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丑年生まれ(うしどしぬちゅう)に因んで

金城福則

琉球大学医学部附属病院光学医療診療部
金城 福則

本会報新春号には、例年干支に当たる会員に 干支に因んでの抱負・近況報告などを執筆して 頂き、大変好評を得ているとのことである。平 成21 年は「丑年」ということで昭和24 年1 月 生まれの私にも執筆依頼が届いた。しかし、私 は「丑年生まれ」なのか「子年生まれ」なのか 自分自身で決めていない。18 歳で大学に入学 するまでは「にぃーぬちゅう(子年生まれの 人)」であった。母や祖母が仏壇に向かって私 の健康などについて祈願(うーとーとぅー)す る時には「にぃーぬちゅう」であり、「うしの ちゅう」とは一度も聞いたことがなかった。本 土の大学医学部に入学すると、年齢の異なるク ラスメートが大勢いて、年齢を尋ねる時は干支 であった。その時、何の疑いもなく、「昭和24 年1 月・子年生まれ」と云ったら、「昭和24 年」なら「丑年」であろうと訂正された。その 頃、本土ではすべて新暦での生活がなされてい たが、私が生まれ育った沖縄では旧暦が残って いた。旧正月は新暦の2 月頃のことが多いの で、新暦の1 月生まれは旧暦では前年12 月生 まれとなることが多かったのではないかと推測 される。私の父は明治43 年1 月生まれで「と ぅいのちゅう(酉年生まれの人)」であったが、 実際は「戌年生まれ」であったかも知れない。 私は祖母や母が亡くなるまでは「にぃーぬちゅ う」であってもよいと思っていたが、母が亡く なっている現在、新暦で動いている現在の沖縄 では「丑年生まれ」でもよいかと思うようにし ているが、しっくりいかないのが本音である。

さて、血液型で性格判断することがあるが、 本稿を執筆するに当たって、干支別性格につい てインターネットで調べてみる気になった。

私は「丑年」の性格なのか「子年」の性格な のかである。それによると、簡単な説明からか なり詳しいものまでさまざまである。簡単な説 明は、「丑年生まれは、スローペースでゆっくり 着実に進んでいく努力家タイプで、本能的な生 命力を持ち、困難にも立ち向かうパワーがある」 であり、「子年生まれは、明るく楽観的で直観 力に優れているが、情に左右されやすい欠点が ある」である。私の自己分析では、どちらにも 当てはまるような気がしている。また、より詳 しい説明には、「丑年生まれは、1)職人気質と いわれるような頑固で無骨な性格、2)内面には強い剛気や神経質な面を秘めているが、自己表 現が下手なために一見温厚でのんびりした内気 な性格にみられる、3)正直者で責任感が強く辛 抱強いが、強情で気難しく無骨で付き合いが悪 い面がある、4)他人の気持ちを量る能力が乏し いため、家族や友人たちから憎まれることすら ある、5)好き嫌いがあることは長所でもあり短 所でもある」とあり、「子年生まれは、1)人当た りはやわらかく、細かいことまで気がつくデリ ケートな性格、2)家系の衰えを守りたてる宿命 を持ち、努力すれば必ず人の上にたって活躍で きる人、3)几帳面で用心深いともいえる消極さ は、生活に対する防衛意識のなせる技である、 4)無駄遣いをせずこつこつお金を貯めるが、使 い方は下手で、生きたお金の使い方を知らない、 5)直観力に優れているので一つのことに集中す ると成功するが、集中することは苦手である、 6)中年までは苦労しがちであるが、苦労に対す る忍耐力を持ち、悲観的にはならない」とある。 この説明においても自己分析すると「丑年」 「子年」の両方の性格を有しているように思え る。両方のよい性格を伸ばし、欠点と思われる ような性格は是正していくような努力をするこ とを誓う「平成21 年・丑年」としたい。