独立行政法人国立病院機構
琉球病院院長 村上 優
数えで祝うものと、昨年、一人で60 歳の還 暦を祝った。しかし還暦は満60 歳を迎えた平 成21 年1 月1 日と分かり、久しぶりに家族で 祝ってもらうことにして、90 歳を超える母親 を温泉に同伴して卒寿と還暦の正月にする。
還暦は新しく歳が始まるのを祝うと聞いたの で、これまで親しんでこなかったジャズ音楽を 聴こうと思い立ち、本屋で偶然見つけた「ジャ ズ喫茶四谷『いーぐる』の100 枚」(後藤雅洋 著、集英新書)を手にして銀座の山野楽器に寄 り、その100 枚を注文した。結局は72 枚が手 に入り仕事が終えた夜中に聴き始めたが、昔風 のものは受け付けるが、50 枚を過ぎて電子音楽 が中心になると拒否感が出て気が進まない。学 生時代はロックの全盛時代で、時にはピンクフ ロイドやウェザーリポートなどのフュージョン に馴染んでいたはずが、30 歳を過ぎてからは電 子音楽とは縁がなくなり、ただひたすらに古い 音楽を聴いていた。19 世紀までが限度で、10 年ほどはバッハかそれ以前しか聴いてこなかっ た時期もある。心のありようとして新しいもの を受け付けなくなった自分に気がついた。そん な時に古楽器演奏会でクラウデイオ・モンテベ ルディのオルフェリアを聴く機会があった。探 すと結構録音がされている。指揮者のコルベが 再発見して演奏され始めたと知り、そのコルベ を追ってフォーレのレクイエムにも親しんだ。
静かな、単純な音楽を好むようになったの か、この筋をたどれば古い音楽に行き着き、日 本のものであれば能楽に行き着くのであるが、 能は緊張感が負担で敬遠してしまう。要するに 疲れているのである。
外科や内科ほどの厳しさはないが、60 歳まで 精神科医療の前線に踏みとどまっているとは想 定しなかった。現在の私の専門領域は司法精神 医学と医療で、わが国ではまだ始まったばかし である。平成14 年より医療観察法の準備に携 わり、佐賀、東京、岩手、神奈川とまわり、そ して気がつけば沖縄にきていた。この医療を担 っているメンバーでは最も年寄りで、それゆえ に全国の若手には頼られることもあり、それが 心強くてここまで歩んできたのかもしれない。 沖縄は人口単位で精神障害者の「犯罪」が多 く、医療観察法での入院件数は全国平均の3 倍にあたるが、沖縄の精神障害者がそれほど危険 とは思えず、精神医療システムや処遇の考え方 を反映しているに過ぎない。精神医療システム や処遇の考え方を見直す必要性の所以である。
本来アルコール依存の治療を専門としていた が、沖縄に来る3 年前より遠ざかっていた。平 成18 年の飲酒運転事故はきっかけとしてアル コール問題への関心は高まったが、沖縄のアル コール問題の根の深さに出会い、問題を「無視 している」としか思えない在り様に心の何かが 反応していた。一般科医療でのアルコール調 査、早期介入モデル研究、飲酒運転者のアルコ ール依存調査、新しいアルコール医療やプログ ラム導入、精神科専門医療としての体制のリフ ォームなど、これも若い医師や臨床心理、作業 療法士、ケースワーカー、看護師の力をえて、 気がついたらアルコール医療の前線に戻ってき たようで、平成21 年度には九州アルコール関 連問題学会を沖縄で開催する。
私からみて琉球病院のフットワークもよくな ったように思える。地域からみてどうだろう。
58 歳で最前線を引退して余生を過ごそう、 各地の山々を放浪し、音楽を生まれた風土の中 で聴き、アジアの片隅で多少の人助けをして過 ごそうと空想していた。今は手の届かない願い である。仕事ばかりしていたから、その方面で は心残りはなく、何時終わっても悔いることは ないだろう。しかし生き方として前線で蠢くだ けでいいのか、残り少ないと感じる時間のなか で審問する。個人の人生を考えさせるときが 60 歳の干支かもしれない。