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丑年に因んで

稲福徹也

琉球大学医学部附属病院地域医療部
稲福 徹也

私は昭和36 年生まれの丑年である。今年で 4 回目の丑年を迎えたわけだが、これまで丑年 についてあまり意識せず過ごしてきた。そこ で、過去の丑年の出来事を振り返ってから、近 況報告、今年の抱負を述べたい。

昭和48 年12 歳、那覇市立久茂地小学校6 年 生であった。特に目立たず普通の小学生だっ た。理科が好きであったが体育は苦手だった。 当時久茂地上学校は1 学年4 クラスであった が、最近は那覇市の人口のドーナツ化現象によ り1 学年1 クラスになって廃校の危機にさらさ れていると聞いている。今年の丑年に因んでか 初めての同期会が企画されているようだ。楽し みであるが36 年ぶりに会う友人もいるので何 だか怖い気もする。

昭和60 年24 歳、北里大学医学部6 年生であ った。大学の先生(先輩)からは医者になった ら遊ぶ時間がないので学生のうちにたくさん遊 んでおけと言われたことが記憶に残っている。 部活(硬式庭球部)は引退していたので、夏は ウインドサーフィンを新たに始め、冬は毎年行 っていたスキーの滑り納め(国家試験に滑らな いように)にも行った。ポリクリで耳鼻科を回 ったときに脳神経の異常と病巣が一致するのを 目の当たりにして、神経の面白さを再確認し、 神経内科へ進もうと決意した。将来は沖縄へ戻 ることを考えて、沖縄には神経内科医があまり いないということも聞いていたので何かの役に 立つと思った。

平成9 年36 歳、10 月に北里大学の神経内科 学教室を辞して17 年ぶりに沖縄に帰ってきた。 第一線を退いたようで何だか寂しい気もした が、沖縄の一般的な医療のレベルは関東地方よ りも優れているのではないかと感じた。内科の 先生方は自分の専門以外のことでもよく知って いるし、救急のたらいまわしがないことも(あ たり前だが)すばらしいと思った。私は神経内 科に偏った診療を修正しようと総合診療なるも のに興味を持った。

現在、地域医療部に所属して、学生に地域医 療とか、プライマリ・ケアとかを教える立場に ある。私が学生時代はこのような講義や実習は 全くなかったので時代は変わったなあと感じ る。自分自身は地域医療の現場で働いた経験は 少なく、日々勉強中の状況である。プライマ リ・ケアという言葉も一般人にはあまり知られ ていない言葉で学生に説明するのに苦労してい る。国立国語研究所「病院の言葉」委員会の中 間報告http://www.kokken.go.jp/byoin/ によ ると一般人への認知率は29.6 %と非常に低い。 端的には「ふだんから近くにいて、どんな病気 でもすぐに診てくれ、いつでも相談に乗ってく れる医師による医療」である。しかし誤解を生 じやすい原因の一つとしてprimary には「初級 の」「初等の」「基本の」という意味もあるの で、同じ医療分野でも、専門医療の分野の人た ちは、この言葉をその意味に限って使用してい る傾向がある。「プライマリ・ケア」の「プラ イマリ」は、その意味ではないことである。要 するに昔は「町医者」って言っていたお医者さ んのことであるが、私にはそっちのほうがしっ くりくる。地域医療に適した医師は、地域のニ ーズに沿って自分を変えられる人間である。今 年の抱負は、大学にいては決して出来なかっ た、「町医者」に挑戦したいと思う。