害医療の確立のために役 立つトライアスロン医療救護、ミニ医師研修制 度、多良間診療所での妊産婦検診応援・内視鏡 2 次検診応援、なんだかんだやっているうちに 10 年が過ぎました。10 年が過ぎ、自分の役割 はだいたい終わりだろう、余り長いこと同じ人 がいるのは良くないと考え、保健所へ異動させ てもらいました。これで県立病院と関わるのは 終わりだろうと考えていましたが、昨年県本庁 への異動となり、9 年ぶりに県立病院と関わる こととなりました。県立病院の状況をみて驚い たことは、様子がかなり違っている、特に経営 面が悪化してしまっていることでした。

Q4.統括監に就任早々、県立病院事業の見直 しを進める「県立病院のあり方検討部会」 という大きな仕事を立ち上げて、審議の主 管をされておりますが、審議を通して感じ られた問題点や課題がありましたら、お聞 かせ下さい。

県立病院のあり方検討部会は未だ最終答申案 を上程するまでには至っていませんので詳細は パブリック・コメントを行う時に見て頂くこと になります。ここではポイントだけを記しま す。あり方検討部会が設けられたのは、ご存じ のとおり県立病院経営の危機的状況です。県の 繰出金は71 億に達しており、その上に100 億 の資金不足金がある。いつ破綻してもおかしく ない状態です。中部病院の改築、南部医療セン ターの新築、医療費抑制策、県財政の悪化、い ろいろなことが言われますが、過去のこと、国 全体のことに原因を求めても、問題解決にはな りません。県立病院が破綻すると沖縄県の医療 は大変なことになります。破綻を食い止めるこ とが、ありかた検討部会の命題です。委員には 県立病院がはたしている役割とその機能・経営 の状況、病院職員へのアンケート、民間医療機 関へのアンケートなど、膨大なデータが提示さ れました。病院事業局でも経営の効率化を推進 していますので、あり方検討部会の議論は経営 形態に集中していきます。6 回の議論を経た結 論は、県立病院は特に不採算と言われる医療分 野や離島医療の確保に、大きな役割を果たして いるので、民営化はありえない。公営企業法の 全部適用でも不安が残る。離島への人材確保の 役割も大きいので、6 つの県立病院を束ねた独 立行政法人が良いと結論がでることになりそう です。精和病院は病院収益と支出の差が大きい ので指定管理も検討すべきであります。病床過 剰地域にある南部医療センターは子ども部門は 強化が必要だが、大人部門に関しては市立那覇 病院との連携、場合によっては統合も検討され るべきであります。県立病院が地域医療の確保 の大きな役割を担っている点から考え、市町村 も県任せではなく、何らかの形で経営に参画す べきであるとの結論になっています。

Q5.本会や日本医師会に対するご意見・ご要 望がございましたら、お聞かせください。

県立病院のあり方については、これからも沢 山の議論が続くことが予想されています。県立 病院は是非とも残ってもらわないといけません ので、医師会の先生方も地域連携など支援を、 お願いしたいと思います。最後になりました が、あり方検討部会で本当にご苦労されました 医師会長を始め、医師会の先生方には心から感 謝を申し上げます。

この度は、インタビューへご回答いただき、 誠にありがとうございました。

インタビューアー:広報担当理事 當銘正彦