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干支です(*⌒ー⌒)ο∠☆:

武田理

ハートライフ病院産婦人科
武田 理

県医師会報より今年は自分の干支であるとい うことで原稿依頼を承った。干支だからと特別 な思いはないが、新年早々のエピソードは一つ だけ覚えている。23 年程前、入局した山口大 学医学部附属病院産婦人科の研修1 年目の正月 に当直をしていた。休日診療所から電話があ り、16 歳の女子が腹痛でペンタジンを注射し たが改善せず紹介したいと救急車で来院、診察 するとなにやら腹が大きく、エイリアンのよう に動いている。エコーのプローブをあてると 2,500g 超の胎児がいる。自分としてはこのよ うな飛び込みの妊婦(しかも高校生、心配そう な親のセットつき)は初めての経験であったが 本人に最終月経等聞いても返答がない(覚えて るわけないか)。「お腹が痛い」と落ち着いた口 調(確信犯?)。とりあえず妊娠していること、 陣痛であることを伝えると両親はあ然(子供は 泰然)、山口は田舎故両親は色々隣近所世間の うわさ、批判の標的になることを恐れたのか、 「何とかなりませんか」と聞いてくる。その意 味はわかったが、すでに満期で成熟した胎児が もうすぐ生まれるのですよとしか答えられな い。自宅で飲酒中のオーベンに相談、「普通の お産やろ?生ましといて!」とむげに電話を切 られた。そりゃお産はお産だろうけど・・・と 思いつつ、4 時間ぐらいして無事に元気な男の 子を出産。こういう逆境の赤ちゃんはたくまし く育つのだろうなと思う。その後同級生の彼氏(聞いたところ、二人とも普通の公立高校で成 績優秀だとか)が来て、双方の家庭同士で話し 合い、高校卒業してから結婚することとし、そ れまでは赤ちゃんを施設?に預けるとか、順 調?に話が進んだもよう。私も適当な診断書を 書いて学校に休学願いを出したりしたのを覚え ている。数日たって御両親がほっとした表情を 浮かべておられたのが印象的であった(分娩に 立ち会っただけなのにえらく感謝されて照れ笑 いみたいな)。産科医として出産は医学的に何 が起こるかわからないという意識は常に持って いるものの(それにかかわる色んな人たちのバ ックグラウンド、人生をも巻き込み)、非医学 的にも出産は単純ではないなとあの時痛感し た。あれから22 年、もっと訳ありの出産など 見てはきたが(自分もできちゃった婚で訳あ り)、あの子、つまりあの高校生とその子は今 どうしているだろう?もう社会人としてりっぱ な大人になっているはず?高校生のあの子はも う40 歳、何人の子供を生んだのだろうか、と か新年を迎えるとたまに思い出す。出産はやは り人生最大のイベントだと感じる。

一方で自分の子供が同じことをしたら自分は どう対処するのだろうかとか思い悩む年にもな ってきた。25 歳で医師となり23 年が経った。 これからの24 年はどんな人生が待っているの か、楽しみも不安もある(生きてないかも)。 全ては自分次第、というわけにもいかないだろ う。色んな人、状況が自分の人生に絡んでく る。良くも悪くも影響を受けずにはおれない。 奇しくもこの沖縄の地に再びやってきたのも何 かの縁、これからたくさんの方に出会い、その 影響を受けながら少しでも沖縄の医療に貢献し たいと思う。